互いを見ていた
一途彩士
お返し
東館の三階は放課後になると人通りも少なく、密会には好都合な空き教室があった。指定された教室の扉を開ける。
「よく来てくれたわね、水上くん」
きっちりと編み上げられた三つ編みをたずさえた委員長が、美しい姿勢で待ち構えていた。
名前を呼ばれた水上は扉を閉めて、委員長に向かってへらりと相好を崩す。
「あんな手紙もらったら、何を置いても来るよ」
『三月十四日、東館三階にある空き教室にてお待ちしています』
机の中に入っていた手紙には宛名がなかった。しかし本文は日誌や黒板でよく見かける委員長の達筆な字で、水上には誰からの手紙かすぐにわかった。
「……何か予定あった?」
「今日は帰るだけだったよ」
「そう」
ほっとした様子の委員長に、水上は期待する心を止めることができなかった。浮ついたまま、
「それで、今日はどうしたの?」
と尋ねる。
「ひと月前、これをくれたでしょう?」
「うん。持ち歩いてるの?」
委員長は両の手のひらサイズの缶を水上の前に差し出した。雪の結晶がデザインされたそれは、たしかに水上があげたものだった。
「喉を傷めやすいから、飴を持ち歩くのに使わせてもらってるの」
委員長のしなやかな指が缶をなぞるのを、水上は息をつめて見つめていた。
水上にとって委員長は、最初はただ優等生で、先生や周囲の人間からの信頼も厚い生徒という認識だった。自分は何事も適度に、気の向かないことは手を抜いて、なんてお気楽さで学生生活をおくっているから、正反対の人間だという印象が強かった。自身が髪を染めてピアスもしてるタイプだから、きっと反りは合わないだろうとも思っていた。
しかし実際の委員長は、水上のようにチャラついた人間でも壁をつくることなく接してくれる、親しみもある子だった。しっかりものだが、よく観察しているとたまにドジなことをする。委員長の真面目さをからかう同級生もいたが、水上の目には彼女のそういうところが好ましく映った。
最初からそんな思いを伝えようと思っていたわけではない。でも、来年委員長と同じクラスになれるかもわからないことに気づいて、何かしようと思って、二月十四日にチョコレートを手渡した。百貨店のバレンタインフェアまで出かけ、かわいらしい雪だるまの形をしたチョコが入った小さな缶を選んだ。水上がプレゼントに雪のモチーフのものを選ぼうと思ったのは、珍しく登校日に雪が降った日、グラウンドのほうを機嫌よく眺めていた委員長のことを覚えていたからだった。
委員長は最初は驚いていたようだったが、先に用意していた「いつもの礼」という理由を告げるとすぐに表情をやわらげて「ありがとう」と水上にほほ笑んだ。委員長のその笑顔は、夢に三日三晩現れるほど水上の記憶に焼き付いた。
そんな日から一か月後の今日。水上が「何か」を期待するのも無理はなかった。
「今日はお返しを持ってきたの」
そういって委員長がカバンから出したのは黒猫のイラストが入った箱。
「甘いものって大丈夫?」
「うん」
委員長から受け取った箱を水上がまじまじと見ていたからか、委員長は「あの、その」と慌てたように口をした。
「男の子に何をあげたらいいかわからないし、これは水上くんにはかわいすぎるかもとも思ったんだけど。でも水上くん、猫のピアスしてるから好きなのかと思って」
委員長は頬を染めて、恥ずかし気に理由を言った。水上は思わず手で右耳を触った。水上の右耳は髪で隠れている。委員長の言う通り飼っている猫に似た黒猫の形のピアスをしているが、意識して観察していないと気づく人は稀だろう。それを知っているということは――
水上も、委員長と同じように自分の顔が赤くなっているだろうと思った。沈黙が二人の間に流れる。
「委員長、ありがとう。めちゃくちゃ嬉しい」
水上が頑張って礼を言うと、委員長の顔がぱっと明るくなる。
「大事に食べるね」
「ええ」
委員長の笑顔は、水上の心の中にある人生アルバムの見開きを飾った。
水上は、委員長からもらったその箱を、三日三晩家で大切に飾ってから開封した。中もかわいい猫の形のチョコレートが入っている。そして左端にはハートの形に、LOVEとプリントされたチョコがひとつ。
「……」
水上は一度蓋をとじた。そのチョコレートを口にできるまでにかかった時間は、箱を開けるまでの期間よりも長いものだった。
互いを見ていた 一途彩士 @beniaya
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