Look up to Libura⇄Night

メイルストロム

憧れを、その胸に

 ──人形師見習いのヨルと、その師匠であるリヴラ

 

 彼女ヨル──伽夜野 瑠璃カヨノ ルリとの出会いは、イレギュラーなものでした。

 彼女のように何処かで私の作品を知り、魅せられた人間は数多く居ます。ですがただの一人として、直接面会した事はありません。

 私は訳あって、人との関わりを持たぬように生きてきました。年齢、性別、住所、本名、出身地は勿論のこと────その他、私へと繋がる情報の一切を非公開にしています。


 にも関わらず、彼女は私の所へと辿り着きました。どうしても私の下で学びたいという一心で。彼女がどのような手を使い、ここまで辿り着いたのかは未だ明かしてはくれませんが……幾らか危ない橋を渡ったのは間違いないありません。私自身にそこまでの価値があるとは思ってもいませんでしたから、本当に驚きました。

 なにせ『学びたい』という一心で私まで辿り着いた者は居なかったもので、本当に驚く他無かったのです。それを齢二十にも満たぬ子娘がやり遂げたのですから、驚くなと言う方が難しい気もします。


「師匠ってさ、どうして人形を作ろうと思ったの?」

 夕飯を済ませ、共にテレビ番組を観ていた彼女がそんな事を口にしました。

「趣味と実益を兼ねて」

「実益を兼ねてって……まさか初めから今みたいに売れた訳じゃないっすよね?」

「さぁどうでしたかね? 随分と昔のことなので覚えていませんが、生活に困窮することはありませんでしたね──」


 本来の業務に専念するのであれば──今のように食事をする必要もありません。ですが人間社会に居る以上、人らしく生活する必要があるのです。そして幸いにも、年代を問わず西洋人形には一定の需要がありました。なので試しに私の祖先──原典オリジンリヴラが培った人形制作技術を流用したのです。結果として私は人間社会から遠くも近くもない居場所を手にすることが出来た。

 などと言う事実をそのまま伝える訳にもいかないので──嘘とは言えない程度に脚色を加え、彼女に伝えました。


「はー…………やっぱ羨ましいっすわ」

「羨ましい、とは?」

「先祖様に人形制作師が居た事とか、手先の器用さとか、その見た目とか……色々ありますけど」

「けど?」

「──一番は、やりたいことを否定されず応援してくれる人がいたって事っすよ」


 そう口にする彼女の顔には、普段見えない陰りがありました。彼女がこういう表情を浮かべる時は、決まって過去に原因があるのです。先日の人形修理の際にも口にしていましたが、彼女の家庭は少々歪なものだと言わざるを得ないものでした。故に悪夢に魘される姿を何度も見ましたし、顔を腫らした姿も何度見た事か。

 ……ともなれば、家庭での彼女がどのような立場にあるかは想像に難くありません。それでも折れず、堕ちることもなく生き抜いてきた彼女は強い子です。だからこそ私は彼女に惹かれたのかも知れない。こんなことは、口が裂けても言えませんが。


「……師匠。私はさ、師匠に弟子入りするまで──やりたいことも、欲しいもんも、全部諦めるしかなかった。だから同級生の奴らが羨ましかったし、普通の家庭って奴に凄く憧れたりもした。自分にないものに強く憧れたんです」

「貴女の過去を鑑みれば、そう思うのも仕方のないことです」


 困ったような顔で「そうですかね」と自嘲気味な声を漏らし、ややあってから言葉をつづけました。


「けどさ師匠。ただ憧れているだけじゃ、手に入らないものばっかりだった」

「なぜ、そのような事を……?」

「当たり前なんだけどさ、其処にたどり着く為の努力しなきゃいけなった。手にするためには、頑張る必要がある。けど──どこに惹かれたのか、なにが本当に欲しいかが決まっていなければ意味がない。目的のない旅は志半ばで折れるのがオチっす」

「ヨル……」

「それに気づいたのは十四かそこらの歳っすかね。ダチの家庭にだって良い所も悪い所もある。私から見て良いなって思っても、ダチからすれば嫌なところだっていう話もあった」


 なおも自嘲的な調子で続ける彼女は、幾らか苦しそうに見えます。けれど彼女は話を止めて欲しくないのでしょう。その証拠に彼女は、目が合う度、申し訳なさそうに視線を逸らすのです。苦しいけれど、抱えたままではつらい……彼女は今、そういった心境にあるのかも知れません。


「まぁそんな感じのことが沢山あったんす。憧れてたモノをよく見たら空っぽで、虚しくて。そのほとんどが、世間一般の定めた実体験の伴わない普通だったんすよ」

「ヨル、それは……────」


 、とつい口にしそうになる。けれどソレを、わざわざ口にする必要はないのです。彼女自身、そうだと気がついているから。だから彼女もあんな表情で、擦り切れた笑みを浮かべるのでしょう。わかっているから、自分で自分を嘲笑う事しか出来ない。


「それでも憧れは止まらないから、厄介なんですよね…………けれど、憧れるから前に進めるのも事実なんです。色んなものに憧れたから、私は沢山のものを見れたし経験出来た。特に師匠に会ってからは沢山の憧れが叶ったんです」


 ほんの少し。気の所為かと疑う程度に彼女の表情が和らぎ──


「──私は師匠の弟子になれて、本当に良かったよ。私を受け入れてくれてありがとう、師匠」

「どういたしまして、ヨル。けれど──私も貴女に感謝しているのです」

「……………え、師匠……今、なんて?」

「2度は言いません。それではヨル、お休みなさい」


 ────……そう、私も貴女に憧れているのです。

 ヨルとは違い、私は何かに飢えることがありません。大抵の事は完璧にこなせてしまうから。

 だから誰かを羨んだり、目標にする事が無いのです。こうなりたいという気持ちがないから、誰かに憧れることすら無かった。

 けれど、初めて心を惹かれた。伽夜野瑠璃カヨノルリ──他ならぬ貴女に、私も惹かれていたのです。貴女は私に、沢山の初めてを経験させてくれました。

 そしていつしか……貴女が私の背を追う姿に、憧れを感じていたのです。

 憧れに近づく為、どんな努力も惜しまず折れない貴女の心に。私は憧れてしまっている。

 

 


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