宮廷魔女になりたい
白里りこ
チェレナ、下積みの奮闘
チェレナには憧れの人がいる。
その人に近づくためには、功績が要る。
「粉砕魔女のチェレナです! 領主様のお役に立つため、粉骨砕身、頑張ります!」
紅の絨毯の上に跪いてご挨拶はしたが、本心では領主のことなど至極どうでも良かった。
どうせ、人間である領主の方がうんと早く死ぬ。それにチェレナは、手柄を上げたらとっとと契約を切って、もっと条件の良い契約先に移るつもりでいるのだ。
そんなチェレナの腹の内を知ってか知らずか、年嵩の領主は不機嫌そうに頷くと、召使いにチェレナの案内を任せた。召使いは無言でチェレナを館の外に連れ出した。
収穫の時期を迎えた麦畑で、村人たちがせっせと賦役労働に勤しんでいる。春風が小麦の穂を揺らし、畑にさざなみを立てる。
「即刻出立する」
召使いは先を歩きながら無愛想に言う。
「隣村の森に魔物が出ている。早く片付けてもらいたい」
「承りました。どんな魔物です?」
召使いは答えなかった。チェレナは軽く息を吐いて、首にかけている麻紐に触れた。
☆☆☆
元来、魔女というものは人間から忌避されている。
女は魔法が発現したら最後、何の権利もなくなってしまう。
村にも町にも、住んではいけない。森の中に隠れ住み、時折人里に出て人助けをしては、見返りに施しを受けて細々と暮らすしかない。
他にも様々な制約が課されており、少しでも禁を破ればたちまち火炙りにされてしまう。
だが中には便利な魔法を覚える魔女もいて、領主に自らを売り込むことがある。
危険な仕事を請け負うから、ちょいと住処と報酬を与えてはくれぬかと。
領主としても、厄介事を安く片付けられるので、これを承諾する。
そうして任務に就く魔女を、契約魔女と呼ぶ。
チェレナは一介の村人の母親から生まれた人間の女の子だった。八歳の頃、魔法が発現して村を追われ、森のボロ屋に住みついた。
十日おきに親が食糧を運んできてくれる他は、誰とも会わなかった。
ある日、きのこを採りに森に入った村の子どもたちが、チェレナを見つけ、囲んで棒で叩いた。怖くなったチェレナは、ほとんど無意識に魔物を召喚してしまった。
巨大な猪に似た姿をした真っ黒い魔物は、その巨体でチェレナの家をぶち壊し、森の木々を薙ぎ倒した。子どもたちは命からがら村に逃げ帰った。
魔物は確かにチェレナの望み通り敵を排したが、チェレナはそれ以上魔物を制御できなかった。未熟なせいもあったし、怯えていたせいもあった。
数日間、魔物は森を荒らし続けた。チェレナは冷たい秋風に晒されながら、膝を抱えて地面に座り込み、途方に暮れていた。いつ魔物が森を出て人を襲うかと考えると、寝ることも食べることもできなかった。
七日後、大樹に向かって無闇矢鱈と頭突きをしていた毛むくじゃらの魔物が、突如として幾本もの槍に刺し貫かれた。瞬きの間のことだった。魔物はピキャアと鳴き声を上げると、一陣の黒い風となって消えた。魔界に帰ったのだ。
カランカランカラン、と槍が地面に落ちてぶつかり合った。
「大丈夫?」
いつの間に現れたのか、チェレナのもとに一人の魔女が歩み寄ってきた。
怯んだチェレナに、彼女は手のひらを差し出した。ポン、と音がして、その手の上に温かい牛乳が入った木の椀が現れた。
「私は具現魔女のマルユタ」
人々に実りをもたらす森を守るため、主人に呼ばれて来たのだという。
彼女は魔力を物質に変換できる。先程の槍もその魔法で出したそうだ。
「君、私の家に来なさい」
彼女は契約魔女の中でも、皇帝に直接仕える、宮廷魔女だった。
皇帝に認められているから、広い家が与えられていて、そこでたくさんの魔女を養っていた。皇帝からの褒賞と自身の具現魔法のお陰で、食べ物にも困らないという。
チェレナは故郷を離れて、マルユタについていくことになった。マルユタが匿わなければ、チェレナは火炙りになるところであった。
「君はどんな固有魔法を使うのかな」
皇帝領まで行く馬車に揺られながら、マルユタは尋ねた。
「……物を、砕きます」
「へえ、いいね。麦とかも砕けるの」
「多分……。でも、やっちゃ駄目って、言われてました」
「そうか。家に着いたら、色んな魔法をちょっとずつ練習してみよう」
「……いいんですか?」
「もちろん」
以後、チェレナの生活はこれまでになく豊かになった。
暖かい寝床、清潔な服、賑やかな食卓。
必要なものは何でもあったし、無くてもマルユタがたちまち具現化してくれる。チェレナが寂しがって泣いた日には、布でできた
一緒に暮らす魔女たちから、魔法の手ほどきを受けることもできた。チェレナは色んなものを砕けるようになった。不用意に魔物を呼ぶようなこともなくなった。
魔法がうまくなるにつれ、チェレナはマルユタの仕事を手伝いたくなった。森にいた時、鮮やかに魔物を退治してくれた、あの光景が忘れられなかったのだ。
マルユタのようにはなれなくても、マルユタを手伝えるくらいにはなりたい。
十七歳になり、チェレナはマルユタの家を出て、他所の領主と契約を交わした。
いつの日か皇帝と契約できるような、立派な魔女になるために。
☆☆☆
魔物には魔女に呼ばれる場合と、自然発生する場合がある。契約魔女が討伐に駆り出されるのは、後者のことが多い。
「そこの森に、出るようになったそうだ。村にまで被害が出ている」
召使いはそれだけ言うと、村の視察があるからと立ち去ってしまった。呼び止めたが、返事もしてくれない。
指示も情報もなしに、いきなり放り出されても困る。
チェレナは落ち葉を踏み締めて立ち、眼前に伸びる木々の群れを見上げた。新しい葉を青々と生やした枝が、呑気に風にそよいでいる。所々、伐採されていたり、切り株があったりして、人の手が入っているのが窺える。魔物が荒らした形跡はない。手がかりは何もないということだ。
一度、空から探すか。
物を宙に浮かせて移動させるのは、魔物の召喚と同じく、基礎魔法に属する。
木の梢よりも高く飛翔したチェレナは、村に沿って森の上空を巡った。人里に出てくるというのなら、魔物の居場所はそこまで奥深くではないはずだった。
緑一色の景色を注意深く見渡す。
不意に、ずうん、めきめきめき、と物々しい音が遠く聞こえた。
巨木が倒される音で間違いなかった。同じ音をあの日も聞いたし、他の領主との契約中にも聞いた。
チェレナは一直線に音のした方へ飛んだ。
新緑で埋め尽くされた空間に、ぽっかりと不自然な穴がある。下の方で何本もの木が横たわっている。倒れ方の乱雑さからして、明らかに木こりの仕事ではない。
更によく見ようと穴を覗き込んだチェレナは、キュッと身を縮めた。
壊れたかのようにひたすら倒木に突進しているのは、黒い毛むくじゃらの、大きな猪に似た魔物だった。
ぎらつく目、鋭い牙、硬い頭蓋。
幼き日の恐怖が蘇る。
あの時と同じ魔物か、それとも別物か。
魔力が途切れ、チェレナは落下を始めた。
怯えていては、魔法が使えない。
落ちるに従ってばきばきと木の枝が折れていく。幸か不幸か、途中で太い枝に受け止められ、ウッと息が詰まった。お腹を強く打ってしまって痛い。おまけに小枝に引っ掻かれたせいで、あちこち傷だらけだ。
痛みから立ち直る暇もなく、ずどんっ、と激しく木が揺れた。衝撃で危うく滑り落ちそうになり、慌てて枝にしがみつく。
恐る恐る見下ろすと、魔物がチェレナの乗っている木を攻撃している。
「ひ、ひえぇ〜」
チェレナはぶるぶる震えながら、そろりそろりと右手を枝から離し、首にかけた麻紐を引っ張って、小さな栗鼠のぬいぐるみを引き寄せた。すっかり古びてしまったそれを、チェレナは何度も洗い、繕い直しながら、お守りとして持ち続けていた。
「……大丈夫」
己に言い聞かせる。
ぬいぐるみを片手に、何度も繰り返し思い出した記憶。マルユタが助けてくれた時の光景。
あの人が来てくれたから、今のチェレナがある。あの人に近づくために、今チェレナは頑張っている。
万物を生み出せるあの人の魔法には遠く及ばないけれど、チェレナにだってできることはある。
「行きます!」
ぬいぐるみから手を離す。すとん、と麻紐が首の上で跳ねるのを感じながら、人差し指を眼下の魔物に向ける。
砕けろ。
念じた瞬間、体中の魔力が指先に結集し、雷の如き速さで解き放たれる。魔法はあやまたず魔物の顔面に命中。ピシッ、と魔物は陶器にでもなったかのように硬直し、ひび割れ、四方八方に砕け散った。欠片は粉となり、風に乗って、すぐに見えなくなった。
「ふう……」
一呼吸置き、改めて気持ちを落ち着ける。慎重に己の体を浮き上がらせて、森から脱出した。
☆☆☆
「ですから!」
チェレナは領主の使いの男に食ってかかる。
「ちゃんと私、魔物を倒しました! 真っ黒くて牙を生やした猪の魔物! 村人の証言とも一致してるでしょう」
「しかし目撃者がいない。お前が倒した証拠が無い」
バカですか? と言いたくなるのを我慢して、言い募る。
「見た人がいなくたって、合理的に考えたら分かるはずですよね? だいたい、召使いさんが勝手にいなくなったんじゃありませんか。そちらの監督不行届です。私のせいじゃありません!」
「しつこいぞ、魔女の分際で。とにかく今回の仕事は記録するわけにはいかん。もう決まったことだ」
男はにべもなく言い捨てて、チェレナを館の部屋から追い出した。
「むーっ」
チェレナは思いっきりしかめっつらをして、長靴の足を床に打ちつけた。
こんな仕打ちは初めてだった。だが、いかんせん魔女は立場が弱い。チェレナが騒いだところで、領主の耳に届きすらしないだろう。
せっかく評価を上げられると思って頑張ったのに、ただ働きとはあんまりだ。
次に大きな仕事が来るまで、手柄はお預けか。皇帝のお膝元までの距離は長い。
「すみません、マルユタ」
胸にぶら下げたぬいぐるみを持ち上げる。
「おそばに行くのは、まだまだ先になりそうです……」
今頃、家のみんなはどうしているだろうか。いつになったら自分は、あの暖かい家で再びみんなと食事を囲めるだろうか。
……焦っても仕方がない。こればかりは運だ。
きっとそのうち、夢を叶えられる日が来る。名のある魔女になって、皇帝の目に留まる日が。
大丈夫。
魔女の寿命は長いのだから。
おわり
宮廷魔女になりたい 白里りこ @Tomaten
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