学園のアイドル先輩は魔法少女、俺はそのヴィラン

東蒼司/ZUMA文庫

本文――学園のアイドルが魔法少女だと俺だけが知らない

 深夜。裏路地。

 男の顔がぐちゃぐちゃに歪んでいるのは、両足が脛の辺りでへし折れているからでも、灯油を掛けられて凍えているからでもない。


「命乞い、してみろよ」


 言葉を浴びせながら、ジッポーに火を灯す。

 命乞いは、「ヒッ」と潰された両生類のような鳴き声だった。


「お前最期までつまんねえな」


 思い切りため息を吐き出してから、男に向けてジッポーを放る――業火が燃え上がった。

 男はたちまち火だるまになり、燃え盛る燃焼音の中で掠れた悲鳴を上げる。

 肉が灼けて悪臭がする。爛れた皮膚が地べたを汚す。


 取るに足らない男の末路を眺めるのは退屈だ。

 しかしそのとき、闇夜を切り裂く凛とした声が響いた。


「やめなさい!」


 どこからともなく聞こえるそれは、うら若い少女の声。

 同時に暗黒の天上から赤の閃光が轟いて、辺りを煌と照らした。


 光が砕けたそのとき、炎に包まれのたうち回っていた男は、身を焦げ茶色に染めながらも激しい呼吸を繰り返している。

 そして、死に体のソレを庇うようにして一人の少女が立っている。


 白銀色の軽やかなボブカット、澄明に潤んだ大きく丸い金瞳、鮮烈な赤に彩られたミニスカートのコスチューム、赤い二対の花弁と蔓から成るステッキ。


 忌々しく、目障りで、可憐な、俺の宿敵魔法少女


「現れたな……”セイ”――!」


 俺の声が上ずったのを自覚しながらも、彼女セイから目を離さずにはいられない。

 

「”怪人・ラヴ”! 無関係な人を痛めつけるのはやめなさい!!」


 セイがステッキを一振りすると、焦げた男が淡い光に包まれる。

 万物を癒す回復の魔法。

 俺の目論見は、アレに幾度となく阻まれてきた。


 あの男を焼き殺すことが叶わなくなったが、それでも俺の昂りは鎮まらない。

 今日この時こそ、眼前の好敵手を仕留めれば全てが報われる。俺の信念が満たされる。


「血迷ったか! そんな無価値なクズのために、のこのこやって来るなんてよお!」

「無価値な人間なんて存在しない」

「だったらお前よ、知ってんのか? そいつはアイドルのSNSに暴言書き込んで、適応障害に追い込んだんだぜ」

「……それが人殺しをしていい理由にはならないはずよ」

「だが殺される理由にはなるよなあ!」

「あなたにそれをする資格はない!」


 セイがステッキを俺に向けると同時、視界を覆う深紅の光が放たれた。ジェット機さながらの轟音が鳴り響き、閃光が一直線に襲い掛かる。


 俺は両腕を複雑に絡ませて、闇魔術を詠唱する。たちまち真っ暗なオーラが地面から噴出して、セイの放つ光線にぶつかった。

 大地を突き破る暗黒のオーラと、闇夜を引き裂く鮮赤の光線が衝突する――凄まじい衝撃波が辺りを吹き飛ばした。


「はぁぁぁぁ!」


 粉塵が晴れたそのとき、セイがステッキを突き出して詰め寄ってきた。

 両腕にオーラをまとって防御し、カウンターの蹴りを放つ。

 セイはしなやかな二の腕でそれを受けながらも、二撃、三撃と立て続けにステッキによる殴打を仕掛けてきた。

 暗黒のオーラを噴出させて殴打を防ぎながらステップを踏み、やがて、壁際に追い詰められた。


「受けてみなさい……“深紅の可憐レッド・ピース・イート 殴魔法スタッフ”!」


 セイのステッキが赤い光沢を湛えている。

 見惚れるほど鮮やかな光が、彼女の髪を、瞳を、服を、照らしていた。


「ッ!!」


 避けようもない渾身の一撃が、俺の顔面に突き刺さった。

 それと同時、殴打面から黒い霧が噴き出して辺りを覆いつくす。


 セイの視界が眩んだその隙に、俺は宙へと逃げ出した。


「逃がさない――」


 セイは霧を払いながら辺りを見回すが、どす黒い濃霧の中では俺を捕捉できまい。

 建物の外壁を足掛かりに、闇のエネルギーを跳躍エネルギーに変換した。


 必死に周囲を見回す彼女を見下ろしながら、俺は夜天に縋る。


「今夜は身を引こう。だが俺は、俺が満たされるその日まで、何度でも断罪し続ける。魔法少女セイ、その時までに――果たして俺を止められるか?」


 白銀の髪を見下ろしながらそう告げ、腹の奥に沈み込むような夜の底を去った。


★★★


 翌朝。目覚まし時計と母親に叩き起こされる。朝食を食べて身支度を整える。制服に着替えたとき、俺は”怪人・ラヴ”から”佐藤サトウ愛斗アイト”になる。


 怪人・ラヴ――誰が言い出したか、俺はそう呼ばれている。

 しかし男子高校生の佐藤愛斗としても同時に生きているし、どちらの俺も本物だ。


 俺の編み出した認識阻害魔術によって、その2つのペルソナは看過されなくなっている。

 つまり、怪人・ラヴの正体が佐藤愛斗だとは分からないし、佐藤愛斗の正体が怪人・ラヴだとは分からない。


 誤算だったのは、認識阻害魔術が魔法少女セイに流出したことだ。

 そのせいで、俺は魔法少女の正体を掴めずにいる。


 魔法少女セイ、その正体は一体誰なのか――。


「佐藤くん、欠伸は我慢しなよ」


 思案しても答えの出ない苛立ちが、欠伸となって出ていたらしい。

 叱責したのは、俺と並んで校門に立つ遠藤えんどう聖子せいこ先輩だ。


「すみません、夜寝れてなくて」

「まあ眠いのは仕方ないけどね。人前では隠すのがマナーだよ」


 ボブカットの髪を揺らして、遠藤先輩は口角を上げる。

 片腕をさする先輩の笑顔を見ると、俺の胸中にカッと熱くなるものがあった。


 遠藤先輩には2つの肩書がある。

 ひとつは「風紀委員長」、もうひとつが「学園のアイドル」だ。


 黒い艶やかなボブカット、ブラウンの涼し気なキツネ目、紺のブレザー制服をきっちり着こなす様は、俺と同じ高校生とは思えないほど大人びている。

 これだけ容姿に恵まれていながら、所作振る舞いは上品で学業も優秀。おまけに親しみやすく優しい性格なのだから、学園中の男がファンクラブを作るのも納得だ。


 どういう因果か、風紀委員なんて貧乏くじを引いた俺は、幸運にも毎朝遠藤先輩の隣で挨拶活動をしている。

 先輩の隣に立つことを望む男がどれだけいるか。それを思えば、多少の嫉妬も理解できる、なんてことはない。


「遠藤先輩おはようございます!」

「今日もお美しいですね!」

「昨日の夜も――になってたんですか!?」

「応援してます――、いつもありがとう!」


 道行く男子生徒は口々にそう言う。

 一緒に挨拶している俺には目もくれず、遠藤先輩にだけ鼻を伸ばすのだ。もちろん逆の立場なら俺もそうする。


 遠藤先輩はひとりひとりに笑顔を向けて「おはよう」とか「ありがとう」とか返していて、そういう気配りがアイドルの秘訣なのかもしれない。

 

 やがて始業のチャイムが鳴り、俺と遠藤先輩は教室へ戻った。


「そういえば先輩、腕怪我したんですか?」


 ふと気になっていたことを尋ねる。


「ん、どうして?」

「なんか腕を庇ってるみたいだから」


 ブレザー制服の片腕に目をやると、遠藤先輩は困ったように顔を綻ばせる。


「えっと、蹴られちゃって……」

「え、大丈夫なんですか!?」

「まあちょっと痛むだけだからね」

「それならよかったですけど……。それにしても、先輩を蹴るなんて最悪な奴ですね。学校の男子全員が復讐に行きますよ」


 頼もしいね、と遠藤先輩は照れ笑いを浮かべた。

 先輩の怪我に気付いたのは、今日はまだ俺だけなのだろうか。こんな些細なことでも、自分だけが知っている先輩の秘密は尊いと思った。


「でも悪い奴からみんなを守るのが私の役目だからさ。私は――」


 私は、の後が聞き取れなかったが、それをわざわざ聞き返すのも野暮ったいので、何も言わずに頷いた。


「俺も先輩のことを守れるようになりますよ」

「うん、ありがとう」


 また放課後に、と言って俺たちは分かれた。


 クラスに戻ると、友人の鈴木が声を掛けてくる。


「佐藤、お前今日も遠藤先輩と一緒だったな」

「まあ風紀委員だからな」

「いいなーこんなことなら俺も委員会入ればよかったぜ」


 1年生の間にも遠藤先輩のファンは多い。

 鈴木もそのひとりで、上級生が告白して玉砕したと耳にしてはほくそ笑む。


「風紀委員だからって先輩と付き合えるわけじゃないからな」

「付き合うなんて夢のまた夢だよなあ。なあ佐藤、お前遠藤先輩のタイプとか知らないの?」

「んー、まあ正義感ある人が好きとか言ってたなあ」

「正義感……ゴミ拾いでもしてみるか」


 ゴミ拾いというのがあまりに拍子抜けで、俺は吹き出しそうになった。

 本当に正義感を振りかざすなら、例えば、アイドルを適応障害に追い込むような奴を焼き殺すくらい、してみたらいい。


「おかげで学校が綺麗になるよ」

「まーでも無理か。遠藤先輩なんて、見るだけで十分だからな」

「そんなんでいいのか?」

「だってよさ、彼女が学園のアイドルで、しかも――なんだぜ」

「ん、なんて」

「だからさ、――」


 二度聞き返しても鈴木の言ったことが聞き取れず、面倒くさくなった俺は「まあな」と適当に流した。


★★★


 今日のニュースは、魔法少女セイが怪人・ラヴの魔の手から男性を救ったと、一日中報じていた。

 男性は全身に火傷を負う重傷を負ったものの一命は取り留めたという。映像の中で、何度も魔法少女への感謝を口にしていた。


 なぜクズが焼かれる羽目になったのか、誰も気に留めない。

 適応障害に追い込まれたアイドルのことなど誰も覚えていないのだ。


 こんなことが許されていいのか?


「なあ、お前はどう思う?」


 深夜。病院。屋上。


 報道映像が出回っているので、例の男が入院している病院は容易に突き止められた。

 殺し損ねた罪人を、今日こそ。


 そんな俺を、魔法少女セイが見逃すはずはなかったのだ。


「……昨日も言ったはずよ。人殺しをしていい理由にはならない」


 冷たい夜風に揺られると、白銀の髪はふんわりとなびいた。

 ありきたりな言葉に呆れて、俺はフェンスに体重を預ける他なかった。


「なあ、セイ。お前にとってのアイドルは誰だ?」

「アイドル?」

「俺にとってのアイドルは、正義を愛する人だ。そして誰も裁かない連中を裁くことが俺の正義だ。魔法少女セイ、お前の正義はどこにある」

「私の正義は、命を奪うあなたを止めること」

「つまらん正義だ」


 問答は終わった。

 俺は深い夜を掴むと、そこから禍々しいオーラを引き抜いた。

 闇エネルギーの集合体は、凄まじい質量を伴って幾何学な図形を形作る。


 夜から取り出した闇エネルギーを、そのままセイに投げつけた。


「“深紅の可憐レッド・ピース・イート 盾魔法シールド”!!!」


 詠唱と共にセイがステッキをかざすと、真っ赤な花弁の盾が現出してエネルギー弾を防いだ。

 舞い上がる暗黒の粉塵を掻き分けて、俺はセイに襲い掛かる。


 複雑な儀式を手指の動きで代替し、闇のオーラで剣を生成して斬りかかった。


 闇の剣と深紅のステッキが交錯する。

 衝突音とも金属音とも違う、重たく鋭い音が大気を裂いた。


 俺とセイの武器が交錯し、弾き合うのも束の間。即座に切り返して二撃、三撃と繰り返す。

 剣戟が赤い閃光と黒い噴煙を撒き散らす。闇の剣がセイの肢体に食い込み、真紅のステッキが俺の身体を打った。


「グ、ルァァァァァァ!」

「“深紅の可憐レッド・ピース・イート 殴魔法スタッフ”!!!」


 唸り声と詠唱。黒と赤。正義と正義。

 剣とステッキが衝突し、生み出された衝撃波がフェンスを薙ぎ倒した。


 数瞬、数秒、数分にも感じられる鍔迫り合いの末に、押し切られるのはセイだった。


「隙を見せたな!」


 態勢の崩れた無防備な胴体目掛けて、闇のオーラを無造作に噴出する。

 回避も防御もできないセイに攻撃が直撃する。そんなことは、なかった。


「“深紅の可憐レッド・ピース・イート 光線魔法レーザー”」


 コンマ以下のわずかな間とは思えぬほどの、素早く的確な詠唱。彼女セイの唱える魔法は美しく、その湿っぽい滑舌に聞き惚れさえした。


 突如、セイの周囲にいくつもの赤い光が現れ、太い光線が一斉に放たれた。

 途方もない質量と熱を持った光線魔法が襲い掛かる。眩いばかりの真っ赤な光が、俺の視界を覆った。


 咄嗟に闇のオーラを眼前に集中させレーザーを防ぐ。視界いっぱいの赤い光は、たちまち暗黒に塗り潰された。

 しかしいくつかのレーザーが闇を貫いて、俺の体をかすめた。


「グッッッ……!」


 灼熱の光線に肌を貫かれ、鋭い痛みが全身を迸った。


「これで、おしまいよ」


 態勢を整えたセイが、ステッキを振りかざしてこちらに向かってくる。

 その先端は赤く煌めいていて、夜の闇を容赦なく照り晴らしていた。


「ふん……ここは身を引こう!」


 もはや勝機は見出せない。俺は暗い濃霧を噴出させると、後方にステップを踏んだ。

 闇のエネルギーを跳躍エネルギーに変換して、疑似的に飛翔する。俺の逃亡パターンはそれだ。

 フェンスを踏み台にするために思い切り飛び出すと、俺の両脚は、宙に浮いた。


「!!!???」


 混乱するばかりの頭で、思い出した。

 先ほどの衝撃波が、フェンスをぐしゃぐしゃに破壊したばかりじゃないか。


 余りに自分が愚かなので、苦笑するしかなかった。

 後悔しても遅い。俺は落下していくばかり。


 しかし、俺の手を誰か――いや、魔法少女セイが掴んだ。


「ラヴ!!!!!」


 セイの声は悲鳴に近かった。

 しかし俺の闇魔術には絶大なサイズの質量がある。セイの馬力では到底支えきれない。


 そんなこと、セイは知っていたのだ。


 セイは全身を回転させると、俺を屋上に投げ飛ばした。

 遠心力によって俺はコンクリートの床に投げ出され、入れ替わるように、セイは宙に飛び出た。


「魔法少女セイ……!」


 ――殺していい理由にはならない。


 彼女の正義を思い出す俺の目の前で、魔法少女は呆気なく落ちていく。


★★★


 病院の屋上には誰もいない。騒ぎを聞き付けた関係者は、魔法少女セイと怪人ラヴが戦闘していると知って、すぐに避難したはずだ。

 例の男も別の病院に移っているに違いない。やれやれ、探し直しじゃないか。


「フ、フフフ……ハハハハハハハハハ!!!!!!!!!」


 感情を誤魔化すべく、俺は笑った。


「バカだ、バカだな魔法少女セイ! お前がいなくなったら誰が俺を止める! 俺に立ち塞がる別の正義がなければ、俺の正義が正しかったと証明されるじゃないか!」


 そうだ、俺の正義が証明されるばかりだ。魔法少女セイは俺を助けたが、それは彼女なりの正義なのだ。もしも魔法少女を誠実に弔うなら、俺は俺の正義を貫くべきなのだ。


 やることがたくさんある。例の男を探さなければならない。魔法少女セイが認識阻害魔法を解析したプロセスも調べよう。いや、まずはここから逃げなくては。


 魔法少女の死は翌朝にでも報じられるだろう。彼女は有名人なのだ。


 足取りは軽い。俺を阻み続けた魔法少女の死。それに惑わされず、正義を遂行することに決心が付いたのだから。


 明日遠藤先輩に言ってみよう、と思った。俺は正義感ある男なんですと、そのくらい言ってもいいだろう。先輩は喜んでくれるだろうか。

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