第3話……商人への道(中編)

前書き

李蘭リ・ランが商人としての基盤を築くために、綿布、麻布、苧麻ちょま布をそれぞれ1匹(約45メートル)ずつ高郵ガオ・ヨウで仕入れ、巧妙に分割販売する方法を導入した。彼女は布を丈単位(約3メートル)にカットし、庶民が購入しやすい価格設定を行うことで、商売の幅を広げ、地域社会における信頼を確立した。また、製品化やカスタマイズ販売を通じて、顧客の多様なニーズに応える努力も見せた。


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🟦『忘れられた皇子』【地図】

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 980年2月14日、冬の名残を含んだ冷たい風が、揚州ヤンジョウの町並みを吹き抜けていた。


 高郵ガオ・ヨウから戻ってきた荷馬車が3台、きしみながら大運河沿いの通りを進んでいく。車輪は、昨日まで雨に濡れていた土を踏みしめ、ぬかるみをはね上げながら、ゆっくりと進んだ。


 荷台の上には、綿布、麻布、そして苧麻ちょまの反物が、ずっしりと積み上げられている。粗く織られた布の匂いに、木箱や縄の繊維の匂いが混じり、冬の乾いた空気にのって店先まで流れてきた。


 先頭の馬車の傍らを歩く李蘭リ・ランは、吐く息の白さを確かめるようにふっと息をつき、隣を歩く柴風チャイ・フェンに視線を向けた。少年の頬は寒さと高揚のせいで赤く染まり、戻ってきた自分たちの店を見つめる目は、期待に輝いていた。


 店は運河に近い通りに面した、2階建ての店舗兼住居である。木の引き戸には、長年の手垢で磨かれたような光沢があり、庇には薄く霜が残っていた。店先の格子戸を開け放つと、室内に残っていた乾いた木の匂いと、茶の葉の香りがふっとまじり合った。


 護衛たちが荷を降ろし、反物を肩に担いで運び込んでいくたび、布の束が土間の上にずしりと沈む音が響いた。綿布の柔らかな白、麻布の素朴な薄茶色、苧麻布のわずかに青みを帯びた灰色。それぞれの布地が、薄暗い店内に新しい景色を描き出していく。


 ◇ ◇ ◇


 今回、李蘭が高郵ガオ・ヨウの生産農家から仕入れたのは、綿布と麻布、そして苧麻布を、それぞれ100匹ずつであった。


 1匹(1反)は約45メートルである。

 1匹あたりの仕入れ値は次の通りである。


 綿布……800文

 麻布……550文

 苧麻ちょま……650文


 計算すれば、仕入れ値の総額は、(800+550+650)×100匹=200,000文=200両となる。


 店の奥の帳場で、李蘭は算盤を軽快に鳴らし、紙の上に墨の匂いを漂わせながら、数字を書きつけていった。木玉がぶつかる乾いた音は、彼女にとって戦場で鳴る太鼓のようなものである。


 まず考えるべきは、自宅店舗での基本となる価格設定であった。


 彼女は、1匹単位での卸売価格を、次のように決めた。これは卸売業者にまとめて売る場合の価格であり、一般の庶民が1匹単位で買うのは非現実的であるため、小売の話とは別である。


 綿布……800文×1.25=1,000文/匹

 麻布……550文×1.27=700文/匹

 苧麻ちょま……650文×1.23=800文/匹


 3種合わせれば、1匹あたりの販売額は2,500文となる。

 総販売額は、2,500文×100匹=250,000文=250両である。


 仕入れ価格が200両なので、卸売だけでも儲けは50両になる計算である。

 しかし李蘭は、そこから先を考えていた。


 「1匹(45メートル)丸ごと買う庶民はいない」


 彼女は、そう心の中でつぶやきながら、布を実際に使う人々の暮らしを思い浮かべていた。


 ◇ ◇ ◇


 1匹(1反、約45メートル)の布を前にして、李蘭は、その長さを現実の生活に当てはめて考えた。


 まず、単位としての長さである。


 1.(匹)の長さ

 - 1匹(1反):約45メートル


 次に、宋代の庶民が布を買うとき、どれくらいの長さを必要とするかである。家族構成や用途によって異なるが、おおよその目安はこうであると彼女は考えた。


 2.一般庶民の布の購入量


 衣服用としては、

 - 成人男性:上衣1着で約15メートル

 - 成人女性:上衣やスカートなどを合わせて1着につき約20メートル

 - 子供:1着につき約10メートル


 家庭用品用としては、

 - 寝具(布団やシーツ):約30メートル

 - テーブルクロスや仕切り布、簡易なカーテンなどで約15メートル


 こうして見れば、1匹そのままでは長すぎる。

 庶民の財布と生活感覚に合わせるなら、もっと細かく分けて売る必要があった。


 3.布の分割販売方法


 李蘭は、庶民が手を伸ばしやすい長さとして、「丈」を単位に分けることにした。


 a.長さ単位での販売


 布を丈単位(約3メートル)でカットして販売する。これにより、客は必要な量を柔軟に選べるようになる。


 - 1丈(約3メートル)

  - 綿布:1丈を100文で販売

  - 麻布:1丈を80文で販売

  - 苧麻ちょま布:1丈を90文で販売


 この条件で1丈(3メートル)単位に分割販売したとき、1匹(45メートル)分の販売価格は、3,050文である。……注①


 総販売額は、3,050文×100匹=305,000文=305両となる。

 仕入れ価格が200両なので、儲けは105両である。


 さらに、丈をまとめた「お得な束売り」も考えられた。


 - 複数丈のパック

  - 5丈(約15メートル):綿布→450文(通常価格500文)

  - 10丈(約30メートル):綿布→800文(通常価格1,000文)


 これなら、まとまった量を必要とする客にも喜ばれる。


 ◇ ◇ ◇


 b.部分販売とパッケージ販売


 李蘭は、布を単に切り売りするだけでなく、異なる種類を組み合わせた「用途別のセット」を用意することも考えた。


 例えば、家庭用の実用的な組み合わせである。


 - 家庭用セット

  - 綿布5丈(約15メートル)+麻布3丈(約9メートル)

   =500文+240文=740文


 日常の衣類や簡単な寝具を整えるのにちょうどよい量である。


 祭礼のために特別な布を求める者もいる。そんな者には、華やかな仕立てに向いた苧麻布を前面に出した組み合わせがよい。


 - 祭り用セット

  - 苧麻ちょま布5丈(約15メートル)+綿布3丈(約9メートル)

   =450文+300文=750文


 布を「用途ごとに組み合わせて売る」という発想は、人々の生活の場面ひとつひとつを描き出す作業でもあった。


 ◇ ◇ ◇


 c.製品化と加工販売


 布そのものだけでなく、ある程度まで形を整えてから売るやり方もある。

 裁縫の得意でない者や忙しい者にとっては、「すぐ使える形」であることが何よりありがたい。


 - 簡易衣類

  - スカーフ、帽子、袋などの小物を製作し、完成品として販売する。

   例:スカーフ1枚=50文、袋1個=70文


 - 織物キット

  - 自分で縫える者のために、必要な布と簡単な縫い方を書いた紙を添えたキットを用意する。

   例:簡単なテーブルクロスキット=300文


 - 染色サービス

  - あらかじめ染色した布を用意し、さらに追加料金で特定の色に染め直す。

   例:染色追加=100文


 布を触ったときのさらりとした感触、染めたあとのわずかな薬品の匂い、乾きかけの布に残る湿り気。その一つ一つが、商品になっていく過程である。


 d.カスタマイズ販売


 顧客の事情はそれぞれであり、「少しだけ長さを変えたい」「特定の色にしたい」といった細かな願いがある。そこに応えることが、長い付き合いを生む。


 - オーダーメイド長さ

  - 顧客が希望する長さに応じて布をカットする。

   例:特定の長さ(4丈=約12メートル)でのカット


 - 色や模様の選択

  - 染色や簡単な刺繍など、要望に応じて加工を施す。

   例:特定の色に染める=100文追加


 - 用途別提案

  - 衣服、家庭用品、祭事用品など、用途に合わせて適切な布を提案する。


 e.中間業者との協力


 さらに、裁縫師や小さな工房と手を組み、布を加工・仕立てしてもらうことで、完成品として売る道もある。


 - 提携裁縫師

  - 特定の裁縫師に衣服の仕立てを依頼し、その衣服を店頭で並べる。


 - 工房との契約

  - 月ごとに一定量の布を提供し、工房側が完成品を作る。


 - 販売ネットワークの拡大

  - 提携した工房が他地域でも販売活動を行うことで、布の評判も広く伝わる。


 これらはすべて、李蘭が帳場で算盤を弾きながら、同時に頭の中で描いていた「商いの旅路」である。


 ◇ ◇ ◇


 揚州ヤンジョウに戻ったあと、李蘭はついに市場の一角に、衣料品を中心とした店を構えた。


 市場は朝から湯気と声で満ちていた。

 蒸し饅頭のせいろから立ち上る湯気、鉄鍋で油が跳ねる音、焼き魚の香ばしい匂い、香草の青い匂い。人々の声が幾重にも重なり、遠くで叩かれる太鼓や、呼び込みの掛け声が、町全体をひとつの大きな生き物のように揺らしていた。


 その中で、李蘭の店先には、反物が丈単位で美しく並べられた。綿布は柔らかな乳白色、麻布は淡い亜麻色、苧麻布は涼しげな灰青色である。布の端が風に揺れるたび、織り目が光を受けて細かな影をつくり、客たちの目を引いた。


 彼女は、市場での布の販売方法を改めて整えた。前述の通り、庶民が1匹単位で布を買うのは現実的ではない。そこで李蘭は、布を丈単位にカットして売る方針を、はっきりと店の柱に刻み込むような思いで決めた。


「綿布は1丈で100文、麻布は1丈で80文、苧麻ちょま布は1丈で90文と設定しよう」


 帳場の横で、彼女は護衛たちと店の手伝いにそう告げた。

 護衛たちは今や、単なる剣の腕だけでなく、荷運びから客あしらいまでこなす心強い協力者である。


 こうして、李蘭の店は、必要な長さに応じて布を選べる店として評判になっていった。小さな家族から大家族まで、それぞれの生活に合わせて布を買うことができたのである。


 ◇ ◇ ◇


 李蘭は、顧客の多様な事情に応えるため、さらに細かな工夫を重ねた。


 綿布1匹を5等分し、それぞれを20匹分ずつ分割して販売する。麻布や苧麻布についても同様に小分けを用意し、棚ごとに「少量」「中量」「大口」と札を立ててわかりやすく並べた。


 季節や用途に応じたパッケージも考案した。


 夏には、触れるとひんやりした感触のある麻布を中心に、通気性の良い布を組み合わせた「夏支度」の束を用意した。

 冬には、綿布を多めに組み合わせ、保温性の高い寝具や上着に向いた「冬支度」の束を前面に出した。


 店先には、季節に合わせて布の色を変えた見本が吊るされ、風に揺れながら「この先の季節の気配」を客の目に訴えかけていた。


 ◇ ◇ ◇


 布の売り方をさらに多様化するため、李蘭は簡易な製品化にも踏み出した。


 麻布で仕立てた小さな袋は、手に取るとざらりとした素朴な感触があり、穀物や乾物を入れるのにちょうどよかった。綿布で作られたスカーフは、首に巻くと柔らかく肌になじみ、冬の冷たい風を和らげてくれる。苧麻布で作った帽子は軽く、夏の日差しを遮るのに役立った。


「これなら、裁縫の技術がない人でも簡単に使える」


 店先で新しく並べた小物を眺めながら、李蘭は満足そうに微笑んだ。

 完成品としての布は、通りを行き交う人々の目を引き、思いつきのような「ちょっとした買い物」を増やしてくれた。


 ◇ ◇ ◇


 ある日、近くの村から来た女性が、祭りの支度のために店を訪れた。


 顔は冬の風に焼けて少し赤く、しかし瞳は華やかな色を思い浮かべているのか、きらきらとしていた。


「お願い、祭り用に赤い麻布を3丈カットしてもらえませんか?」


 女性は、店先に並んだ布地の前で、遠慮がちだがはっきりとした声で頼んだ。


 李蘭は、穏やかな笑みとともにうなずいた。


「もちろんです。お好みの色に染め直すことも可能です」


 彼女は、奥から染色用の大釜や染料の入った壺の様子を思い浮かべる。

 湯気が立ちのぼる染め場には、薬草や鉱物の混じった独特の匂いが漂っている。赤く染まりつつある布を棒で持ち上げれば、湯気とともに色のきらめきが滴り落ちるのである。


 顧客の細かな願いに応えることで、店の評判はさらに高まった。


 ◇ ◇ ◇


 別の日には、地元の村人たちが次々に店へやってきた。


「この丈の綿布で私の新しい上着を作りたいの」


 若い女性が、柔らかな綿布を胸元にあてて、鏡代わりの磨かれた金属板をのぞき込みながら言った。


「かしこまりました。こちらの1丈(約3メートル)の綿布は100文です」


 李蘭は、柔らかな声でそう答え、布を丁寧に畳んで渡した。綿の布からはわずかに糸の匂いが立ちのぼり、指先にはふんわりとした感触が残った。


 また、ある日には、農家の夫婦が店を訪れた。


「私たちは15丈のテーブルクロスが必要です。お幾らですか?」


 手には、土のついた指先で何度も数え直したらしい銅銭袋が握られていた。


「承知しました。15丈なら1,200文になります。品質には自信がありますので、ぜひお試しください」


 李蘭は微笑みながら答え、広い食卓を覆うに足る布を選んで見せた。

 彼女の言葉には、布そのものだけでなく、それを囲む食事の風景まで見えているような確信があった。


 ◇ ◇ ◇


 やがて、地元の裁縫師たちも、この店の布に目をつけ始めた。


「あなたの布は素晴らしいわ。ぜひ私たちの工房で使わせてください」


 近くの裁縫師がそう申し出たとき、李蘭は静かにうなずいた。


 布の供給と、完成品の衣服の仕立て。

 役割を分けて協力すれば、互いの強みが引き立つ。


 李蘭は、一定量の布を工房に納め、その代わりに工房で仕立てられた衣服を、店先にも並べることにした。店先の竿には、色とりどりの上衣やスカート、子供服が並び、布の質と縫い目の丁寧さが、通りを行き交う人々の目を奪った。


 ◇ ◇ ◇


 こうして、丈単位の小売、用途別のセット販売、簡易な製品化、染色やカスタマイズの受注、裁縫師や工房との提携と、李蘭はあの手この手を使って布を世に送り出していった。


 結果として、綿布100匹、麻布100匹、苧麻ちょま布100匹は、時間をかけてではあるが見事に完売した。


 総売り上げは400両にも昇り、儲けは200両である。


 大運河を渡ってきた布の山は、いまや揚州の人々の衣となり、寝具となり、祭りの衣装となり、生活の中に溶け込んでいった。


 そのひとつひとつに、李蘭の計算と工夫、そして「生き延びる」という静かな決意が、目に見えない糸のように織り込まれていたのである。


後書き

第3話(商人への道『中編』)では、李蘭リ・ラン柴風チャイ・フェン高郵ガオ・ヨウから帰還し、自宅店舗での布の販売を開始した。彼女は1匹(約45メートル)の布を丈単位(約3メートル)に分割し、庶民が実際に購入しやすい価格で提供することで、商売を順調に拡大させた。綿布は1丈を100文、麻布は80文、苧麻ちょま布は90文で販売し、顧客の多様なニーズに応えるために家庭用セットや祭り用セットも導入した。

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