そして私はあこがれる
杉野みくや
そして私はあこがれる
いつからか、私はあこがれることができなくなった。
第一線で活躍しているスポーツ選手。SNSで注目を集めている歌い手。お茶の間に大人気の俳優。
こういった人たちを目の当たりにすると、あこがれよりも先に羨ましさや嫉妬心といったねちっこい感情が胸の中を覆い尽くす。そのせいで、流行り物も純粋に楽しめず、悶々とした気持ちを抱える羽目になってしまう。
そう、これはもはや一種の呪いなのだ。
そのせいで、友人からアイドルのミニライブを見に行こうと誘われた時も、つい微妙な反応を返してしまった。彼女がそのアイドルにぞっこんで周りが見えなくなってしまうほどに熱中していなければ、長い友人関係に危うく亀裂が生じたかもしれない。
「ねー里菜ちゃん行こ!行こうよ行こうよ行こうよ!」
「分かったから手離して。腕がもげちゃうから」
縦にブンブン振られた私の右腕は文字通り悲鳴を上げていた。運動を好まない生粋の文化部に身を置いているのだから、このか弱い身体をもう少し丁重に扱ってほしいものだ。
「やったー!決まり!」
「でも、心海は何回もコンサートに足を運んでるんでしょ?こんな地方に来るのは確かに珍しいけど、ショッピングモールでやるミニライブなんて、それと比べたら物足りないんじゃない?」
「ちっちっち~。甘いね里菜ちゃん。ミニライブは推しが近くで見れるチャンスなんだよ!特に今回のは高校生まで限定の優先整理券も配られるから、大チャンスを通り越して特大チャンスなの!しかもその後のトークショーでは推したちの使ってるメイクの話も聞けるみたいだし、運が良ければ新しいネイルを一緒に体験できるかもしれないんだって!そう考えたらもうドキドキしてきちゃった……!」
心海の口からあふれ出る言葉の弾幕をなんとか受け止め、時間をかけてかみ砕いた。
「そ、それはすごいね」
なんとか言葉を紡いで返している間に、心海はもう当日のプランを練り始めているようだった。もうこうなってしまったら止められない。
心海が推しているのは最近注目を集めているアイドルユニット、シグナルキュアのことだ。世界中をキュンとさせる愛嬌たっぷりカリン、元気はつらつとした天真爛漫少女キララ、クールなかわいさ振りまくみんなのお姉さんユウナの3人のメンバーで構成され、高い歌唱力と誰でもマネしやすいダンスで人気を博している。ちなみにメンバーそれぞれのキャッチフレーズを覚えているのは、心海から何度も聞かされたからだ。
「じゃ、土曜日の開店時間に来てね!整理券取れなくなっちゃうから!」
「分かった。寝坊しないように気をつけるね」
週末の予定を取り付けた私たちは曲がり角でお別れした。
路地を歩いていると、夕日のまぶしさに思わず目を細めた。その光でこの面倒な呪いも浄化してくれたら、どれだけ気が楽になるだろうか。
心海と出かける楽しみと、これから支配してくる不快な感情に対する憂鬱さが混ざり合い、大きなため息をついた。
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ミニライブ当日――。
ちょうど開店時間を過ぎた頃、私はショッピングモールに到着した。小さい頃から何十回と来ているこの見慣れた場所には、今日のミニライブを告知するポスターが至るところに貼られていた。道行く人が指さしたり、写真を撮ったりしているのを見ると、私の中の呪いがジェラシーを感じ始める。最初から嫌な気持ちにはなりたくないから、早足で集合場所に向かった。
辺りをキョロキョロ見回すと、こっちこっちと言うように小さい手を大きく振っている少女の姿を捉えた。
「お待たせ。もしかして待った?」
「ううん、今来たとこ!集合時間、けっこう早めにしちゃったけど大丈夫?」
「私は平気だよ」
「良かった~!それじゃ、とりあえず整理券取りに行こ!」
いつもより3倍ほど上機嫌な心海に連れられて整理券の列に入り込んだ。高校生以下は一般と別の列になっていたが、それでも既に十数人ほど先客が待っていた。
ほんとに整理券をもらえるんだろうか、とやや不安になっていたが、配布時間になるとあっさり2枚獲得することができた。良かったと安堵する反面、呪いに邪魔される未来もほぼ確定し、素直に喜べない自分がいる。隣で無邪気にはしゃいでいる心海がうらやましく思えてしまう。
ライブ開始までの間、ゲームセンターでクレーンゲームをしたり、春物の服をのんびり見たりしながら時間を潰した。途中、心海行きつけのCDショップにも足を運び、お試し視聴で「予習」という名の布教をさせられた。今までにもたくさん布教してもらっているから、新曲も含めて一通りは聴いている。店内のポップも今日のためにひときわ凝った作りになっていて、ここでもファンらしき人々が思い思いに楽しんでいた。
長くいるとせっかくのお出かけが呪いで台無しにされてしまう。そう感じた私はお手洗いに行きたいと理由をつけて店を出た。
いつもより念入りに手を洗ったけど、それで呪いが洗い流されるわけもなく、むしろ考えれば考えるほど妬みが増幅しそうになる。頭を横に振ってなるべく考えないようにしてから、お手洗いを後にした。
開演時間が近づいてきたので、私たちは1階の広場に向かった。特設会場には既に多くの人が押しかけており、2階や3階にも人だかりができはじめていた。
整理券を見せてから高校生以下専用の席に案内され、腰を下ろした。このエリアの中では後方の席だったが、それでも十分なほど舞台が近く感じる。
「こんな近くで見れるなんで夢みたい!生きてて良かった~」
「も~、おばあちゃんみたいなこと言わないでよ」
「えへへ。すっごく楽しみにしてたから。あ、いよいよだね!」
「う、うん」
せっかく来たのだから、純粋に楽しもう。
そう頭では思っているのに、たくさんの人が集まって話しているのを見ると、「羨ましい」、「私もこうやってチヤホヤされたらな」と満たされもしない承認欲求が沸々と湧き上がってくる。
ミニライブ開始を告げるアナウンスが入ると、会場は拍手で包まれた。そして、壮大なファンファーレと共にシグナルキュアの3人が登場すると、歓声が沸き起こった。
「みんな~!今日は来てくれてありがとう!最後まで楽しんでいってね!」
赤色のラインが入ったワンピースに身を包んだカリンが声をかけると、軽快なイントロと共に1曲目が始まった。笑顔を振りまきながらかわいく歌って踊る、3人の代表曲だ。
続く2曲目はしっとりめの恋愛ソング。間奏後のソロ回しでは個性の異なる3人の歌声が会場を震わせ、観客の涙を誘った。
そして3曲目はこの間リリースされたばかりのアップテンポな新曲がお披露目された。一緒に手拍子をしながら簡単な振り付けを踊っていると、会場のボルテージは最高潮に達した。
「みんなありがと~!大好きだよー!」
キララがそう叫ぶと、観客も拍手と歓声で応えた。
一方で私はというと、ライブの熱気と初めて生で見るアイドルを前に呆然としてしまっていた。テレビやSNSで見るよりも、心海が見せてくれたMVよりも格段にかわいくてかっこいいと感じた。こんな気持ちは始めてだった。
会場の興奮冷めやらぬうちにミニライブは幕を閉じ、続けてトークショーに移った。スーツを着た女性の方が司会を務め、アイドルたちと和やかに
このプロモーションを行っている会社はネイル以外にもあらゆるメイクやアクセサリー用品を扱っているらしく、その流れで話は自然とアイドルのメイク事情へと移った。
「最近キララにもらったチーク使ってるんですけど、これマジでおすすめです。あ、でもこれよその企業のやつだから、言わない方がいい?」
「あはは。たしかにそうかも」
「大丈夫ですよ。むしろ私もカリンさんが何を使われてるのか知りたいです」
先ほどまで歌って踊って疲れているはずなのに、平場でもしっかり受けるトーク力。私の中の嫉妬心は指をガシガシ噛んでいた。
「ではここで、今回新しく発売されるネイルチップを実際にお試ししていただきたいと思います。せっかくですので、会場にいらしている皆様にも何名か一緒に試していただきたいと思います」
司会がそう言うと、辺りが少しザワザワし始めた。あこがれの人の近くに行って、一緒に新商品を試すという体験ができる機会なんてそうそうないわけだから、そりゃみんな浮き足立つに決まっている。
「それじゃ、新しいネイルチップを一緒に試したいよーって人は元気よく手を挙げてください!」
そう言い終わる前に、あちこちから手が上がっていった。心海も瞬時に手を挙げ、遅れて私もそっと手を挙げた。
「誰にしようかな~?」
キララが手をおでこにあてがいながら客席を見渡し始めると、周りの熱気がさらに高まっていった。
「決めた!一番前に座っているピンクの服を着たお子さんとそのお母さん、右奥のメガネをかけてる子、それから、真ん中の仲良く手を挙げてる2人!」
指をさされた私たちは互いに顔を見合い、そしてキララの方を向いた。すると、「そう、君たちだよ!」と言うように目をしっかり合わせてきながら手招きしてくれた。まさか選ばれるとは全く思ってなかったので、少々戸惑いながら係員について行った。
「里菜ちゃんやばいどうしよう!私今日死んじゃうかも」
胸を押さえてソワソワしぱなっしの心海とは対照的に、私はまだ頭が追いついていなかった。
壇上に上がると、キララが拍手しながら出迎えてくれた。
間近でみるアイドルは、テレビや動画で見るよりも、客席から見上げるよりも一段とかわいくてキレイだった。マイクを持って近くにやってくると、オレンジの香りがふわりと香った。
「じゃあ軽く自己紹介お願いしまーす!」
「はい!は、橋爪心海と言います!今日は隣に居る親友の里菜ちゃんと一緒に来ました!いつか一緒に見に行きたいって思ってたのでとても嬉しいです!」
「素敵~!じゃあ夢がひとつ叶ったってことかな?」
「はい!」
大勢の前でこんなことを言われてしまうと気恥ずかしさが限界突破しそうで、思わず頬が緩んでしまった。
体験会ではアイドル3人がそれぞれ近くに来て一緒にネイルチップをつけてみることになっている。私たちのとこにはユウナが来てくれた。顔が小さくて少し大人びた彼女からは夏を連想させるような爽やかな香りがした。
「では、実際につけていただきましょう。どうぞ!」
司会のその言葉を合図に、私たちはネイルチップを手に取った。
実はネイルをつけるのはこれが初めてだった。見よう見まねでつけてみようとするが、なかなかうまくはまらない。大多数の人が注目する前であたふたする自分がだんだん恥ずかしくなってきた。
「リナちゃん、大丈夫?」
「あ、えっと」
ドクン、と心臓がはねた。名前を呼ばれただけなのに。
「大丈夫じゃない、かも、です」
「最初は難しいよね~。私がつけてもいい?」
思ってもみなかったことを聞かれ、頭が真っ白になった。首を縦に動かすのが精一杯だった。
すると絹のように透き通ったユウナの手が私の手を取った。私なんかが触れてしまえば、簡単に壊れてしまうんじゃないかと思ってしまうほどに繊細で柔らかい指が人差し指の爪をそっとなでた。胸の鼓動がどんどん早くなり、自分の手が自分のものじゃなくなるような感じがする。
その間に、ユウナのメンバーカラーと同じ水色のネイルが人差し指にはまった。顔を上げると、ユウナはニコリと微笑みながら「似合ってるよ」と言ってくれた。
その瞬間、顔を覗かせていた呪いが身を潜め、忘れていた感情が全身を駆け巡る。周りの音が耳に入らないほど、ユウナに釘付けになる。ミニライブでかわいく歌って踊る姿や、トークショーで上品に笑う姿が脳裏に浮かんだ後、「似合ってるよ」と優しく微笑みかけるそのシーンが何度も何度も繰り返された。
我に返った後も、客席に帰った後も、私の視線はユウナに張り付いたままだった。胸の奥から湧き上がる温かい気持ちを包み込むように、そっと手を重ねた。
そうだ。これが、『あこがれ』という感情だった。
イベントが終わった後も、私はどこか放心状態になっていた。当然、心海は不思議に思ったようで、「どうしたの?」と尋ねてきた。
「……ううん、なんでも」
そう言って微笑んでみせると、心海はさらに首をかしげた。
そんな心海を見ているとふと、ひとつの考えが頭に振ってきた。久々に手にしたこの感情が消えないうちに、それを口に出してみることにした。
「ねえ。今度コンサートに連れてってよ」
ちょびっとだけ恥ずかしさを覚えながら提案すると、心海は目を丸くしてから、花が咲いたかのように満面の笑みを浮かべた。
「もちろんだよ!」
一緒に約束を交わした後、私たちはもう一度CDショップに出向いた。お試し視聴用のヘッドフォンを耳に当ててまぶたを閉じると、シグナルキュアの3人が間近で歌って踊る姿が鮮明に浮かんでくる。
もっと3人のことを知りたい。
もっと3人の想いを感じ取りたい。
もっと3人に近づきたい。
これらの思いは醜い羨ましさではなく、純粋なあこがれから来るものだった。この気持ちを大事に大事に抱えながら、私はしばらくシグナルキュアの曲に聞き浸った。
そして私はあこがれる 杉野みくや @yakumi_maru
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