② 服を着られないスキル



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 ────この話が有名なのかどうかについては判然としないけれど、小説の主人公が登場人物の服装を説明するさまに、『違和感』を持つ読者がいるらしい。

 ライトノベルの男主人公が妙に女性の服飾事情に詳しかったりする描写を、不自然に感じる人がいるらしい。


 言われてみれば確かに、そんな感覚を抱かせるような作品は、それなりに思い当たる。

 控えめに言ってあまり博識でなさそうなタイプの主人公が、他人の服装を見て、突然「魅力的なスカラップネックだ」みたいなことを語り出せば、登場人物の作り込みが甘いという指摘を受けてしまっても、それは仕方のないことかもしれない。


 ただ、そうは言っても、知識なんて所詮は知っているか知らないか、憶えているか憶えていないかというだけのことで、人それぞれ差異があって当然なのだから、たとえスタイリストじみた過剰な描写があったとしても、あるいは服装に関する描写が足りなかったり間違っていたりしても、読者はある程度余裕を持って受け入れてもいいのではないかと、読み手である俺はそう考える。


 まあでも、流石に間違った説明をしている小説に限って言えば、それは作者側に問題があるのだから、今のは的外れな擁護だったか。

 小説を書いたことがない俺は、読み手の目線でしか語れない。




 だから俺は、この状況においてもまた同じように、何も語ることができなかった。

 何も読み取れない。


 彼女────人山ひとやまこずえという存在を、果たしてどういった言葉で説明すればいいのか、想像の余地もつかなかった。

 特記すべき特徴なんて、大きな釣鐘マントと、ショートボブの黒髪と、透き通るように綺麗な全裸の肌だけである。


 なので、つまるところは聞くしかない。

 今現在、最大の説明責任を抱えている人物に向けて。

 無論それは一年一組担任の──城口先生その人である。



 ホームルームが終わり、不安と焦燥に包まれた教室を傍目にして、俺と城口先生と裸の少女────人山は、三人だけで廊下に並んでいた。人山と共に先生に呼び出されて、もう五分もしないうちに始まってしまう一時限目の授業が気になりながら、俺は廊下に立っている。


 真横にいる人山から目を逸らしながら、俺は城口先生の方を見た。


「犬秋。クラス委員長であるお前に、彼女の付添人つきそいにんを任せたいと思っているのだ」


 すい、と。城口先生は裸の少女に手を向けながら──そう言った。

 付添人?

 そんな意味のわからない発言に、俺は激しく面食らう。


「あ、あの……。付添人っていうのは、具体的に何をどうすれば……」

「簡単に言ってしまえば、お前にはこれから付きっきりで人山を介抱してもらう。やにわに介抱と聞けば大袈裟に感じるかもしれんが、要は校内の紹介や学校生活のサポートといった、一般的な委員長としての仕事を請け負ってもらいたいだけなんだよ。基本的には」


 闊達かったつに説明する城口先生の態度は、さっきのホームルーム前と比べればいくらか自然な物腰にはなっている。しかし、最後に呟いた「基本的には」という単語に妙な含みが入っていたことを、俺は聞き逃さなかった。


「それが基本的な業務なのはわかりましたけど……じゃあ、それ以外には何をすれば?」

「彼女と仲良くしてやってくれ」

「え?」


 思わず、そんな呆気ない声が漏れてしまう。

 ここで言う彼女とはもちろん、人山のことを指しているのだろう。

 だから俺は「人山と仲良くしてやれ」という指令を、本人がいる横で言われているのだ。


 薄目で視線を向けてみると、人山は──やはりというか、さきほど教室で自己紹介をしていた時と同じように笑っていた。

 笑顔だった。

 彼女は嬉しそうに、城口先生へにこやかな表情を見せている。


 その姿を見て、俺は不気味ですらあるほどの違和感を覚えた。もっとも、彼女に違和感のないところは存在しないので、特別におかしな感覚という訳ではないのかもしれないが。


「ちなみにこの仕事を頼む上で、お前には幾許いくばくかの特権を与えることになっている」

「特権?」

「お前はこれからの一定期間、授業出席及び部活動の義務が免除される」

「は、はあ?」


 授業出席の免除って……。

 上級組ハイクラスでもそこまでの待遇は受けてないぞ。とても一組の人間に与えていい権限とは思えない。いくら常識外れの棚上たながみ学園にしても、そんなめちゃくちゃな措置があっていいのか?


「言っただろう、お前には付きっきりで人山を介抱してもらう、と」

「いや、でも、彼女だって授業を受けないと──」

「人山の場合は、はじめから授業学習の義務がないんだ」

「え……ええ!? じゃあ彼女は学校に来て、一体何をするんですか?」

「交流だよ。普通の高校生と一緒に、普通に話して、普通に遊ぶ。それこそがまず何より──学校に通ったことがない彼女が最初に経験するべきことだと、私も思う」


 …………。

 学校に通ったことがない……、たしか自己紹介の時にもそんなことを言っていたような気がするが。


「あの……それはどういう……」

「そのままの意味だよ。彼女は一度も学校には在籍していない。なにせ生まれてから十五年間────ずっと研究機関の下で育てられた身だ」

「…………」


 け、研究機関って……。

 しかも十五年?

 あまりにも非現実的な台詞を前に、俺は思わず絶句する。


「自身のという強制能力スキルを究明してもらうために、十五年も彼女は外界と隔絶かくぜつされていた。だから人山には両親も──」

「先生」


 と、ここで初めて人山が話に割って入ってきた。

 まるで城口先生の言葉をさえぎるように聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。


「あとは自分で話します。自分のことは自分でちゃんと話すので。そろそろ授業が始まってしまいますし、先生はもう行ってくださっても大丈夫ですよ。心配しないでください! あとの細かいことは、わたしのほうから説明しておきますので!」


 ぽん、と自らの胸元を──胸そのものを直で叩く人山。


「そうか……、お前がそう言ってくれるのなら信じよう。それじゃあ、私もできる限りの手は尽くすから、犬秋も頼んだぞ」

「いや……ちょっと……」


 最後に無茶振りをしながら、城口先生は廊下から去っていった。


 そうして残された人山と俺。

 二人きりの廊下に、気まずい沈黙が流れる。


 ……ヤバい、どうしよう。

 この裸の少女相手に、俺はこれから何をすればいいんだよ……!?

 頭の中が真っ白になっている俺が声を出しあぐねていたところで──先にこの場の黙然とした空気を破ったのは、彼女のほうだった。


「そういえば、委員長さんの下の名前はなんていうのかな?」

「……へ?」

「まだ苗字しか聞いてないなーと思って」


 柔和な声色で俺に話しかける人山。

 俺は彼女のほうを向こうと視線を動かしかけた。そのギリギリで彼女が裸だったことを思い出して───踏みとどまる。


「フルネームは犬秋藍鬱」

「あいうつ…………どんな漢字で書くの?」

「藍色のあいと、憂鬱のうつ」

「いぬあきっていう苗字は?」

「柴犬のいぬと、秋茜あきあかねのあき」

「なるほど~!」


 そう言って彼女は俄然、くすくすと声を出し始めた。俺がその様子に困惑していると──


「あっ! いや、ごめんね……! 柴犬と秋茜っていう例えが可愛くて……」


 人山は笑い声を押し殺しながら腹を抱えていた。

 柴犬はともかく、あくまでも蜻蛉とんぼであるアキアカネにそこまで面白がるのはよくわからなかったけど。こうして場がなごんでくれたことで少しは緊張が解けた。


 だからこの後、彼女の「じゃあ、一旦別の場所に行こっか!」という提案にも軽々乗ってしまうことになる。


 そして残念ながらこの時の俺は───俺が彼女の目をたった一度も見ていないのと同じように、彼女もまた、俺の目を一度も見ていなかったことになど───気付けるはずもなかった。




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