あこがれの存在になりたくて

加藤ゆたか / Kato Yutaka

あこがれの存在になりたくて

「信じられないよ。あの小さかった優乃ゆのちゃんがもう結婚だなんて。」


 披露宴のテーブルで、私の隣に座った少女が言う。

 今日は私の娘の優乃の結婚式だった。

 私の反対側の席では妻が、優乃のウエディングドレス姿を見て涙ぐんでいる。


「姉ちゃんにもいろいろ面倒かけたね。」

「いや、面倒なんて。まあ、この体じゃ大変なこともあったけどね。」


 私の隣の少女がそう答える。

 いや、正確には彼女は少女ではない。

 知らない人間から見れば彼女はどこからどう見ても、十歳かそこらの少女にしか見えないが、彼女は私の姉で、歳はもう五十に差し掛かっていた。

 姉の美子よしこはまだ幼い頃、見知らぬ女に人魚の肉を食べさせられて、不老不死の体になってしまった。以来、少女の姿のまま、四十年近くを生きている。弟の私が姉の歳を抜いたのは遠い昔のことだ。


「結婚式かあ。あんたの時には何にも感じなかったけど、優乃ちゃんはさすがに思うところがあるね……。」


 姉の美子が感慨深そうにつぶやいた。

 姉はその成長しない姿のためか、恋人も作らず、もちろん結婚もせず、ずっと独身を貫いていた。


「お嫁さん。あこがれが、無かったわけではないけどね……。」


 ある時姉が、ぼそっと言ったことがあった。

 私は姉に聞いてしまった。


「姉ちゃん、結婚、したかったの?」

「まあ、人並みにはね。でもこの体じゃそういうのは無理だって。とっくに諦めてるよ。」

「そうなんだ……。」

「なあに? なんであんたが落ち込むのさ?」

「だって俺だけ歳取っちゃってさ。姉ちゃんのこと、とっくに追い越しちゃってさ。」

「ふはは。あんた、私のこと治そうって、一緒に人魚を探してくれたことあったじゃん。まあ、見つからなかったけどさ。あれは嬉しかったよ。ずっと憶えてるからさ……。」

「……うん。」


 その時の姉の表情は少女のままのはずなのに、私には年相応に見えてしまって、それ以上何も言えなかった。

 あれからそういう話は姉とはしていないが、今、優乃の姿を見ている姉の表情は、あの時の顔と同じように私には見えた。



「それでは、新婦の叔母、美子さんからお祝いの言葉をいただきましょう。美子さん、どうぞこちらへ。」


 披露宴の司会者の女性が、マイクでそう発言する。


「姉ちゃん、お祝いの言葉って?」

「ああ、優乃ちゃんから頼まれてたんだ。行ってくるよ。」


 そう言うと、姉は席を立ち、用意されたマイクスタンドまで歩いていった。

 その先では司会者の女性が、姉の身長に合わせてマイクスタンドの高さを調整していた。

 姉がマイクの前に立つ。

 新郎新婦の席に座る優乃が、微笑みを浮かべながら姉の姿を見る。

 そういや、優乃は姉によく懐いていたっけ。

 子どもの頃の二人は、叔母と姪というより、まるで友だちのようだった。


「あー。ご紹介にあずかりました叔母の美子です。」


 姉がスピーチを始めると、多少会場がざわついた。

 どうみても十歳くらいの少女にしか見えない姉が、叔母を名乗るのだから当然だろう。


「私は訳あって歳を取らないのですが、優乃ちゃんがこんなに小さな頃からよく知ってまして、昔から本当に良い子で、公園で一緒に遊んだ時には——」


 姉のスピーチが続く。

 姉は叔母というより友人として優乃の近くにいてくれた。ずっと見守ってくれていた。

 私はそんな姉に感謝していた。きっと優乃も同じ気持ちだったから姉にスピーチを頼んだのだ。


「——というわけで、優乃ちゃん。本当におめでとう。」


 姉のスピーチが終わった。

 目に涙を浮かべた優乃が立ち上がり、マイクを手にする。


「美子ちゃん。ありがとう。大好きだよ。美子ちゃんは優しくて強くて何でもできて、小さい頃から私のあこがれだったの。美子ちゃんは昔からずっと変わらないけど、それも私にとっては安心できる存在だった。こんなに嬉しいことないよ。私、今日という日を忘れないよ。永遠に憶えてる。」


 感極まった優乃が涙を流しながら言う。

 そして、会場のみんなを順番に見渡した。


「みなさん。今日は来てくれてありがとうございます。みなさんも私の大好きな人たちです。今日のお料理の食材は、実は私が用意しました。みなさん、食べてくれましたか?」


 私は自分の前に置かれた皿の料理を見た。

 酢とオリーブオイルのソースで味付けされた白身の魚。私も妻も、口をつけていた。思いのほか、美味しくて何の魚だろうと思っていた。

 そういえば、姉の皿にだけ他の料理が乗せられている。


「人魚の肉です。私、ずっと美子ちゃんみたいな不老不死にあこがれていました。だってこれから美子ちゃん、ずっと一人だなんて寂しいでしょ? 私も不老不死になりたかった。私の好きな人、みんな不老不死になってほしかった。」


 え? 何を言ってるんだ、優乃?

 私は思わずマイクの前に立つ姉の顔を見た。

 姉はこの世のものとは思えない表情で、優乃のことを凝視していた。

 優乃が光悦の表情を浮かべて言った。


「だから、探したんです、人魚。」

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あこがれの存在になりたくて 加藤ゆたか / Kato Yutaka @yutaka_kato

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