憧れは、鎮魂歌に変わる
蘇 陶華
第1話 影を失った踊り子
階段を降りる靴音が響く。
忘れた筈なのに、心が躍る。
「もしかして」
淡い期待。
その思いは、裏切られるのに。
僕は、ため息をついて、もう一杯のコーヒーを淹れる為に立ち上がった。
「困った子ね」
母は、そう呟くと、仕事に行った。
廊下へと出る足音は、母娘なのに、全く違う。
「誰が、不幸にした?」
僕は、何度も、話し合っただろう。
どんなに考えても、答えが出ない。
仕舞い込んだシューズは、もう、輝きを失っている。
「才能があると思っていたのに」
母親のその言葉は、呪いの言葉と同じ。
「もう、踊れないよ」
僕は、言った。
双子の姉を亡くしたあの日に、僕は、全てを失った。
もう、踊れない。
姉は、僕の憧れでもあった。
同じ遺伝子を持つのに、姉の方が、母親の才能をほとんど、受け継いでいた。
姉は、いつも、バレエ団の中央にいて、端っこに映る僕の視線は、まっすぐ姉を見つめていた。
誰よりも輝き、将来を期待されていた。
なのに・・・。
事故で、簡単に亡くなった。
家族全員が、失意のどん底に落ちた。
年月が経つにつれ、母が僕に姉の姿を重ねてる事に気がついた。
姉と僕の才能には、大きな差があり、どんなに、頑張っても、僕は、姉のようなセンスは、持ち合わせていなかった。
バレエ協会の母親は、当初、僕の中に、可能性を見ていたらしいが、
それは、淡い期待に消えた。
僕は、二度と、ステージに立てない。
憧れだった、姉が、消えた。
光を纏ったまま、本当の天使になってしまった。
僕は、躍る事で、何が変わるのか。
陽の光が怖かった。
昼間は、寝て、夜の空気に触れる。
僕は、もう一人の自分を失った。
「ダメな子ね」
母親の声が聞こえていた。
姉が、階段を降りるヒールの音が耳に残っている。
カツカツと、飛び跳ねるように、駆け降りる音。
聞こえる筈ない音に、僕は、窓を開けた。
あの憧れの姉が、帰って来たのかと思った。
「今日は」
そこに居たのは、小学生の女の子だった。
右手には、可愛らしい傘を持つ。
外の世界は、時間が流れ、鬱陶しい梅雨の時期になっていた。
「うるさい?」
小学生が、傘の先を杖の様に、突くので、あんな音がしたのだろうか。
「お姉さん。どうして、そんな悲しい顔をしているの?」
女の子は、言った。
「お兄ちゃんは、もう、帰って来ないの?」
「お空に行ったのよ」
僕は、答えた。
「そうなんだ。お姉ちゃん、泣いてばかりいたら、ダメだって、ママが言っていたよ」
女の子は、また、飛び跳ねるように、階段を駆け降りていった。
僕は、知っている。
全てを閉じてしまった理由を。
このレッスン場に、何度も来て、自分を探している理由を。
僕の分身。
亡くなったのは、弟。
いつも、僕の後を追いかけていた。
なんの取り柄もない弟を僕は、馬鹿にしていた。
誰からも、憧れの存在の自分。
自分は、光で弟は、影だと思っていた。
亡くしてみて、わかった。
影のない光など、存在しない。
弟がいたから、憧れられる自分でいられた。
気がついた僕は、躍る事をやめてしまった。
弟いたから、僕は、輝けた。
まだ、僕は、深い闇にいる。
憧れは、鎮魂歌に変わる 蘇 陶華 @sotouka
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