黒焦がれて ”あこがれ”

渡貫とゐち

あこがれ


 おれは”あいつ”になりたかった。

 実家が太く、勉強もスポーツもすぐに上達できる環境にいて、まさに将来が約束されたエリートだった。……恵まれていたのだ。


 しかも顔が良い。バレンタインになればあいつに寄る女子は多い。紙袋を三つ持っていても溢れるほどのチョコレートを貰い、そのお返しを全員に三倍返しできるほどの小遣いもある。

 ……あいつの手にはなにもかもがあった。

 成績上位、スポーツ万能、容姿端麗、頭も良い……ハッ、独占するつもりかよ。

 そうやってお前がなんでもかんでも持っていくから、おれたちはおこぼれの才能しか貰えなかったんだ。


 ――あいつがいなければ。

 いなければ、その位置に立っていたのはおれだったかもしれないんだ……



「先輩っ、卒業しないでくださいーっ!」

「そうですよっ、会長がいなくなったら誰がみんなをまとめるんですか!」

「こらこら、引き止めたら先輩が困るでしょ? だからみんな離して……離し……――うわぁぁん!! 私だって先輩と離れるの嫌ですよーっ!!」


「あはは、ありがとう、みんな……。泣かないでさ、僕がいなくなった後のことは任せたよ」


 ――卒業式。


 当然、あいつの傍にはたくさんの女子が集まっている。目立っているのが女子というだけで男子も少なからずいた。男女から信頼を集めた、理想的な生徒会長の姿だった。


「エリートは盛大に見送られて羨ましいねえ……、こっちは見送りのひとりもいねえ。まあ、そりゃそうだがな」


 こちとら不良だ。いつまでも学内に残っていても仕方ねえ、おれは先に帰らせてもらぜ――カバンを肩にかけて帰ろうとすれば、体育教師が前を塞ぐ。


「待ていっ! ――卒業おめでとう! お前が卒業できて俺は嬉しいぞ!!」

「…………暑苦しいおっさんが見送りかよ……、こりゃ隣の芝生が青く見えるんじゃなく、おれの芝生が黒焦げになっちまってるだけじゃねえの?」


「お、早速覚えた言葉を使ってるじゃないか。その調子だ!」

「うるせえ」


 鬱陶しい教師の横を素通りし――、もう二度と通わない高校に別れを告げずに去ろうとしたが、無理だった。

 意外だったが、おれの中にも感謝はあるらしい――


「おい、先生」

「どうした?」

「ありがとな」


「だははははっ、礼を言えるようになったか! これでお前も立派な社会人だな」

「立派な社会人はもっとちゃんとしてるよ。感謝をするって、んなもんスタート地点ですらねえって話だがな……」

「それが分かっているなら、お前はスタート地点に立てているよ」


「…………」

「卒業おめでとう。大学でも頑張れよ!」


「……クソレベルの低い大学だがな」

「だけど大学だ。お前の未来を広げてくれる場所だ――国に頼れ、若人!」


 背中をばしっと叩かれた。いてぇな。

 だけど、気合が入ったぜ。

 そして、おれは高校を卒業する――





 ――僕は”彼”になりたかった。


 敷かれたレールなんてない自由な人生を歩む彼が眩しく見えた。

 彼自身が今の環境を『恵まれている』と感じているかは分からないが、苦しそうな横顔を見ていると自覚はしていないのだと思う……それもそうだろうね。

 僕が喉から手が出るほどに欲しいものを、彼は持っているけど、それは僕のように一度は恵まれてみないと分からないことだ。


 隣の芝生は青く見える。もちろん僕の芝生が青くないと言いたいわけじゃない……。青いさ、父さんと母さんが頑張ってくれた結果、僕は生まれた時からほとんどを『持っていた』人生だった……言ってしまえばイージーモードだった。


 それでも努力は必要だけど、その努力が報われる環境にいたのだ。

 今の僕の評価は生まれた時から備わっていた環境が背中を押してくれたのだ――

 その環境がなければ、僕だって有象無象の凡人だったはず。生徒会長になることもできず、女の子から言い寄られることもなく、成績だって下位から上がれなかったかもしれない。

 僕が見下ろしていた人から見下されていたかもしれないのだ。


 ――だけど、彼と接点があったかもしれない。

 僕が『恵まれていた』ばかりに彼との接点がなくなったと考えたら、恵まれていることを一瞬だけなら恨むかもしれないね。


「……将来を約束されなかったら、僕はどうしていただろうね」


 彼のように自由に生きていただろうか。

 先が見えない不安な目的地を目指して突き進めただろうか。僕は、怖くなる。

 だけど彼にはできてしまえる。


 壁を乗り越え、障害を破壊する度胸を持っている。

 彼に手段がなくとも、やる気さえあればなんでもできるのだ……、彼は環境に恵まれていなかったけれど、折れずに立ち向かう心があった。僕にはないものだ。


 僕はもう、敷かれたレールの上しか走れない。そうなってしまったのだ。

 だから――――憧れる。


 僕は、彼になりたかったのだ。





 ――学生結婚をした。

 貯金もねえし先行き不安だが……孕んじまったもんは仕方ねえ。


 まさか、一回生でシタだけで孕むとは思っていなかった。

 あいつは産みたいと言いやがるし、んなことよりも金なんかねえって言ってんのに「一緒に頑張ればいいじゃん!」って言うしで…………経済的な地獄を見ることになる。

 努力をしてこなかったおれの自業自得なんだがな。それをこいつにまで押し付ける気はなかったんだが……。

 だが、一蓮托生だ。

 おれは、こいつとガキの分まで働き、幸せにする義務がある。


「分かった、結婚するよ、仕方ねえな」

「仕方ない? ……なーんて、大胆な照れ隠しじゃんねー。あなたの方が結婚したくてしたくて仕方ないくせに。かわいーいー」

「うるせえよ」



 ――父が紹介してくれた女性と結婚をした。

 太い繋がりを残したい仕事上の相手、らしい――


 父さんが結婚をしろと言ったからしたようなものだが、そこに愛がなかったわけではない。

 愛は後から作れるものだ。

 幸せだって、それが幸せだと思えば幸せなのだ。


「元気な男の子ですよ」

「そうか」

「あなた、顔がデレデレよ……無愛想な仕事人間を演じなくていいわ」

「むぅ……、しかし、会社を継ぐつもりだからね。僕には威厳がないから、できる限り出す必要があって――」


「先代と同じことをしても会社は大きくはなりませんよ。できて現状維持です。それも大事ですけど、あなたに任されたなら、あなたのやり方で会社を引っ張っていくことです。失敗しても立ち上がればいいでしょう? なんのために私がいると思っているのですか?」


 強い女性だった。

 僕にはもったいないくらいに。


「……すまない、迷惑をかける」

「いいえ? 迷惑だなんて思っていませんわ」



「この子をどう育てるつもりなん? やっぱりあなたみたいに……自由奔放に?」


「いや――塾に通わせよう、他にも小さな頃から色々なことに触れさせてやりたい。絵画、音楽、スポーツ……全部だ。――この子のために、おれが稼ぐ。だからこの子にはできる限りの英才教育をする――いいな?」



「あなた、この子に会社を継がせるつもり?」


「……この子には自由を与えよう。好きなようにさせるんだ。敷かれたレールという自覚ない呪いを与えるわけにはいかない。……そうだ、山を買おう、自然に触れさせよう。この子には勉強ではなく、体を動かし学ぶ育て方をしたい――いいかな?」


「あなたがそのつもりなら、私は従いますよ?」



「――父上っ、どうしておれを塾にいかせてくれないの!?」

「……お前には必要のないことだからだ。塾にいくよりも今は山にこもって色々なことを学びなさい。全てはそこに詰まっていると言ってもいい。勉強なんて後でいくらでもできる」

「でもっ、おれは勉強したいんだ! だって父上の会社を継いで――」


「そんな将来は今のところ白紙だ。……いいから、好きなことをしなさい。野球選手でも漫画家でもいい、お前のやりたいことを私は支援するつもりだ――ほら、遊んできなさい。勉強はお前の毒になるだけだ」



 大手会社社長の息子は、「あのクソ親父め」と悪態をついていた。

 日曜日。すれ違う家族連れを発見し、睨むように観察して――


「いつもいつも塾ばかり……っ、僕だって遊びたいんだ、父さん!」

「ダメだ。ここで頑張れば将来、お前は父さんみたいなクズにはならないで済むんだ――ここが正念場だ、頑張れ。安心しろ、将来までのレールは、父さんが敷いてやるからなッ!!」

「いらないよぉ……」


 小学生ながら、かしこそーな黒ぶちメガネをかけた典型的なガリ勉の少年が泣きそうになりながら、父親からの期待に応えようとしている。

 ……塾、ピアノ、絵画、書道などなど、彼の日常は習い事で埋め尽くされていたようだ。できるなら逃げ出したい、と言ったような眼差しが――社長の息子とぶつかった。


「あ」「あっ」


 すれ違う。すれ違ってもふたりは振り向きながら、自分とは正反対の少年に、手を伸ばしかけ――寸前で引っ込めて、でもやっぱり手を伸ばす。


 憧れた環境が、目の前にあったのだ。



 片や習い事に追われた日常、


 片や虫取り網を持って野山を駆け回る日常――



 そして彼らの親は”元不良”と”元優等生”だった。


 かつての自分に後悔し、自分の子供に同じ目には遭わせないように……。

 あの時、欲しかったものを子供たちに与えていた親たちだったが――――


 ……しかし、同じものを望むとは限らない。

 実際、息子たちは今の環境を『恵まれている』とは思えなかったのだから。



「「あいつ(あの子)、いいなぁ……」」




 …了

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