私の筋肉が悲鳴をあげているんだ

ケー/恵陽

私の筋肉が悲鳴をあげているんだ

「肥えたお前に用はない」

 言い捨てた彼に私は激怒した。

 確かに、控えめに言っても私はふくよかだ。しかしながら体のどこもかしこも柔らかくて、友人たちにはとても好評である。お前もさわり心地がよくて好き、なんて可愛こぶって言っていただろうが。

 まあ、付き合いたてほやほやの頃の話だが。当時はまだ今ほどの体重ではなかったことも付け加えておく。

 怒りを覚えたのはもっともだが、これ以上の関係修復は望めない。彼とはもう縁のない関係になった。これ以上の怒りを奴に向けてもどうしようもないことはわかっている。もう一度一緒になりたいとも、思っていない。

 ただ言葉は選べよ、とすごくすごーく思うのは当然の話だと思う。

 しかし現実として、自分も少しお菓子を食べ過ぎたかも、なんて思っていたこともあって少しは運動をしようと考えた。


***


 ダイエットといえば運動だ。といってもふくよかな体型から分かるとおり、得意ではないのが運動だ。ならば得意な人に教えを請おう。

「ということで、色々教えてください」

 同じマンションに住んでいる同い年の友達のよっちゃん。ちょうど近い時期に入居したこともあり、仲良くなった。何より彼女は趣味が運動というとてもマッ……スレンダーな人だ。こういうときには頼るに限る。

「ゆあちゃん、そんなこと言われたの? それはさすがにないよねえ」

「でしょでしょ! 言い方を考えなさいよって感じだよ!」

 簡単に経緯を伝えると、めちゃめちゃ引いてるよっちゃんだ。あの言い方はさしもの私も許せないよ?

「でも運動に興味持ってくれたのはうれしいな」

 身長も高くてマッ……スレンダーなよっちゃん。ここまでならなくてもいいけれど、ちょっとだけ近づけたらうれしい。

 その日はさすがにすぐに運動というわけにはいかなかったので、日を改めてよっちゃんに付き合ってもらうことになった。


***


 よっちゃんの一日はジョギングから始まる。……のだが、さすがに私がジョギングで付き合える気がしないので、ウォーキングをすることになった。本当よっちゃん助かるよ。

 エレベーターを使うところを階段を使ったり、バスで一停分歩いてみたり、それくらいならすることもあった。けれどきちんと意識してウォーキングはしたことがない。

「ゆあちゃん。ウォーキングは正しい姿勢でやるのが大事なんだよ」

 そういって見本をみせてくれるよっちゃん。

 背筋を伸ばし、あごを引いて、目線は遠くにやるようにするらしい。

「肩の力は抜いて、腕は大きく振った方がいいね」

 腕を大きく振りながら、腰も回転させる。私の周りをぐるっと回って、ゆあちゃんも、と私を誘う。これなら出来そうだ、とよっちゃんの後に続く。

 まずは教えてくれたように姿勢を整えて、大きく腕を振りながら足を踏み出す。思ったよりも軽く足を踏み出せた気がする。

「もっと腕を振って!」

 よっちゃんの声につられてさっきよりも更に腕を振る。そうすると自然と腰も回転した。

「つま先じゃなくてかかとで着地するといいよ」

 そういえば着地する部位までは気にしていなかった。その方が踏み込みがしっかり出来るらしい。

「いいよー!」

 よっちゃんに褒められて、いい気分になる。

 意気揚々と歩を進めていくが、ほどなく汗が滴ってくる。こんなにも汗って出るものだったかな。時計を見ればそれなりに時間は経っていたようだ。

「よし、神社まで行って休憩しようか」

「わ、わかった」

 ここから十分くらいの距離にある神社を目指す。ただ坂道なんだよね、と思いながらも十分くらいなら何とかいけるだろうと汗を拭いて歩いて行く。

 十分は十分。たかが十分、されど十分。あと百メートルくらいの場所で、私は立ち止まった。

「……ちょっと休憩しようか。そこの壁に背中あずけるといいよ」

 民家の壁に手をついて、息を整える。よっちゃんもここまで私が駄目だとは思っていなかったんだろう。けど実際は五分歩くことすら出来なかった。だらだら歩いているわけではなく、姿勢を整えて腕も振ると結構な体力を使うと初めて知った。

「ゆあちゃーん、はい」

 自動販売機でよっちゃんが買ってくれた水を飲んで小休憩する。

「落ち着いたら、今度は普通に歩いて神社に行こうか。ゆっくりでいいからね」

「ごめんね、よっちゃん」

「ううん。最初だからね。わたしも飛ばしすぎたよ」

 笑って許してくれるよっちゃんが眩しい。

「これで運動好きになってくれるなら、全然いいよ-」

 あ、違う。これは運動仲間を増やそうとしているだけだ。さすがぶれないな、よっちゃん。

 でも今回はとても助かるので、乗っかろう。そのうち本当に運動が楽しいと思えてくるかもしれない。ただマッチョにはならなくてよいけど。

 神社まではよっちゃんと軽くおしゃべりしながら歩いた。こうやって他愛ない話をしながら歩くのは全然大丈夫のようだ。折角なので神様に挨拶をして、神社を抜けた先にある空き地に来た。よく日曜の朝とかに年配の方々がゲートボール的な何かをしているところだ。

「さて、じゃあ、ここでするのは体操です」

 楽しそうに手を挙げて、よっちゃんが言う。ウォーキングする前に軽いストレッチならばしたけれど、それとは違うらしい。

「まずはわたしの見よう見まねで動いてみてね」

「わかった」

 気をつけの姿勢をしたよっちゃんが体全体を少し緩めた。S字のようになったところで両手を軽く突き出した。そこからゆっくりと腕を動かしていく。それと同時に体全体も何だかまるく動いていく。球体を体のあちこちで回しているみたいな動作だ。

 これなら出来そうだ。さすがよっちゃん、と思いながら彼女の動きを真似る。

 ゆっくりと動きは速くないのに、私はまた息が切れてきた。速い動きは一切なかったのに、足腰や腕に見えない荷物を載せられているようだ。

 よっちゃんは私の様子を見て、頷く。

「呼吸は止めちゃ駄目だよ。よくテレビとか見たことない? あれだよ、太極拳」

「ああ!」

 何か見たことのある動きだと思った。私は納得して手を叩きそうになったが、声だけで我慢した。緩慢な動作は逆につらいって聞いたことがある。正に今の私だ。

「よーし、終わり―!」

 倒れはしないが、深い息を吐き出す私をよっちゃんは爽やかな笑顔で眺めている。さすがに今度はよっちゃんも汗をかいている。

「さ、休憩したら、帰ろっか」

「もういいの?」

「初日だからね。楽しんでもらえないと続かないでしょ」

 それはそう。同意して、帰りは楽しくのんびり帰ってきた。

 心なしか体も軽くなったような気がする。

 そう思った翌日、だが私は起きられなかった。


***


「ゆ、ゆあちゃん?」

 心配と驚きがよっちゃんの顔に現れている。

 自分でもここまでとは思わなかった。そういえば以前運動と呼ばれるものをしたのはいつだったか。多少の筋肉痛は覚悟していた。しかし動くたびに私の体中をピキピキいわせるものは何なのか。こんなにも筋肉痛とはつらいものだっただろうか。

 ……覚えがないな。

「ごめん、よっちゃん」

 苦笑いを浮かべるよっちゃん。大丈夫、運動はまだ嫌いになってないよ。好きかは判別つかないけれど。ただ昨日と同じものをまたすぐにするのは無理だ。だから本当に軽い運動から、そう例えばこれならいけるだろう。 

「ラジオ体操からにしてもらっていい?」

 私がいま考え得る精一杯の軽い運動だ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の筋肉が悲鳴をあげているんだ ケー/恵陽 @ke_yo_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説