エピローグ 壊れた二人の新たな一歩
後日、葵と狐の二人はとある墓地に向かっていた。狐が春川の墓参りに行くと言うので、葵は自分も一緒に連れて行けと狐にねだった。狐は少し戸惑った様子だったが、春川ならば知らない顔が一緒に来ても悪くは思わないだろうと考え了承した。
「本当ならもっと早くに行くべきだったんだけどな」
道中、運転しながら狐は後悔の言葉を漏らした。複雑な心境だろうなと葵も思う。
「初めてなんだっけ」
「参る資格もないと思ってたからな。本当にバカだよ俺は」
狐にとってそこは最もつらい記憶に触れる場所、いわゆる鬼門だ。これまで近寄れなかったのも無理はない。だが、狐は変わった。目を逸らしていたものに向き合う覚悟が今の狐にはある。その変化が、葵には嬉しかった。
「でも、もう大丈夫だよね」
「ああ、彼女も待っててくれてると良いな」
持って行く物があるとのことで、途中で狐の家に寄った。狐がなにを取ってきたのかは葵は聞かなかった。それがとても大事なものだということは考えなくても分かるし、踏み込まない方が良いと思ったのだった。
これから向かう場所は狐の過去に深く関わっていて、残念だがその時間の中に葵は居ない。伝聞で知ったことはあっても、肌で感じたわけではないから、そんな浅い理解で触れようとしてはいけないと思う。
それに葵が狐についてきたのは、過去に興味があるからでも介入したいからでもない。ただ彼の大切な人に挨拶がしたいと思ったのだった。
「静かな場所だね」
「そりゃ、墓地だからな。ああ、でもいい場所だ」
目的地にたどり着き、車を降りる。冬の風は冷たく、小動物の鳴き声さえも聞こえない。ただ木の枝に少し残った枯れ葉だけが小さく音を立てている。本当に静かな場所だ。
桶に水を汲み、小さな花束を抱え、二人歩く。狐が先を行き、少し後ろを葵が追う。大きな墓地ではないから、すぐに春川の墓の前に着いた。十二月の空は晴れていても少し陽が弱い。だが、その場所だけはこんな陽気でもどこか明るく感じた。
「少し、離れててもらっていいかな」
「うん、分かった」
花を供え、線香を立てると狐が言う。やはり思うところがあるのだろう。葵は頷くと数歩後ろに下がる。今は、二人の時間だ。
狐は一人、春川の墓の前に立ち、黙祷する。その後ろ姿を葵は眺める。静まり返った空間で、目に映るものは背景に張り付いているみたいで、どこか遠くに感じる。長いような、短いような祈りを終えて、狐は葵の方を振り返る。
「お待たせ」
「じゃあ、次はあたしの番だね」
そう言って葵は狐に目配せをする。狐も葵の意図を察してそっとその場を離れた。葵が墓の前に歩み出ると、今度はさっきと真逆の構図になった。
「初めまして、春川さん」
葵は声に出して挨拶をし、深く頭を下げる。それから手を合わせ、目を閉じた。
―今日は貴女にお礼を言いに来ました。
心の中で葵は春川に語りかける。
―私だけじゃ、多分彼を止められなかったと思います。助けられなかったと思います。貴女の想いが彼を繋ぎ止めてくれました。
葵にはまだ知らないことだらけだ。狐の過去に踏み込む術はなく、春川がどんな人物だったのかも、二人がどんな関係だったのかも分からない。自分一人だったら、今この場に狐も葵も居なかっただろう。
―色んな人の助けがあって、私も彼も生きています。もちろん、貴女にも助けられました。だから、ありがとう。
感謝を告げ、葵は目を開く。そこにあるのはただの墓で、祈った相手は過ぎ去った人だ。けれど確かに、心は通っている、想いは繋がっていると感じる。
「また来ますね」
葵はもう一度、春川に会釈をし、狐の隣に戻った。
「彼女となにを話したんだい?」
「ん、ありがとって」
車に乗り込むと狐が尋ねる。長々と説明することでもないな、と葵は簡素な答えを返した。
「そうかい。それなら、連れてきて良かった」
葵の返答に狐は満足そうに言う。相変わらず、葵には狐の顔は狐に見えたままだ。この男の素顔をいつか見られる日が来るのだろうか。
「俺の顔に何かついてるかい?」
じっと横顔を眺めていたら視線が気になるのか、狐がこちらを向いた。葵は首を軽く横に振る。
「別に。いつもの狐顔だなーって」
「ああ。そういや確かに、戻る気配がないな」
狐は右手で自分の頭の上に立った耳を引っ張る。その仕草は見慣れた狐の様子と変わらない。
「でも、あんた変わったよね」
「そうか?」
「気付いてないの? 誰が見ても変わったって言うよ。なんかちょっと素っぽいっていうか」
仕草は同じでも、あの日から狐は目に見えて変わった。言葉遣いも、雰囲気も、なんと言ったら良いのか、壁がひとつなくなったような感覚だ。
「そう言われてもなあ。二年も仮の自分を演じてたから、素がなんだか分からなくなってるんだよな。俺はどういう性格だったんだっけって」
「ふーん? 今もまだ演技してる気分?」
「いやまあ、今は別にそうでもないけど」
狐はポリポリと鼻先を掻いた。やはり以前よりもずっと人間味を感じる。
「だったら、今のあんたが新しいあんたってことでいいじゃん」
「新しい俺?」
葵は自分でも良いことを言ったと思うが、狐は首を傾げている。ピンと来ていないようなので、言葉を続けた。
「人間変わるもんでしょ。あたしだって変わった。死にたかったあの日のあたしはもう居ない。死にたいあんたももう居ない。そうだよね」
「ああ、まあな」
「あたしは変わっていくのは進歩だと思うな。だから今のあたしは新しいあたし、今のあんたは新しいあんた。その方が人生楽しそうじゃない?」
葵は狐と目を合わせながら微笑む。狐も葵の言いたいことを理解したようで頷いた。
「確かに、新しくなるのは良いことだ」
「そう、良いことなんだよ」
あの日、壊れた二人が出会ってから二ヶ月。それほど長い時間が経ったわけではない。まだ心の傷は癒えない。
だが確実に未来はいい方向へと進んでいる。二つの車輪は壊れたままでも、互いに支え合いながら、でこぼこ道を走っていく。先々のことは分からない。きっと簡単な道なんてほとんどなくて、これからも様々な困難が待ち受けているだろう。
それでも、何度立ち止まっても、何度挫けても、何度壊れても、また立ち上がる。足を引きずってでも、前へと進んでいく。生きている限り、人生は何度だって逆転できるのだから。
まっさらな紙面の上。何も定まらない未来に確かな希望を信じて。壊れた二人は新しい一歩を踏み出した。
壊れた彼女と奇妙な狐 @99-tsukumo
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