あゆみくりかまきのこと

けいりん

あゆみくりかまきのこと

 あゆくまの話をしようと思う。


 あゆみくりかまき、通称あゆくま。
 歌うたいのあゆみ、DJのくりか、盛り上げ役のまきの3人からなる、関西出身のアイドルパンクDJユニット。

 2012年、高校の同級だったくりかとまきの2人によって「くりかまき」として活動をスタートし、2014年、あゆみの正式加入によって「あゆみくりかまき」となる。


 パンキッシュな楽曲とフロアを巻き込む熱いライブをすることに定評があり、「またぎ」と呼称されるファンを中心に、多方面から高い評価を得ていたが、2021年3月、解散を発表。同年6月19日のラストライブ「僕らの熊魂THE LAST LIVE~これがあゆみくりかまきだ〜」をもって、7年間、くりかまき時代から数えると9年間の歴史に幕を下ろした。


 僕があゆくまを知ったのは、2017年10月、アニメ「銀魂」”ポロリ篇”のエンディングテーマ「反抗声明」を通してだった。
 最初に聞いた直後、すぐさま好きになった。


 アイドル全般に疎かった僕は、当時BiSHなどのロック系アイドルの存在を知らず、ギンギンのバンドサウンドに乗せて熱く歌い上げる「アイドル」は、ものすごく新鮮だった。その後、いろんなグループを知った今になっても、歌うたいのあゆみさんを中心にした3人の歌声は、どんなメジャーグループにも負けないものだと思う。


 ただ、この時点では、曲さえ聞ければ満足で、個々のメンバーの区別すら危うかった。
 リアルで会ってみたいという欲求も薄く、ライブに行こうなどとは思いも寄らなかった。
 地方出身で、メジャーなミュージシャンの規模の大きいコンサートやライブにしか行ったことがなかった僕にとって、その手のものは、「たまに行く特別なイベント」だったのだ。


 それが変わったのは、2018年12月。
 新しく配信リリースされたカバー曲「蝋人形の館」に付属していた、同年のハロウィンライブにおける「アナログマガール'18」の動画を見た時のことだ。


 フロアのコール、振りコピ。盛り上げ役まきさんの煽り。かわいいのにカッコいいくりかさんのパフォーマンス。それにあゆみさんのパワフルな歌声。
 どこをとっても無茶苦茶楽しそうで、猛烈に、「そこに居たい」と思わされた。
 スマホの画面越しにもビンビンに伝わってくる迫力、熱気、一体感。


 かつて、アイドルのパフォーマンスというのは「祝祭」なんだなと考えたことがあった。日常を離れた狂騒のもと、アイドル=偶像への崇敬を高め、忘我と恍惚に身を浸す、原初の祭りに近い何か。
 漠然としたイメージでしかなかったそれを、何倍もプリミティブに、濃密に、激しくしたものが、そこにはあった。


 できることならスマホの中に入り、その一人になりたかった。
 一緒に拳を振り上げ、「オレモー!」と叫び、サビで横向きにトントントンと片足移動したかった。
 一人の部屋で、見様見真似で、何度もそれらを練習した。
 いや、練習ではないな。
 僕はそうすることで、少しでも、ライブの熱気の中に自分がいると感じたかったのだ。


 だが、ライブ慣れしていなかった僕が、戸惑いと躊躇を振り切るには、もう少し時間が必要だった。

 2019年の9月15日、F.A.D. YOKOHAMAで開催された、「僕らの熊魂2019~本気の地方大巡業ツアー」横浜公演。

 それが僕の初参戦となった


 チケットを取ったのは遅く、入場順は後ろの方。オールスタンディングのライブハウスで、最後列の隅っこに文字通り押し込まれ、ステージの様子は隙間からチラチラ見える程度。


 開演直前、ハイロウズ「日曜日よりの使者」がかかるのに合わせて会場中がクラップしている時にも、前座のバンドでも出てきたのかと思ったくらい、ステージ上の様子はわからなかった。

 SEが流れると、会場の様子で、いよいよ始まるんだということが察せられ、僕のうちにも興奮が高まっていった。


 やがて大きなフラッグを持って登場するくりかさん。お立ち台に上がった姿が、かろうじてちらちら見えた。フロアが一気に加熱する。SEに合わせ、皆に合わせて拳を振り上げ声を上げた。


 続いてまきさんとあゆみさんが登場したのは、会場の拍手や歓声でそれと知れただけだった。
 それでも、SEが長い余韻を残して止み、スピーカーからまきさんの


「あゆくまー⤴︎」


 という声が聞こえ、会場中がいっせいに


「「やったんでー!!」」


 と叫んだ時には、「ああ、確かに、あゆくまが、本当のあゆくまが、そこにいるんだ」と実感し、その事実に感激して、涙が溢れていた。


 そのあとほとんどずっと泣き通しだった。
 チラチラと見えるだけの3人の姿は、あまりにも尊かった。
 そしてこんな隅っこで何も見えず何もわからない僕のことも、あの、憧れた熱狂は、確かに巻き込んでくれたのだ。

 グッズ購入特典のハイタッチ会では、列に並んだ時からもう、今度はそんなに近くにあゆくまがいることに感激して泣けてきて、自分の番ではほとんどろくに顔を見れなかった。


 こうして僕のまたぎライフは始まった。

 このあと半年ほどで世間はコロナ禍ってやつに突入してしまい、あゆくまのライブも中止になったり延期になったりした。だが、そんな中でもあゆくまは、配信でのおしゃべりや各種イベントなど、楽しいことをたくさん届けてくれた。

 僕があの鬱々とした日々を乗り越えることができたのは、あゆくまのおかげだと思っている。


 中でも、7月の初めてのオンラインライブと、9月にやっと開催された有観客ライブは、忘れられない。オンラインで募集して集めたまたぎたちの歌声がパソコンから流れてきた時の感激や、久しぶりに直接姿を見て、声出しもタオル回しもジャンプもできない制限だらけのものなのに最高に盛り上がったあの会場の熱気。どちらも大切な思い出だ。


 その後、ハロウィンの配信ライブ、12月のクリスマスライブなど、活動が増えてきて、やっと、いずれは元通りのライブができるようになるんじゃないかっていう予感が芽生え始めた。


 だが一方、出演予定だったCOUNT DOWN JAPANの中止など、まだまだ先行き不透明であることを思い出させる出来事もあった。


 不安と期待がせめぎ合う中、年明けて1〜2月に開催された、バレンタイン東名阪ツアー。遠征はできなかったけど、2月の東京公演ではまさかの最前をゲットし、舞い上がった。


 不安がないわけではなかった、でも、敢えて明るい未来しか見ないようにしてた。

 あゆくまは違ったんだよな。どうして分かってあげられなかったんだろう。どうして寄り添えなかったんだろう。


 2021年3月14日。妻へのホワイトデーのお返しを買うべく並んでいた洋菓子屋の入店待機列で、何気なくスマホを取り出した僕は、少し前にあゆくまから「大切なお知らせ」があるのに気がついて、胸騒ぎを覚えつつリンクをタップした。


 解散のお知らせ。

 世界が遠くなった。


 最初は恨んだ。

 こんなに悲しい思いをさせるくらいなら、こんなに好きにさせないでほしかった、そう思った。


 酷い。あんまりだ。「遅すぎる夢はない」って、「明るい未来へ一緒に行こう」って、何度も言ってたじゃないか。その気にさせておいて、自分だけ行ってしまうなんて。酷すぎる。


 かろうじて日常を回しながら、何度も、ふいにあゆくまのことを思い出して泣いた。

 あゆくまのいない未来になんか行きたくなかった。


 もういいよ、コロナ明けたって意味なんかねえよ、このまま全部終わっちまえよ。

 こんなに好きにならなきゃよかった。


 だけど気がつくと、そんなふうに思ってしまうのも、結局はあゆくまが好きだからで。

 あゆくまを好きでなかったら、あゆくまを好きにならない理由もないというパラドックスがそこにはあって。

 そして何より、あゆくまがこれまで与えてくれてきたものは、決して嘘ではなくて。それらを否定したいなんて、本気で思うことは、僕にはできなかった。


 だから、残りの日々、あゆくまにできるだけ愛を伝え続けようと思った。

 ラストシングルを買い、グッズを買い、オンラインイベントや撮影会に参加した。SNSやブログ記事へのコメントで、大好きだと言い続けた。


 そして迎えた、ラストライブ当日。

 ライブ自体はものすごく楽しみで、なのに最後だという悲しみも最大限というアンビバレントな気持ちで、僕は会場へと向かった。各種展示が、否応なく、本当にこれが最後なんだと伝えてくる。知っている過去、知らない過去、あゆくまの歴史を語る、パネルやフラッグ、過去衣装などなど。


 会場入りして座席に着くと、ますますこれで最後なんだという思いが強まった。始まったら終わってしまう、始まらなきゃいいのに、とまで思った。


 その想いは、いつもの「日曜日よりの使者」がかかったところで頂点に達した。こうしてこれを聴きながら皆とクラップするのもこれが最後なのかと思ったら、それだけで涙が溢れてきた。


 そしてSE。今回のためのオリジナルらしいドラマティックな音に乗って、くりかさんがやってくる。遠くからも、いつになく真剣な表情が見てとれた。やがてまきさんが、そしてあゆみさんがやってくる。そして


「あゆくまー⤴︎」


「「やったんでー!!」」


 会場からの声はない。でも皆が内心で、全力で叫んでることがわかった。もちろん僕も叫んでいた。あゆくまに聞こえるように、伝わるようにと祈るような気持ちで。


 音楽が鳴り始めたら再び涙があふれて止まらなくなった。

 本当に、これで終わってしまうんだ、そう思って。


 けれども、曲が続き、MCに笑い、さらに曲が続いていくうちに。そんな想いが、些細なことに感じられるようになっていった。

 ライブの楽しさが、解散の悲しさを上回ったのだ。


 もちろん、エモい曲でつい涙ぐむシーンもあった。けれどもそんな時ですら、僕はもう、「今、この瞬間」を感じるだけの、一人のまたぎだった。「終わらないでほしい」そう思い続けてはいたけど、だからといって音楽に、ビートに、止まってほしいとは思えなくなっていた。


 最後なのに別れの悲しみすら吹き飛ばすようなライブができるあゆくまはすごいと思った。そんなあゆくまを好きになれたことが誇らしかった。


 そして、この日が最初で最後のライブでの披露となったラストソング「サチアレ!!!」を経て、「ナキムシヒーロー」で全てが終わった時、僕の中に溢れたのは、感謝と、心からの満足感だった。


 悲しくなかったわけじゃない。終わってしまった、という虚脱感もあった。

 だけど、開演前に想像してたような、泣き崩れ、膝をつき、立ち上がる力もないまま人目を憚らず号泣してしまうような、そんな心境ではなくなっていた。


 そんな終わり方をくれたのはあゆくまだった。

 愛も、別れも、あゆくまがくれた、大切な宝物だった。


 君に出会い思い知った 君がいなきゃ何もなかった

 誰にも代われない 僕らは運命だった

   (あゆみくりかまき「サチアレ!!!」より)


 あゆくまには今でも会いたい。ライブに行きたいし、元気な3人の顔が見たい。多分最後まで認知はされてなかったのだって悔しいし、言いたいこと、伝えたいこと、まだまだたくさんある。


 でも今の僕は知っている。それら全てが、あの日の愛を今とこれからにつなぎ、証明してくれるものだと。

 そうとも、今でも僕はあゆくまに夢中なのだ。

 だから、僕はもう別れを恨まない。


 ただ、心から願う、あゆみさんと、くりかさんと、まきさんの、それぞれの未来に、「サチアレ!!!」と。

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