5 そうだ。ドラマーになろう。

 父のような遊び人の才能を幼いうちから発揮していたかどうかは知らないが……母には「真っ当な道からはずれると食いっぱぐれる」と何度も言いつけられて育った。


そんな母の思惑とは異なり、僕は勉強よりも美術や音楽が得意であり、毎日家で何か(曲や絵や木工細工など)を創っていた。


だから僕はそんなことを思い返すたびに、「才能というものは教育出来るものでは無い」と思うし、「まして本人が才能を選ぶなんてことは絶対にできない」と思う。


 そして僕は自分のそんな——「勉強よりも音楽や絵が得意なキリギリス的才能」を自慢できる物だとは思ってはいない。


母の教育の所為も多分にあると思うけど、それよりも才能とは磨いてこそ意味があって……「ただなんとなく発散させていた物」は才能とは呼べない物だと思うから。


 ともかくそんな感じで「何かを創る」ことが好きな僕だったが、逆に自分が飽き性な事も自覚していた。


だからこそ「飽きずに何かを創り続ける事はできないのか?」というのが青春時代の僕の課題だった。……芸術家を目指している訳でもないのに。


だからという訳でもないが、ドラムセットという楽器を選んだとき「この楽器なら飽きそうにない」と思った。


 楽器の性質上、ドラムは主役には成れない。なぜなら音階が無いから。当然といえば当然だけど……楽器を選ぶ上でこれは重要な点だと思う。


なぜならミュージシャンを志す者は、誰だって少なからず「なにかの主役になりたい」って思うだろうから。


 しかしそんな欠点よりも、リズムだけ(あるいは音の強弱だけ)で音楽を形作れるドラムが、僕にとっては新鮮にうつった。


それと、「バンドの中で唯一音階が無い楽器」という点も僕の挑戦心というか……変態心をくすぐった。


不自由の中に飛び込んでそれを極めることで、自分の創作の幅を拡大できるような気がした。


だから僕は、「自分にとってチャレンジングな楽器」であるドラムのことを「飽きそうにない」と思った。


 あと、この際だから正直に付け加えると……ほんの数%だけだが……「ドラムをするとモテるのでは無いか?」という思いもあった。


……しかし以前にも述べたようにその最後の数%の想いは、僕にとって「完全にファンタジーな下心」になるわけだけれど……。


 とにかくさまざま想いをもって、10代の最後の年に、僕はドラマーになった。

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