第2話 ゆる募、私の推しが面白くなる方法

 ゆる募、私の推しが面白くなる方法。


 私の推しの配信がつまらなくて、イライラが頂点に達している。

 隣の女の子がVTuber【立木たちきスズメ】だと分かった日から、私は彼女をひっそりと推し続けているわけだが。

「なんで私はこの子を推しているのだろうか?」

 と何度も思ったことがある。

 それに、最初に観たときよりもどんどんつまらなくなっている。


 配信に対する向き合い方も良くない。リスケが多い。

 配信時間も遅れている。週間スケジュールを出すなら、しっかりその時間に始めようよ。

 朝活? 起きられていませんよー。

【立木スズメ】を取り巻く状況は悪化する一方。


 推しが不人気でイライラする。不甲斐なさすぎてイライラする。

 あー、イライライライライラ……。

 そのせいもあって、同期の中でも人気最下位だった。


【立木スズメ】の所属する二期生のグループ【リトルバーズLittleBirds】。

 通称【リトバズ】。

 メンバーは5人。

 スズメ、ツバメ、メジロ、コマドリ、そしてヒヨドリ。

 小鳥をモデルとした、VTuberグループとして活動をしている。

 ちなみに、【立木スズメ】はデビュー配信でトップバッターを務めた、【リトバズ】の実質的なリーダーだ。

 だけど、今では、一部のファンの間でそれを疑問視する声が挙がっている。

 それもそのはずだ。同期の配信もとりあえず観たが、そちらの方が面白かった。


 しかし、では何が原因で面白くないかと聞かれても、すぐに答えが出せなかった。

 私はそれなりにVTuberの配信を観ているなので、分析には自信がある。

 だけど、答えられない。

 配信スキルが低いのは認める。リスケもできることなら避けたい。

 だけど、それは他の同期、【リトバズ】メンバーも似たようなものだ。原因はそれだけではない気がする。

 本人はやる気がある。性格も真面目な方だと思う。

 デビューからの配信を観ても、問題のあるような人物にはとても見えない(と、リアルの隣人でもあるので信じたい)。

 事務所も馬鹿ではない。お金を出してグループをデビューさせている。

 きちんと理由があって、【立木スズメ】をリーダーに据えている。


 なんていうか、本調子じゃない感じ……!?

 そんなことを考えている間に、彼女の配信は終了。

 私はこっそりと作ったサブ垢で高評価を押し、当たり障りのないコメントを残すのだった。


       * * *


 私の頭の中で引っかかっていた疑問。

 それは程なくして判明した。

 相変わらず冬の寒さが続く、十二月下旬の夕方の出来事だった。


「あ……」


 私が早足で、自分の部屋へ帰ろうとしていた時のこと。

 お互いの家の前で、リアルのお隣さんとばったり遭遇してしまった。

 私は普通に声をかける。


「こんにちは」

「あっ、えーと、こ、こんにちは……」


 こうして直接会うのは何度目だろうか? 片手で数えられるぐらいしか会っていないと思う。

 私よりも小柄なショートカットの童顔の女の子。

 雰囲気は違うものの、羽を除く体格だけみれば、VTuberの【立木スズメ】と大きな違いはない。

 小さくて可愛らしいお隣さんだ。


 それにしても……、久しぶりに見るリアルお隣さん。以前よりも少し雰囲気が変わったような。

 以前は、


『こんにちはっ!』


 と元気よく挨拶してくれていたのに、今では立場が逆転している。私の方が陽キャだ。

 こんなに痩せていただろうか?

 いや、厚着をしていないだけか。でも、今日はかなり寒いよ。

 もっと頬はふっくらとしていたような?

 って、暗くてよく見えなかったけど、顔色がひどく悪いんじゃ……。


「体調が悪そうだけど、大丈夫――」


 と、私が言いかけた時だった。


『バタッ』


 突然、お隣さんが目の前で崩れ落ちた。


「っ!? ねえ、ちょっと大丈夫???」

「はぁ……、はぁ……」


 私は一目散に彼女に駆け寄る。

 彼女の体を起こす。ひどく息が荒い。


「熱っ。ちょっと熱があるじゃない!?」

「はぁ……、…………」


 明らかに平熱以上の温度。私のおでことお隣さんのおでこ、触って比べると明らかに違う。

 多分38度ぐらいある。下手をすると39度いっているかもしれない。インフルも想定しておいた方がいいかもしれない。

 さらに最悪なのは、私は彼女の直近の行動を少しばかり知っていることだ。

 昨日も配信していたよね!? どうして、こうなるまで放っておいたの???


「ちょっと、大丈夫? 自分で立てる?」

「…………」


 弱く息はあるけど、もう返事がない。

 緊張の糸が切れたみたいに倒れて、気を失っている。


「もう、バカ……」


 私はすぐに彼女の服のポケットを調べて、鍵を探した。

 程なくして鍵は見つかり、私はそれを使って彼女の家のドアを開けた。

 鍵の形が違うだけで、ドアは私の家と同じだ。その手順に迷いはない。

 もしかしたら、自分の家に入れるべきかもしれないんだけど、私は自分の家に誰も入れたくなかった。

 特にお隣さんは。


 私は彼女を背負って、勝手に部屋に侵入した。鍵を閉め、明かりを付け、暖房も付け、彼女をソファーへと寝かせた。

 綺麗に整理された部屋だった。可愛らしいぬいぐるみやオシャレな小物が置いてある、一般的な女の子の部屋だ。

 折りたたみ式の小さな机の上には、これで配信していると思われるノートパソコンと、それに繋がれたマイクが置いてあった。

 ただ、一点だけ散らかっている場所があった。部屋の片隅、ゴミ箱の近くには、解熱鎮痛剤(ロキ●ニン)の空き箱が無造作に置かれてあった。

 そして、在庫はもうない。これ以上、薬はないみたいだった。


「風邪薬とか持ってないの? 一人暮らしの必需品だと思うんだけど!」


 熱が出て、生理用の痛み止めを飲んで、無理に昨日の配信を行った。

 そう見るべきか……。バカじゃないの?


「ああ、もう……」


 私は患者を放っておくことができず、そのまま、彼女の看病を続けるのだった。


       * * *


 看病を始めて一時間後、お隣さんはやっと目を覚ました。


「あ……、ここは私の家……」

「やっと目覚めたみたいだね」


 彼女は体を起こし、首を左右に動かし周囲を見渡している。その表情からは困惑が見て取れる。

 仕方ないと思う。記憶がすっぽりと抜け落ちているのだから。


「私と会ったあとに、すぐ倒れたんだよ。玄関前で」

「あ……」

「運が良かったね。あのまま外で倒れていたら死んでいたかもよ。今日の最低気温、ほぼ零度みたいだし。」

「そっか……」


 冬の夜に倒れていたら、まあそうなる。

 A●Kでよく見る、死亡風景。


「えーと、【青山羽美あおやまうみ】さんでしたよね?」

「うん。そっちは【鳥越杏とりごえあんず】さんだよね?」

「はい……」


 当たり前のことだけど、私には【青山あおやま】という名前があり、お隣さんにも【鳥越とりごえ】という名前がある。

 しかし、私の中で【お隣さん】は【立木スズメ】で固定されつつあった。

 こうやって、直接会ってしまった以上、言い間違えないように気を付けないと。


「助けていただいてありがとうございます。も、もう、大丈夫ですっ!」


 彼女は私に向かって深くお辞儀をした。

 しかし、その仕草はたどたどしい。


「とても大丈夫には見えないんだけど」

「あ、あ……。ご、ごめんなさい……」

「謝らなくてもいいよ。一応、お隣さんだし。少し待っていて。今、温かい食べ物、作ってくるから」

「えっ……」

「寝ている間に、私の家から必要な食材は持ってきたから。あ、今さらだけど台所借りるね」

「あ……、はい……」


 有無も言わせず、私は人の家の台所で予定していた料理を作り始めた。

 乗りかけた船である。それに、ここで見過ごすなんて、きっと罰が当たる。


 十分ほどして、私は一人用の鍋に入ったシンプルなを完成させ、リビングのテーブルの鍋敷きの上へと置いた。

 味はほとんど付いていない。色もほぼ白。

 難易度もない。なんてこともない料理だった。

 私とお隣さん、全く親しくない。だから、私達の間に会話などない。

 彼女は、私の顔色を窺いつつ、おかゆを木のスプーンで一口二口と少量ずつ口に運ぶ。

 そして、三口目を口にした途端、突然泣き出した……。


「うっ、うっ……。お、美味しいです……」

「!? なんで泣いているのよ!?」

「それに、すごく温かいです……。うっ、うぐ……」


 お隣さんは涙で目がぐちゃぐちゃになっている。それでも、手に持つスプーンを止めることはない。

 おかゆで泣かれるなんて、想像できるわけがない。どう反応していいか分からない。

 私の困惑など気にもとめず、彼女はさらに、おかゆの食レポを続けた。


「今まで食べたご飯の中で一番温かいです……。うっ、うっ……」

「一番って大げさな。それに冬だから温かいのは当たり前じゃない」

「ち、違いますっ……。おとなりさんの愛が詰まっていて、本当に温かいです……」

「愛って……」


 ただの白いおかゆをここまで完璧に食レポできるのは、彼女だけだと思う。

 マ●クの新メニューを食べる配信、した方がいいんじゃないかな……?


 しばらくして、お隣さんはきちんとおかゆを食べ終えた。水分も多く取らせたし、私の家から持ってきた風邪薬も飲ませた。

 顔色はすっかり良くなったし、これで非を責められることはないと思う。

 あとは引き際をどうするか。深入りはしない方がいいのか、それとも、もう少しお隣さんのことを探ってみた方がいいのか。

 私が迷っていると、突然、彼女が口を開いた。


「私、上京してきたんです」

「挨拶に来たとき、そんなことを言っていたよね」

「はい」


 確か、東北地方のどこかだった気がする。


「詳しいことは色々とあって言えないんですが、夢が叶ったんです。すっごく嬉しくて、すぐに東京に引っ越してきたんです……」

「それはおめでとう」


 ごめん、知っている。初配信で言っていたよね。

 VTuber事務所のオーディションに受かって上京。なくはない話。

 事務所の規模は小さくないみたいだし、【立木スズメ】の先輩たち一期生はそれなりに知名度も勢いもある。

 大手に負けないように、新人のプロデュースにも力を入れていく姿勢が見られる。

 収録や、いずれ行うであろうライブのことを考えると、スタジオの多い都心に住む方が、事務所と配信者、双方にメリットが多い。


「だけど、最近上手くいっていなくて……」


 知っている。


「慣れない土地なのか、体調も優れなくて……」


 それは今知った。


「風邪なんか、今まで引いたことなかったのに……。」


 へー、だから風邪薬持ってなかったんだ。

 それは良くない。


「私……、私……、いったいどうしたら……」


 再び、お隣さんは泣き出しそうになっていた。


「お父さんやお母さん、おばあちゃんに会いたいよ……。すごく寂しいよ……」


 リスナーには言えないよね……。帰りたいなんて大っぴらには……。


 私は黙って聞いていて、ティッシュの箱を近くに置いてあげるだけだった。

 彼女にかける言葉を、私は見つけられなかった。

 私はそういう柄じゃない。それに……。


 彼女は、同じような話題を何度も繰り返し話した。

 ぐるぐると回っては元に戻る。堂々巡りの要領の得ない話。

 ただただ私は。彼女の抱えていた不安を聞いているだけだった。

 それが一番だと、私は個人的に思っているから。

 推しのVTuberの話。『うんうん』と頷いて聞いているのが模範的なリスナーだと思うから。

 ファンはあまり自我を出すべきではない。


 それから一時間後。彼女の精神がだいぶ落ち着いたので、私はやっと帰りの準備を進める。といってもすぐ隣だけど。

 部屋の時計はもう二十一時を回っていた。


「大丈夫そうだし、そろそろ私は部屋に戻るね」

「もう……、行っちゃうんですか……?」


 もう……って、こっちはどれだけ、同じ話を聞いたと思っているんだ。ほとんど覚えたわ。


「あとちょっとだけ、そばにいてほしいです……」

「何くらい?」

「六ほど……」

「帰る!」


 今、何時だと思っている!? 薬で熱が下がっているから元気なんだろうけど、病人なんだからさっさと寝ろ!


「あ、ああ……、置いてかないで……」


 名残惜しそうに鳴き声を上げる彼女。捨てられた子犬か!?

 お前、だろっ!

 さらに。


「あっ。き、急に頭が……。ね、熱が……」

「いや、騙されないからね。私」


 仮病(?)を使って訴えるな。そういうのはファンに向かって使え。

 私は、彼女の家の玄関のドアに手をかける前に、一言、アドバイスを残していく。


「とりあえず、何の仕事をしているか分からないけど、体が元気じゃないと何事も上手くいかないと思うよ」

「あ……、はい……。これからは気を付けます」

「じゃあ、私はこれで。おやすみ」


 まあ、推しには元気よく配信してもらいたいし。ファンもそれを望んでいるし。

 光るものはあるんだし、もったいないと思うよ。

 さらに、私はぼそっと呟いた。


「大事に至らなくて本当に良かった」


 それは本人には聞こえない、小さな声だった。

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