あこがれの人は【KAC20252(テーマ:あこがれ)】

あこがれは「吾焦がれ」だったのかもしれない


「あ!」


 夏休み明けの新学期、黒板の前に立った転入生の女の子を見て、僕は思わず声を漏らした。


 色白の肌に切れ長の目が印象的だった。

 つややかでまっすぐな黒髪が腰まで伸び、制服の半袖からすらりと伸びた白い腕が学校指定の鞄を持つ。

 僕は、彼女の姿に強烈に惹かれた。


 に言えば一目惚れしてしまった。


 転入生は、すぐクラスに馴染んだ。

 仲のいい友達もできたみたいで、僕もごく普通のクラスメイトとして彼女に接していた。


 あこがれの語源は「あくがる(『あく(語源は諸説あり)』と『かる(離れるの意)』の複合語)」だ。また、あるべき所から離れる意とされている。

 古今和歌集(905‐914)にこのような短歌がある。


 いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千世もへぬべし


 訳は、「いつまで春の野辺に心がひかれるのだろうか、花が散らなければ千年もたってしまうだろう」とでもなる。

 ここでの「あくがれ」は心が身体を離れ、野辺にさまようことだと思われる。


 あこがれることで、人の心は体を離れ、あこがれの周りをさ迷う。あこがれに近づきたくて心が捕らわれてしまうんだ。


 そう、僕は転入生と表面的には普通のクラスメイトとして接していたが、その実、常に彼女のことを考えてしまっていた。

 彼女が友達と貸し借りしている漫画は僕も全巻読破したし、放課後によく行くという喫茶店には、僕も毎日友人を引っ張っていった。


 ……少しストーカーじみていたかもしれない。

 でも、僕の心はそれだけ彼女に捕らわれていた。


 ―――


 私は、ここまで読んで顔を上げた。

 目の前には、この原稿を書いた友人のナツがいて、不安そうに私の顔色をうかがっていた。


「ど、どうかな?」


 私は、率直な感想を口にした。


「なんで急に短歌……?」


 それを聞いてナツの眉毛がハの字に下がった。


「ええと。こう、表面では取り繕っているんだけど内面ではごちゃごちゃ考えている人ってどうかなと思って書いてみたんだけど、短歌の解説は少しやりすぎだったよねえ」


 読んでくれてありがとうヒマリ、とナツは私の手から原稿をとり、帰って行った。

 ナツがいなくなったのを確認し、私はぽつりと独り言を漏らす。


「ナツに、あこがれの君がいた……?」

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