第11話 振り返るとたしかに 1/2
あれから一ヶ月あまりが経過した。最初はあんなに退屈に苦しんでいたのに、気がつけばあっという間に十一月だ。葵はスマホとにらめっこしながら唸っている。
「高いなあ・・・」
はあ、と溜め息をついて仰向けに倒れ込んだ。先ほどまで見ていた液晶の数字を思い返すと少しげんなりする。公共料金って、こんなに掛かるものだったのか。
「今までが安すぎただけなんだろうけど」
寝返りを打ちながら独りごちる。特に電気代の跳ね上がり方が大きい。考えてみれば当然の話で、寝るだけの家が生活する家に変わったのだから、それだけ使うものも増える。逆に言えばそれまでが使ってなさすぎたということで、自分の中の常識が崩壊するのを改めて感じた。
「浮かない顔だねえ」
見上げた天井を覆うようにぬっと狐の顔が現れる。
「普通ごめんくださいが先じゃないの?」
葵は冗談めかして悪態を吐いた。しばらくは付きっきりだった狐も、段々と不在の時間が増えてきて一人で居ることも多くなった。それでも毎日必ず顔を出すが時間帯はまちまちだ。今日はちょっと早めか。
「ああ、確かに。呼び鈴も鳴らさないのに慣れちゃったけど、これはよくないね、失敬。ごめんください?」
「はいはい、いらっしゃい」
玄関の鍵はちゃんと掛けているし、合鍵を渡しているなんてこともないのだが、この狐はいつも音もなく現れる。まあ、最初の出会いからそうだったのだし、今更驚くこともない。狐頭の時点で多分妖怪だし、そのぐらいできてもいいだろう。いや、少々麻痺しすぎだろうか。
「それでえーと、ああ、電気代ね」
狐は軽く周囲を見回すと葵の右手に握られたスマホの画面を見て言った。
「思ったよりずっと高いんだよなあ。私も初めて自活をはじめたときは驚いたもんだよ」
「あたし、一人暮らし四年半してるんだけど」
「そういえばそうだったか」
気持ちは分かるよと言わんばかりに大袈裟に頷きながら狐は言葉を続けるが、その内容はどこかズレている。理解しててわざと茶化しているのにも、もう慣れてしまったが。
「私が払おうか?」
「しつこいよ、要らない」
この一ヶ月、葵がお金の心配をすると狐は決まってこう言いだし、葵はそのことごとくを断った。
「貯金はあるって言ってるじゃん」
確かに仕事を辞めて収入はなくなったものの、幸か不幸か今まで買い物をする時間すらなかったので、薄給だったのに預金残高にはまだ余裕がある。加えて退職金の振込予定日もまだだ。そっちは本当にあるのか未だに疑っているが。
「あるものは使えば良いのに」
「ヒモになるのは嫌なんだってば」
一度断っても狐は食い下がる。このやり取りも毎度のことだ。加えて自分で買ってきたものは葵が代金を払おうとしても頑として受け取らない。
「そもそも、もうあんたには十分出してもらってるから」
葵はテレビに繋がれたゲーム機に目をやる。この一ヶ月間これには随分と世話になった。狐が置いていった娯楽用品は様々あるが、一人遊びをするにはこれが一番手軽だったので、葵はすっかりハマっていた。
一方で狐に対しては申し訳無さが勝る。葵が気に入ったタイトルがあると次の日には似たジャンルのタイトルや関連シリーズのソフトが一通りダウンロードされていて、一週間もしないうちに遊びきれないほどのタイトルが溜まってしまった。
考えるまでもなく狐の仕業であり、葵はもう止めろと狐を一喝したあとアイツは一体いくら使ったんだと金額を調べてひっくり返りそうになる。ソフト以前にハードの価格が想像よりも一桁高い。
当然葵は狐を問い詰めたが暖簾に腕押しで今に至る。すでに与えられてしまったものをやらないのも勿体ないので色んなタイトルに手を付けているものの、毎日ずっとプレイし通しても消化しきれる未来は見えない。
「パソコン買うよりはずっと安いよ?」
「お前なあ・・・」
あっけらかんと言う狐にそういうことじゃないと何度抗議したことだろうか。たった一ヶ月でこの狐からは様々なことを教わったし、自分の未熟さも思い知らされた。そのたび狐がすごく大人に見えて頼もしさすら感じたが、お金周りだけは過保護にすぎる。子供扱いされている、というよりも本当に加減を知らないという風だ。
後手に回ると押し付けられるので最近は先んじて釘を刺すようにしている。流されるばかりだった人生がこの短期間で随分と変わったものだ。
「そうだ、ちょうどいいから二人で一緒にゲームしないか? 今日は暇だろう?」
「えっ? ああ、まあね」
狐はポンと手を叩いて葵に提案をする。今日はというか今日も暇なのだが、なんとなく乗り気にならず、葵は曖昧な返事をする。
「あれ、もしかして気乗りしない?」
「あんたとゲームって言うとねえ?」
オセロもどきの騙し合いが忘れたくても忘れられない。コイツとゲームをすると疲れる予感がした。わざとらしく語尾を釣り上げて訴えかけるように狐の方を見る。
「あー、まあ、なんだ。言いたいことは分かった。あのときのことを引き合いに出されるとこっちも弱いんだが」
狐も葵の考えを察して言葉を詰まらせる。どんな言い訳をするのだろうと葵は狐の顔をじっと見た。
「ほら、テレビゲームなら不正のしようはないだろう?」
「ふーん・・・?」
意外にも真っ当な意見だ。それでもこいつは何かしでかす気もするが、これ以上は押し問答になりそうだ。
「まあいいか」
実のところ一人遊びにも少し飽きてきたところで、狐の相手をする方が張り合いがあるのも事実である。二人プレイなこっちだろう、狐の顔から小さい方のゲーム機に視線を移す。それから手を伸ばしかけたところで葵の動きがぴたりと止まった。
「あれ、どうした?」
「うーんとね」
狐は葵の様子に不思議そうに声を掛ける。対して葵は少し考える素振りをして答えた。
「やっぱこうしよう。あんたが一人でやって。あたし見てるわ」
「はあ?」
どうしてそんなことを思いついたのか自分でも分からないが、なんとなくこっちの方が面白い気がして葵は狐に提案を返す。
「それって楽しい?」
「いいから、はいこれ持って」
狐の方はよく分からないという顔だが、葵はお構いなしに狐にコントローラーを手渡しテレビの前に座らせる。そしてゲーム機の電源を入れると、テーブルに置かれていたお菓子を手にとってベッドに腰をおろした。
「まあ、やれっていうならやるけども。せめてオススメぐらい教えてくれよ」
「んーと、それ。左から三番目のやつ」
狐の背中越しに指をさしながら指示を出す。狐が渋々といった様子で言われた通りにカーソルを合わせ、ゲームを開始すると懐かしい音楽がなった。
「小さい頃好きだったんだよね」
「へえ、レトロゲームってやつ? 最新機種でも遊べるんだ」
「・・・?」
狐の言葉が予想外で葵はきょとんとした。買ったのは全部お前だろうと思ったが、確かに操作がぎこちないように見える。どうやら本当にゲームに疎いようだ。
「ふーん、なるほどねー」
「なんだよ、悪そうな声出して」
なんとなくの思いつきが、想像したより面白いことになりそうでついニヤけてしまう。自分を天才だと褒めてやりたい気分になった。
「なんでもない、なんでもない。じゃ、それクリアするまで頑張ってね?」
手にしたお菓子の袋を開け、ひとつ摘んで口に放るとイタズラな笑みを浮かべて葵は言った。
――――――
「あーくそ、また落ちた!」
狐にゲームをやらせ始めて二時間ほどが経とうとしていた。お菓子はとうに空っぽになったが、葵は飽きずに悪戦苦闘する狐を眺めている。他人がプレイするのを見るだけでも中々どうして面白いものだ。それともやっているのが狐だからだろうか。
実は狐にプレイさせているゲームは葵の世代よりだいぶ古い。ぴたり世代に合うタイトルは中途半端に古くなりきっておらず、まだほとんど復刻されていない。その一方、消去法で選んだというわけでもなく、幼少期のお気に入りだというのは本当だった。
「(お母さんもよくこうしてあたしがやってるのを見てたっけ)」
画面を眺めながら遠い記憶をぼんやりと思い出す。当時葵がこのソフトを好きだったのは、母が知っているタイトルだったからだ。最新作では母と話ができないからと、実家にあった古いゲーム機をわざわざひっぱりだして遊んでいた。一人プレイ用で一緒に遊べないのが幼い葵には不満だったが、母は見てるだけで十分楽しいと言っていた。
「(あのときお母さんもこういう気分だったのかな)」
狐は同じステージから中々先に進めずムキになっているのか顔が徐々に画面に近づいている。葵はプレイ内容よりも狐の様子の方が面白くてつい目で追っていた。
幼少期の葵は母の言う事が分からなかったが、もしかしたら今の自分は当時の母と似たような目線で狐のことを見ているのかもしれない。
「なあ、これ難しすぎるよ~。助けてくれない?」
何十回目かのゲームオーバーでついに狐は音を上げて葵の方を振り返る。見たことないほど心底困り果てた様子だが、コントローラーからは手を離さず、無意識なのかコンティニューを押している。これだけうまくいかなくても辞めるつもりはないようだ。狐も大概負けず嫌いだな、と葵は思った。
「んー、ズルの仕方は知ってるけど」
「マジ? 教えて教えて!」
律儀にセーブポイントからやり直している狐にクイックセーブのことを教えるかどうか少し迷う。幼少期にやってたころにはなかった機能で葵もつい最近存在を知ったのだが、ズルをしている気分になるので自分では使わなかった。
とは言えそれは自分の拘りの話で、他人が使う分には干渉することでもないと思う。しかし、狐の食いつきが想像以上に良かったので少し意地悪をしてやりたくなった。
「ま、もうちょっと自力で進めてからね?」
「ええ~っ」
「ほらほら、日が暮れちゃうよ。頑張れ頑張れ」
そうやって煽る葵に狐は恨めしそうな顔をするのだった。
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