第2話 作者である僕が、ただのモブッ!?
後頭部に強烈な痛みを感じた。
「いっっつっ!」
思わず大きな声を出して、その場にうずくまる。ズキズキと頭が痛む。
怪我はしてるのだろうか。恐る恐る後頭部を右手で確かめるが、どうやら出血はしていないようだ。
「大丈夫?」
心の底から心配しているような、女子の声が聞こえる。
さっきの女の子だろうか? そう考えながら顔を上げると、そこには立花咲希が立っていた。
「……へ?」
思わず間の抜けた声が出た。
見間違い? いや僕が、咲希を見間違えるはずがない。
さっきまで感じていた痛みのことも忘れて、僕は立ち上がる。
「え、ちょ、うそうそっ、いあ?」
マンガのイラストのままの顔立ちが、僕のことを心配そうに見つめてる。どこを切り取っても僕が描いた咲希。いや、それ以上に可愛い咲希が目の前に立っている。
液晶越しにしか見たことのない彼女が、目の前に三次元で存在している。
待て待て。どういうことだ? ありえないだろ! 心拍数が百六十まで一気に跳ね上がる。両目が大きく開く。夢か? 夢じゃないのか?
宝石のような咲希の瞳が時折、パチリと瞬く。光を受けた黒髪が咲希の動きに連動して優雅に揺れる。
「どこか痛むの?」
天上に咲く花の蜜のように甘く、それでいて碧空のように青く透き通る声。
まさに僕の理想とする声だった。
次の瞬間、脳内で大きなフラッシュの効果が炸裂する。光の粒子がスクリーントーンのように咲希を包み込み、彼女の可愛さを際立たせる。
僕の心臓の鼓動が、「ドクン、ドクン」と擬音になって、コマに描かれるような錯覚を覚えた。
「聞こえてる?」
さらに咲希の眉が心配そうに下がり、可憐な指先が僕の二の腕に触れる。布越しでも伝わる確かな感触。
僕は確信した。この咲希は生きている。その事実に背筋がぞわりと粟だった。
「先生呼んできた方がいいかな?」
その呟きを聞いて、僕は現実に引き戻される。咲希の質問に答えるべきだとようやく思い至った。
「え、えっと、あの、だ、大丈夫っ! ちょっと頭痛がしただけだからっ!」
「そう? 辛かったら、保健室行く?」
咲希が僕のことを心配してくれている。それだけで、脳内で幸せ物質であるエンドルフィンがドバドバ出てくる音が聞こえる気がした。それが理由か、頭部の痛みはすっかり引いていた。
「大丈夫っ! 本当に大丈夫だからっ!」
咲希は、まだ心配そうな表情で僕のことを見ているが、僕の言葉を信じることにしたらしい。
「それならいいんだけど……。でも、また痛くなったら、保健室行った方がいいと思うよ」
そう言って、近くにある部屋の中へと入っていく。
保健室? そこでようやく異変に気づく。
自分が学校らしき建物の廊下に立っている。しかも明るい陽がさしている。さっきまで夜の本屋にいたはずだ。
周囲を見渡すと、僕の学校の制服とは違う制服を着た生徒たちが教室を出入りしたり、廊下で談笑したりしていた。彼らの顔はマンガ調で、僕のマンガの癖が出ている。そして彼らが着ている制服は、僕がデザインしたものだった。
もしかして。僕は自分のマンガの世界に転移したんだろうか?
さっきの自称神の言葉を思い出す。あのやり取りは、変な夢じゃなくて、本当に?
廊下を走ると、トイレに駆け込んで、鏡を見る。僕の顔もマンガ調になっていた。
何度も何度も夢想したことが、現実になったんだ。
僕はこれからマンガの主人公として、咲希と理想の青春を送れるんだっ!
現実で死にかけてるらしいけど、この世界に来れたという喜びの方が勝る。咲希と過ごせるなら。
トイレから出ると、不良に感謝の気持ちさえ抱きながら、咲希の入った教室に入る。
黒板を見ると、今日は五月二十九日らしい。
マンガの内容を思い返す。確か席替えで、主人公である天道と、咲希が隣同士になった頃だ。
教室を見渡し、咲希の姿を捉える。
案の定、咲希の隣には誰も座っていない。やっぱり僕が主人公なんだ。歌でも歌いたいような気持ちで、咲希の隣に座る。
咲希と同じ世界に生きている。ずっと画面越しにしか触れ合えなかった咲希が、リアルに存在する。その事実に、僕は変なクスリでも使ったのかというほどハイになる。
咲希に話しかけようとして口を開くと、机にドンっと重い何かが置かれる音がした。
びっくりして前を見ると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
茶髪のマッシュヘアー。切れ長の目に逆三角の輪郭。中性的で整った顔立ちは、まさにイケメンという言葉がよく似合う。
天道玲。僕が作った主人公。
「そこ、俺の席だからさ」
言葉の意味が理解できなかった。ソコ、オレノセキダカラサ。それは日本語だろうか?
「だから、どいてもらっていいかな?」
何で天道が? いや、ここはマンガの世界だから、いて当然なのか? でも、こういうのって普通、転移した人間が主人公になるんじゃ……。
「なぁ」
天道の声が怒気をはらむ。自分が天道を怒らせたことに気づき、考えるよりも先に立ち上がっていた。
「ご、ごめん……」
「れーいっ! はよっ!」
僕の存在を知ってか知らずか、女子が僕を押し退けて、天道に話しかける。
金髪の毛先だけピンクブロンドにブリーチした派手な髪色。ロングの髪をハーフツインで結っている。この女子は。
「おはよう。彩乃」
中野彩乃。天道のことが大好きで、咲希のライバルになる女子生徒。中野が玲と呼んだということは、間違いなく目の前にいるのは天道なのだ。
ヒロインがいて、ライバルがいて、そして主人公もいる。なら僕は?
「玲、もっと早く来てよ。もうホームルーム始まっちゃうじゃない」
「悪い。でも家が遠いからさ。わかるだろ?」
天道は甘いマスクで笑みを浮かべる。
「あ、あの……」
思わず声を出していた。天道と中野がこっちを見る。
「ぼ、僕は?」
何の役なの? その後に続く言葉を、口にすることができなかった。
すると中野は、びっくりすることを言ってきた。
「モブ男くんの席なんて知らないし」
モ、モブッ? 作者である僕が、ただのモブッ?
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