中学
彼女とはじめて会ったのは、入学式を終えたのち、最初の登校日の帰り道のことだった。第一印象は、身長が高いだけで、それほど印象に残るようではない顔立ちだったが、一目見ただけでなぜだか美しく思えた。同じ制服を着て、同じクラスなのだから、自然と会話に発展した。
今では何を話したのかはよく覚えていない。覚えているのは、とてつもなく意気投合したことと、学生証の写真を撮らせてくれ、と言われたことだ。
「アタシ、人の名前覚えるのが苦手でさ、毎日にらめっこして一月ぐらいでがんばって覚えるから、葉月さん?」
「そんなにかかる? ふつう」
「ふふっ、普通じゃないんだ、君もでしょ?」
「そだね、私はあなたの名前はすぐ覚えたけどね。谷川ちゃん」
私と同じくらい、変人だなと思った。気が合うなと思った。
意気投合したのは、お互いの異常性、特別さ。今思うと、とてつもなく傲慢であるが、私たちは選ばれし人間だった。小学校の頃から、大して勉強しないまま、他の生徒よりも圧倒的に勉強ができた。他人とは違う、凡人とは違って私は優秀なのだ、そう思って家から近い進学校に入学したのが私たちだった。その傲慢さを共有するのが、2人の楽しみだった。
「双子のパラドックスについて相談なんだけど……」
「たしか慣性系の話だよね?」
「それを知らない一般人に説明したくて、ほら、自由研究」
「自由研究で相対性理論の話されても、てか無理でしょ、一般人には」
「やっぱりー?」
お互い無意識に他者を見下していたが、少なくとも私にとって、彼女は見下される一般人には分類されなかった。
彼女は私の生き写しのようだったが、なぜそう感じたのか不思議になるほど、彼女と私は相違点が多かった。私は世渡りがそこそこ上手く、友人にも多く恵まれたが、彼女はそういったことには無関心であった。私は生物や地球科学が好きだったが、彼女は数学と物理が好きだった。私は走るのが遅かったが、彼女はとてつもなく速かった。
共通点を挙げるなら、ふたつだけ。頭が良く、そのことに傲慢であること。この二つが、微小な共通点を無数に作り出したせいで、彼女と私は一心同体だと錯覚した。
「葉月さんって、谷川さんとよく話してるよね。私なんか、谷川さんの言ってることさっぱりわかんなくてさ。よくついてけるね、ていうかあの人と話してるときの葉月さん、そっくりさんって感じがする」
「通訳がほしかったら私を呼ぶといいよ」
別の友人にそう言われることがよくあった。そう言われることが、一番優越感に浸れた。
二年生になった。クラス替えで別々にされたが、私たちの関係は変わらなかった。変わったのは私の方だった。
「葉月さん、この設計図はどう?」
「葉月さん、男子たちが、真面目に仕事してなくて……注意してきてくれない?」
「葉月、女子たちが……」
私は学級委員、文化祭のクラスの出し物(脱出ゲームを企画したはずだ)の代表をやったりと、人前で指揮する役回りに挑戦した。私は統率力にも傲慢な自信があった。私がいる限り、失敗はあり得ないと思っていた。
「18位、下から五番目か……」
「葉月さんだけの責任じゃないよ、元気だして……」
「来年がまだあるからさ、え、やんないの?まぁそれでもいいけど……」
文化祭の日、私と彼女の共通点が一つ消えた。私は謙虚になり、臆病になった。やっぱり私の本領は頭脳、それも自己の好奇心を満足させるためだけの科学的な。そう確信して、彼女がいつもいる図書館の隅に行った。
「……谷川ちゃん」
「どしたの~葉月」
「別に、何でも」
「そっか」
彼女はにぶいから、私が多少暗い表情をしてても気がつかない。
「あっそうだ、みてみて、この本アーベル郡の……」
彼女の言うことが、少しづつわからなくなってきた。
三年生になった。中高が一つの私の学校において、この時期は中だるみの時期だ。私は去年の失敗を引きずり、無気力のままSNSに溺れ、成績も徐々に下降し、またしてもクラスが別れた彼女とは、少し疎遠になった。
「英語がわっかんなくてさぁ、谷川ちゃん、なんとかしてくんない?」
「アタシはドラえもんじゃないの、勉強しなさい」
「はーい」
彼女は常に学年トップ、私は英語などで点数を落とし、真ん中ぐらいだった。それでも彼女はこれまで同様、私を
文化祭の日、去年と違い積極的に参加しなかった私は、所属していたボードゲーム同好会で案内をしていた。
「お邪魔するね、葉月」
「邪魔するなら帰ってよ」
「あいよー……じゃなくて! 勝負しよ!」
そう言われて、将棋、チェス、囲碁の3本勝負で対戦することになった。
「へへ、運がいいなアタシ」
「もー、谷川ちゃん強すぎ……」
三連敗だった。彼女は私の手には負えない天才なのではないか、という考えがよぎったのは、この時からだった。そんな私に、彼女は言った。
「葉月」
「なに?」
「楽しかった、ありがと!」
「……うん!」
二学期の期末テスト、数学では自己ベストの94点を叩き出した。彼女はいつも通り100点だった。疑惑は確信に変わった。その日から、自宅の勉強机はPCとゲーム機で埋め尽くされた。
2月の終わり頃、たまたまコンビニで合流してから駅まで歩くことになった。
「こうして一緒に帰るのも久々だね葉月」
「そうだね、谷川ちゃん」
「恋バナでもする?」
「今さら?」
「えへへ」
「あー、もしや好きな人でもできたなぁ!」
「いやいやいやいや、そっちはどーなのよ! なんか急に顔赤くない?」
「はー? 違いますぅ」
そう言われても思わず頬に手を当てる。確かに熱い。そして気がついた。
「……あの人だ」
「え、なんて?というか、ガチで照れてない葉月?」
「私、部活の先輩のあの人が好きだったんだ」
「……あの人って?」
「どうせ谷川ちゃん名前覚えてないでしょ」
「あっ」
今気がついたって顔しててバカみたいだと思った。名前を覚えられない彼女に、恋バナはあまりにも向いてなかった。なんでやろうとしたのか聞こうとしたが、彼女の質問に遮られた。
「てか葉月こそ、なに今更気がついたみたいな顔して、そっかー理系女子に恋は早いかぁ」
「なっ、理系は谷川ちゃんもでしょ! てかどーしよ、明日から先輩の顔見れない……」
「乙女だねぇ」
「うるせー!」
真っ赤になってうずくまっていたのを覚えている。
先輩が家族の都合で福島に引っ越すことになったと聞いたのは、その二週間後のことだった。
「……葉月?」
「……っ」
駅のベンチで茫然としているのを、彼女に見られた。
「えっと、どしたの」
「……谷川ちゃんにはわからないよ」
「葉月にはわかるの?」
彼女は人の感情に疎い、にぶい、それでいて、よく本質をつく言葉を投げ掛けてくる。それが彼女の知性の証であり、当時のそれが失われつつある私にはあまりにもつらかった。
「……わからない」
そう弱々しく答えた私と、彼女の肩がぶつかった。そうして、私は彼女の胸に体重を預けて泣いた。
彼女から、付き合って欲しい、と頼まれたのはその一ヶ月後の、四月中旬のことであった。
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