樫の木と詩人の若者
青切 吉十
人間にあこがれて
その老いた樫の木には、赤い薔薇がからまり、生い茂っております。
その樫の木の前で愛を誓うと、ふたりは幸せになると言われています。
そのために、多くの恋人たちが樫の木を訪れています。
そんなふうにどうしてなったのか? いまからお話しいたしましょう。
まだ樫の木が若かったころ、詩人の若者がよく、彼女にもたれかかって本を読んでおりました。
ときおり、詩人は、まるで樫の木に話すように、詩を口ずさみました。
「ああ、こんな詩がぼくにも書けるようになったらなあ」と時々つぶやきながら。
そんな詩人に樫の木は恋をしました。
それを親友のナイチンゲールに告げました。「私、彼に恋しているみたいなの」
それに対して、ナイチンゲールはピーピーと騒いで反対しました。「人間なんて信じてはいけないよ。やつらはみんな薄情な生き物さ。うちの伯母さんは、人間のせいでひどい目にあったんだ」
それでも樫の木は考えを変えませんでした。「ああ、彼の恋人になりたい。人間になりたい」
ある日、くだんの若者が樫の木にもたれかかりながらため息をつきました。「ああ、舞踏会の日が来てしまう。踊りに誘う女の子が見つからない。きっとみんなは、ぼくを笑い者にするにちがいない。おそらく、そのためにぼくは呼ばれたのだろう」
悔し涙をながす若者を見て、樫の木もまた泣きました。
雫が垂れて、若者の服を濡らしましたが、彼はそれには気づきませんでした。
その日の夜、樫の木がしくしくと泣いていると、魔法使いのおばあさんが通りかかりました。
そんなに泣いてどうしたんだいとたずねられた樫の木に代わって、ナイチンゲールが事情を話しました。
それから、樫の木はおばあさんに言いました。「おばあさま。どうか一日だけ、私を踊りの上手な人間の女の子にしていただけませんか?」
そんなことはしないほうがいいよとおばあさんは言いましたが、樫の木の熱意に負けて、孫娘のようにかわいがっていた彼女の願いを叶えてあげることにしました。
舞踏会の日。魔法使いのおばあさんは、樫の木を女の子に変えながら言いました。「いいかい。12時の鐘が鳴る前に、この場所にかならず帰ってくるんだよ」と。
樫の木は自分の白い手を見ながらうなずきました。「ええ、かならず、戻って来ます」と。
どこからともなく、馬車が現れ、馭者に化けたナイチンゲールが告げました。「さあ、時間だよ」と。
それから、樫の木と詩人の若者にとって、夢のような時間が過ぎました。
それもそうです。樫の木は、あこがれの人間になり、恋する若者に触れることができ、若者は恥をかかずにすみました。
それだけではありません。若者はひと目で樫の木に恋心を抱きました。
その瞳を見ながら、若者は樫の木に言いました。「ぼくの恋人になってください」と。
ごーん。ごーん。しかしです。そんなふたりの仲を、楽しい時間を、12時の鐘の音が引き裂きました。
樫の木は急いで、もともと植わっていた場所へ急ぎました。若者はそれを追いかけました。
元の場所に戻ると、樫の木はみるみる、女の子から元の姿へ戻っていきました。
それを見た若者は言いました。「ああ、きみは樫の木の精だったのか」
そうよ、その通りよと、樫の木は言いました。
そのときです。若者は硬くなりつつある樫の木に抱きつきました。
そんなことはよしてちょうだい、あなたも木になってしまうわよと樫の木は叫びました。
樫の木に包まれながら、若者は言いました。「いいんだ。これでいいんだ」と。
やがてふたりは無言になり、一本の立派な樫の木に変じました。
ナイチンゲールが鳴き叫び、魔法使いのおばあさんを呼んだところ、おばあさんはひとつため息をついてから、ふたりの愛を永らえさせるため、他の者にじゃまさせないため、木の根元に一本の赤い薔薇を植えました。
その老いた樫の木には、赤い薔薇がからまり、生い茂っております。
その樫の木の前で愛を誓うと、ふたりは幸せになると言われています。
そのために、多くの恋人たちが樫の木を訪れています。
そして、夜になれば、ナイチンゲールたちが恋の歌をうたいます。
樫の木と詩人の若者 青切 吉十 @aogiri
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