第36話
疲労が限界を超えていたノワールは、オレが目を覚ましたことで安心したのか、そのまま深い眠りへと落ちていった。
彼女の身体をベッドへと寝かせ、毛布をかける。
そのとき、扉を叩く音が響いた。
――コン、コン。
控えめながらも、どこか迷いのない音。
家の扉が静かに開く。
夕日を背負い、立っていたのは一人の青年だった。
「レオン。目が覚めたか?」
「……ユリウス!?」
オレが驚くより先に、エリシアの声が弾けた。
その声音は、まるで思いがけず厄介な相手と鉢合わせしてしまったかのような……強い戸惑いを帯びていた。
彼女とユリウスはシナリオの強制力によって運命に縛られていた者同士。
自分の意志と関係なく、否応なくユリウスに心惹かれてしまったエリシアにとって、ユリウスはあまり顔を合わせたくない人物なのかもしれない。
……それだけじゃない。
ユリウスは神の影響を色濃く受け、世界の意思に従い動く『駒』のような存在だった。
だが――。
「大丈夫だエリシア。ユリウスとオレは……和解したんだ」
「……え?」
エリシアが、まばたきを繰り返しながらオレを見つめる。
不安と驚きが入り混じった表情だった。
オレとユリウスは夢世界での激闘を繰り広げた。
その結果、彼は運命の縛りから解放されたのだ。
ユリウスはもう神の駒じゃない。1人の自由な青年なのだ。
「気分はどうだ? レオン」
ユリウスが静かに問いかける。
かつて闇落ちしていた彼の禍々しい雰囲気は、嘘のように消え去っていた。
まるで曇天の空が晴れ渡ったような、穏やかな表情。
その右手には、オレを夢の世界から解き放った『聖剣』が握られている。
「少しダルいけど、問題ない」
「そうか」
ユリウスは目を細め、ふっと小さく笑う。
「キミには改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
「もういいって……」
気恥ずかしさをごまかすように、軽く肩をすくめる。
「私はもう、勇者ではない」
ユリウスは、真っ直ぐオレを見据えながら、静かに言った。
「そんなことはないさ。お前はやっぱり勇者だろ?」
「……いや。魔王を倒し、世界を救うことが勇者の役目だとするなら、魔族と和平を結んだ今、勇者はもう不要なんだ」
ユリウスの声には、どこか寂しさが滲んでいた。
彼の言うことには一理ある。
けれど――。
「魔王を倒すことだけが勇者じゃないと思う。世の中には、勇者の力を必要としてる人がまだたくさんいるんじゃないか?」
オレの言葉に、ユリウスは少し驚いたように目を見開く。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……私にもできること、か」
「ああ」
その瞬間、ユリウスは小さく笑い――。
「レオン。この剣をキミに託したい」
聖剣を、オレの前へと差し出した。
「……いいのか? これは勇者の証だろ?」
「ああ。他でもない、キミに持っていてほしいんだ」
オレは迷いながらも、そっとその剣を受け取る。
――次の瞬間。
ズズズ……。
オレの手の中で、何かが蠢いた。
空気が一変する。
黄金の輝きを放っていた聖剣が、みるみるうちに漆黒へと染まっていく。
まるで、光が闇に喰われるように。
刀身の輝きは鈍く黒く変貌し、周囲の空間そのものが歪むような錯覚すら覚えた。
そして――頭の奥に、誰かの『声』が響いた。
『神を殺せ、神が作った世界も、すべて壊せ――』
――ぞくり。
肌を粟立たせる悪寒が駆け上がった。
いや、それだけじゃない。
何かが――オレの中で目覚めようとしていた。
この剣を振るえば、何かが変わる。
いや、全てが変わる。
そんな確信にも似た感覚が、心の奥からじわじわと広がっていく。
「っ、レオン……?」
エリシアの震える声が、どこか遠くに聞こえた。
オレは慌てて剣から手を離す。
――バチンッ!!
空間が弾けるような音を立て、剣は床へと落ちた。
その刹那、黒いオーラが弾け飛び、静かに霧散していく。
「今のは……?」
聖剣を渡したユリウスも戦慄していた。
重い沈黙が、場を支配する。
そして――ヴェルゼリアが、静かに口を開いた。
「……気をつけてください、レオン様。それはもう、聖剣ではありません」
「……?」
「おそらく、それは『神殺しの剣』でしょう」
「神殺しの剣――?」
オレの喉が、かすかに音を発した。
ヴェルゼリアは床に落ちた剣をじっと見つめながら、淡々と続けた。
「それは、途方もない力を与える代わりに、使用者を蝕んでいく両刃の剣。世界そのものに敵対する、禁忌の武器です」
オレは、ゆっくりと剣を見下ろした。
確かに、さっきまで握っていたそれは『聖剣』とは程遠い、禍々しい代物だった。
無意識に、拳を握る。
――聖剣が、なぜこんなものに?
オレに備わっているという『世界の運命を変える力』がそうさせたのか?
『神殺しの剣』――。
その名を持つ剣の力は、オレを蝕もうとしていた。思考が、まるで染まるように侵されていく感覚。
……これは、世界を壊す力なのか――?
それとも……。
静寂が、場を支配していた。
黒く染まった剣が床に転がり、微かに燻るような闇の気配を放っている。
今は静かだが――その力の片鱗を垣間見ただけで、これが『ただの剣』ではないことは明白だ。
オレは、ゆっくりと頷く。
――『ここぞ』というときまで、この力は封じるべきだ。
それが、この剣に飲まれないための唯一の方法だと、本能的に悟っていた。
そんなオレに、ユリウスはどこか満足げに頷く。
「……やはり、キミなら大丈夫そうだな」
「ユリウス。お前、最初からこうなると知ってたのか?」
「知らなかったさ。ただ……レオン。キミになら『渡してもいい』と思えた」
ユリウスの言葉に苦笑する。
こいつは、妙なところで人を信じるヤツだ。
「それで、お前はどうするんだ?」
「私は――旅に出るよ」
ユリウスは、少し寂しそうに微笑んだ。
「勇者としての役目は終わった。でも、レオンの言うように、私を必要としてくれる人が、まだどこかにいるはずだからな」
「……そうだな」
オレは、静かに頷いた。
シナリオから解放されたユリウスは今、自由だ。
かつては勇者という枷に縛られていた彼が、ようやく自分の意志で未来を選べるのなら、それはきっと良いことなのだろう。
だがオレには、気になることがあった。
「なあユリウス、教えてくれ。どうやってオレの夢に入ってきたんだ?」
気になったのは……。
神の力によって眠らされていたオレの、夢に入ってこれた理由だ。
エリシアとヴェルゼリアは、オレの夢に干渉することも出来なかった。
ユリウスは、その強固な世界にすんなりと入ってきた。
「村の近くの祠に、神の力を宿した石がある。それを使いキミの夢に入った」
「祠に?」
「ああ、私はそこからここへ来た。目覚めたときには石は無くなっていて、もぬけの殻になっていたけどね」
「そうか……何も無かったか」
神につながる手がかりが見つかればと思っていたが、そう上手く行かないみたいだ。
「神には協力者がいる。私を祠に導いたのはそいつだ」
「……」
「そして……恐らく『神殿』には何かある。私が神から力を授かった場所でもあるからね。もしかすると、そこに……」
「分かった、オレたちは神殿に行ってみよう」
オレは拳に力を入れる。
神殿が神との決戦の場になる。……そんな予感がする。
「何があるかわからない、十分に気をつけるといい。じゃあ、私はそろそろ行くとしよう」
「ああ、情報をありがとう」
ユリウスは立ち去ろうとしたが――。
「そうだ……エリシア」
ユリウスが、不意にエリシアへと視線を向ける。
「最近、村の外へ出たことはあるか?」
「え?」
エリシアは、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに首を横に振る。
「いいえ。私はずっと村にいたけど?」
「……そうか」
ユリウスは、微かに目を伏せた。
「何か、気になることでもあるの?」
エリシアが尋ねると、ユリウスは少しの間、沈黙した後――。
「……いや。気にしないでくれ」
それだけを残して、話を打ち切った。
だがオレは、そのわずかな間にユリウスの表情が険しくなったのを見逃さなかった。
――何かを知っている。
そう確信したが、それ以上、口に出して問いただすことはしなかった。
ユリウスは、改めてオレの方へ向き直る。
「では、私は行くよ。………………レオン」
「ん?」
「……もしかしたら、の話だが」
彼は、ふっと表情を引き締め、オレにだけ聞こえる声で囁いた。
「『彼女』には気をつけたほうがいいかもしれない」
「……彼女?」
オレの眉に力が入る。
だが、ユリウスはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、ひとつの微かな警告を残し、踵を返した。
「……じゃあな、レオン」
そう言って、ユリウスは夕闇の中と消えていった。
その背中をしばらく見送っていたが――やがて、心の内でポツリと呟いた。
……彼女って、誰のことだ?
その沈黙を破るように、ヴェルゼリアが静かに口を開いた。
「レオン様、ユリウスは……何かをご存知なのでしょうか?」
普段と変わらない優しい声色だが、その瞳には僅かながらも憂慮の色が浮かんでいるように見えた。
隣を見るとエリシアが、不安げにオレを見つめていた。
けれど、オレ自身も、それに対する答えはまだ持っていなかった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます