第14話(前編)――「倉庫の贈答と三方針」
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『忘れられた皇子』(第十三章第14話)【作品概要・地図】です。
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『忘れられた皇子』(第十三章第14話)【登場人物】です。
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前書き
992年5月24日早朝、
本文
992年5月24日午前6時、薄い朝靄が四合院の屋根瓦を湿らせ、庭の砂利は夜露を含んでしっとりと黒ずんでいた。
木戸が軋むや、冷えた空気の奥で光が跳ねた。積み上げられた黄金の塊は朝陽を弾いて濡れたように輝き、白銀の延べ棒はひやりとした鈍い光で並ぶ。絹織物の反物は淡い花粉のような糸埃を空中に舞わせ、香木や薬草は乾いた土の香りと薬効の苦みを鼻腔に残した。陶磁器の釉は静かに光を収め、貴石の装飾品は鳥の目玉のように倉の暗がりを見返している。
食料品の木箱からは干し果の甘い匂い、酒樽からは立ちのぼる酵母の温かな気配。片隅には唐草を彫った短剣や、細工の見事な武具まで積まれていた。
「……これは」
「このままでは、盗まれる危険もあるな……」
贈答の山を私的に受け取ることは、統治の正しさを濁す。
「……家臣を召集しよう」
朝の光が差し込む小会議の間に、信頼する側近が揃う。軍備と警備を預かる
「ここ数日、私邸に持ち込まれた金品が膨大となり、倉庫は満杯になった。このまま放置するわけにはいかない。どう処理すべきか、意見を聞かせてほしい」
まず
「一部を軍の備蓄に充てるのが良いでしょう。特に食料品や酒類、布地は、兵たちの生活に役立ちます」
続いて、木箸を置いた
「貧民に施すのも一つの手かと。近ごろ、
しかし、帳面を繰りながら
「……施しに使うのは良い案です。しかし、すべてをただ配るのは避けるべきでしょう」
「どういうことだ?」
「中には贈った者が後々、見返りを求めてくる者もいるでしょう。もし彼らが『あの時献上したから、特別な便宜を図ってほしい』と言ってきたらどうされますか?」
「つまり、献上者の意図を見極めるべきだということか?」
「その通りです」
その場で、献上品と献上者の洗い出しが始まった。書吏が札を持ち、印の押された木札を列に差してゆく。香の煙が細く揺れ、筆の走る音が畳の上にさらさらと落ちる。
「……ある商人が大量の金品を送ってきているが、その商人が最近、
「ふむ」
「また、もう一人の富豪は、
「つまり、ただの贈答ではなく、政治的な駆け引きということか……」
静かな沈黙が落ち、紙の匂いと茶の甘みだけが残る。やがて
「——ならば、こうしよう」
方針は3つに定まった。第一に、贈答品はすべて「私的に受け取らぬ」と宣言し、誰が何を献上したか、月ごとに記録を作って公表するのである。帳簿は閲覧可能とし、不審の影は早期にあぶり出す。
第二に、用途を公に仕分ける。軍備と倉の補充に回すもの、貧民救済に充てる食糧・衣服、そして余剰の贅品は公売して公共資金に編入する。倉の戸前には仕分けの札を掲げ、行き先を誰の目にも明らかにする。
第三に、政治的な思惑の色が濃い献上は慎重に扱う。必要とあらば受領を断り、献上者を呼び出して意図を正す。
数日ののち、決定と仕組みが告げられると、街はすぐに反応した。青果の露店の陰で、魚の匂いと胡麻油の香りが混じる中、民の声が弾む。
「さすがは新しい
「権力を持つ者が、こうも清廉であらせられるとは……!」
一方で、帳合いに長けた商人たちは顔を曇らせる。
「これは警戒すべきだ……」
贈答はもはや密やかな合図ではない。記録され、公に管理されるものとなった。
そして2日が過ぎ、992年5月26日午前9時。朝の光が白壁を洗い、
外の広場から、鋭い罵声が弾けた。
「これは偽金だ!この詐欺師め!」
「冗談じゃない!私は代々、金細工を生業にしてきた。こんな汚名、着せられてたまるか!」
騒ぎの主は、金細工職人の
「
「私の店で買った指輪が偽金だったのです!」商人は拳を振り上げ、怒気を露わにした。「これが本物なら、昨日、金貨と交換した際に受け取った額が少ないはずがない!」
「嘘だ!私は偽物など作っていない!」
「金は熱すればその性質を表す。純金ならば溶けても色が変わらぬが、混ぜ物があれば異変が出る」
鋳金師が火床に炭を寄せ、ふいごが息を吹きこむ。火の赤が金に映り、金属の甘い匂いが鼻先を刺す。
「では、この指輪を試してみるとしよう」
人々が固唾を呑む。ほどなくして、熱に晒された指輪はなお鈍い黄金の光を保っていた。
「ほう。偽金ではないな」
「では、そなたはなぜ、この指輪が偽物だと思ったのか?」
商人の喉仏が上下し、視線が泳ぐ。やがて搾り出すように白状した。
「……実は、別の場所で手に入れた金貨が偽金だったのです。それで、こちらの指輪も偽物ではないかと疑っただけで……」
「つまり、お前が偽金をつかまされた腹いせに、
「そ、そんなことは!」
「証拠が出た今、そなたの言い訳は通らぬ」
商人の顔色がすっと褪せ、
「閣下……私の無実を証明してくださり、ありがとうございます」
後書き
贈り物は私物から公の財産へと扱いが変わり、民は透明さを評価し、利権を狙う商人は動きを鈍らせる。ここで行政の土台が整い、このあと市場改革と汚職対策を具体化できる段取りができた。
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