碧い瞳が見つめる先に

「あれからもう七年か」眼下に遠く広がる楽指平野を見つめたまま優翔が呟いた。「おかしな女神だったな」

 アトリプスと出会った丘の上に、中学一年生になった戎谷勝高、火倉大介、穂関優翔の三人が並んで座っている。今日は一学期の終業式だった。

「消える間際の、もったいぶった言葉は女神の呪いかな?」

 大介の言葉に、勝高は首を振った。

「いや、ゲルヒェヴェーツェン語で、あなたの未来を選びなさい、という意味だ」

「それって呪いの言葉のようにも感じられるね。選択を間違えたら死ぬぞ、みたいな」

「あながち間違ってないかもしれないな、イェーガー優翔

「あの頃からだもんな、俺たちの町がこんな事になっていったのは」

 大介の言葉に同意するように、三人は揃って町を見下ろした。

 少年たちが女神アトリプスと遭遇した1991年、バブル経済が弾けた。

 それから僅か七年の間に、ほとんどの企業が合理化の名のもとに楽指市から撤退し、そのせいで職を失った人々が町を去った。あとに残されたのは、不気味な姿を晒す鉄とコンクリートの巨大な廃墟群だけだった。発展と同様の、あるいはそれ以上の激しさで町は急速に力を失っていった。

 平野部の面積がおよそ二十四平方キロメートルの楽指市は、ピーク時、人口が二十万人を越えていた。だが現在は五千人もいない。四十分の一だ。さらに減少傾向は続いている。人々は波が引くように消えていった。

「資本主義経済が押し寄せた時、楽指村は拒否する事もできた。でも村人は開発を受け入れるという選択をした」顎に手を当てて俯き加減になりながら、勝高が分析を始めた。「その結果、一時的に大きな繁栄を得たけれど、それはすぐに廃れた」

「選択が間違っていた、そう言うのか」

 大介が不安そうに尋ねた。彼の祖父母は、楽指村の都市化を推進した中心メンバーだ。

「いや、そうとは限らない」勝高は顔を上げた。「バブルが弾けなければ、まだ勢いは続いていただろうからね」

「だけど、実際はこの通りだ」眼下の町を手で示しながら、優翔が勝高のあとを引き継いだ。「それに、巨大な廃墟で埋め尽くされてしまったこの町に、田畑を作れる土地は残っていない。元の穏やかな農耕生活に戻る事もできないんだ」

 三人は口を閉ざして遠くの空を見つめた。

「お兄ちゃん」

 振り返ると、大介の妹の陽葵ひまりが立っていた。大介たちの二歳下なので小学五年生の十歳だ。赤いヘアゴムでまとめたツインテールの黒髪が可愛らしい。生まれた時は黒かった瞳が、いつの頃からかあおくなった。そのせいで同年代の子供たちから敬遠されているようだ。だから寂しいのだろう、大介だけでなく、優翔や勝高にもべったりと付き纏って来る。

「どうした、陽葵」

 大介が優しく声をかけた。

「こんな所で何してるの?」

「昔、話しただろ、ヘンてこりんな女神さまに会ったって」

「うん、覚えてる」

「それが、この場所なんだ」

 陽葵は周辺を見回した。広々とした草原を下った先に楽指市が一望できる。

「いないね」

「会ったのは一回だけなんだよ」残念そうにしている陽葵に大介が答えた。「もしかしたら、と思って来てみたんだけどね」

「どうしてるのかな、アトリプス」

 優翔の呟きを聞いた勝高がメガネを弄った。

「俺も気になっている。なんの意味もなく俺たちの前に現れたとは考えにくい」

「意味、か」

 大介が思案顔になった。

 大人になったら、みんなでまたここに来たいな。誰かがそう呟いた。憎み合っていなければいいんだけどね。

 三人は屈託なく笑った。陽葵の碧い瞳が、それを冷静に見つめていた。

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