6.狩り


「モーリス・ボルテールです。どうぞよろしくお願いいたします、レディ・イヴェール」


 そう挨拶してきたのは、白みがかった髪に鋭い灰色の瞳をしている男だった。

 ニュージュア王国の使節団の大使であるボルテール公爵だ。


 見た目の印象とは違い、物腰の柔らかそうな言い方だけれど、その瞳は鋭く、私を値踏みしているようでもある。


「本日は格別な狩り日和ですね。レディもそう思いませんか?」

「ええ、そうですね」


 建国祭五日目。

 この日、私たちは王宮の裏側にある森に来ていた。隣国、ニュージュア王国の大使と狩りをするためだ。


 ニュージュア王国とは長年戦争をしてきた。五年前に戦争を終結させてから時間をかけて少しずつ両国間の関係も改善しつつある。

 その親睦も兼ねて、陛下や一部の貴族を交えて狩りをすることになった。


 この狩りはあくまでも遊戯的なもので、秋にある狩猟祭みたいな本格的なものではない。あくまでも和やかに会話をしたりしながら、狩りを楽しむためだけのもの。

 私は皇帝の婚約者として、一緒に参加することになったのだけれど――。


 森の入口で陛下が来るのを待っていると、そこにニュージュア王国の大使であるボルテール公爵がやってきたのだ。フェリシアン様が護衛として傍にいるけれど、大使を相手に会話を妨げるようなことはできないのだろう。


 ボルテール公爵は私の返答などたいして気にしていないかのように、一人で喋りつづけている。


「実は私は狩りが大得意なのですよ。自国でも森でよく狩りをするのです。物陰に隠れて、獲物が通りがかるのをじっと待っている時が一番やりがいを感じるのです。なぜかわかりますか?」

「私は狩りが初めてなのです」

「ふふ、そうでしたか。――狩りとは一方的なものです。獲物はこちらの存在を知らず、悠長に構えて簡単に姿を現せるのです。その油断した隙を、こう、一発で仕留めた時の快感が……良いんですよねぇ」

「そうなのですね」


 弓を引いて矢を放つ仕草をするボルテール公爵。その獣を思わせる鋭い瞳がふいに私から逸らされて、その背後に向けられる。


 黒い馬とともに、陛下がやってきたところだった。

 陛下が金色の瞳を、煩わし気にボルテール公爵に向ける。ボルテール公爵はそれを意に介すことなく、深く腰を折り曲げた。


「皇帝陛下、本日はよろしくお願いいたします」

「……こんなところでなにをしておるのだ?」

「狩りが始まる前に、こちらの麗しいレディと少々お話を」

「……もうすぐ狩りが始まる。こんなところで油を売っていると、せっかくの獲物を逃すことになるぞ」

「それはいけない。私は今回の狩りで、少なくとも一匹は仕留めるつもりでいますので。――それでは、レディ。またあとで時間がありましたら」


 ボルテール公爵は一礼すると行ってしまった。


「さて、ラシェル。馬には乗れるか?」

「はい。嗜む程度ですが」


 貴族令嬢は教養として乗馬を楽しむことがある。私も最初は教養のためだったのだけれど、馬に乗っている間は他のことを考えずに目の前の景色を堪能できる――それが楽しくて、息抜きにもなってよく馬に乗っていた。


 今日も乗馬をするときに着用するパンツスタイルの乗馬服を着ている。本当は馬に跨るのは父がいい顔をしないのだけれど、横に座る乗り方だとどうしても乗りにくいので、腰のラインを隠すため膝ほどまである長めのジャケットを着ることにより、渋い顔をした父に許可を貰っている。

 この姿で人前に出ることはあまりないけれど、今日はせっかく馬に乗れる機会なのだからと、邸宅から送ってもらったのだ。


 ふと陛下の視線を感じた。


「どうされましたか?」

「……あ、いや。いつもとは違う格好なのだな」

「はい。乗馬をするときはこのスタイルが楽でして……。あ、はしたないと思われましたら、着替えてきますが……」

「いや、そうは思っておらん。いつものドレス姿もいいが、その姿も美しいと思って、つい見惚れてしまったのだ」

「みとれ……!」


 そう言ってもらえるとは思っていなかったので、私は羞恥から顔を逸らす。


「アルベリクス様も素敵ですよ」

「そ、そうか?」

「はい」


 謎の空気の中、先に声を出したのはフェリシアン様だった。


「そろそろ開始の時間です。準備をされたほうがよろしいかと」

「ああ、そうだな」


 陛下が連れてきた青毛――全身真っ黒の馬に、陛下の手を借りて一緒に乗る。

 最初に見た時から大きな馬だと思った。がっしりとした体躯をしていて、乗馬用の馬とは違う雰囲気がある。陛下の愛用の馬だとすると、もしかして元軍馬だったりするのだろうか。


「……今日はよろしくね」


 馬の毛を軽く撫でながら呟くと、後ろに乗った陛下がなぜか反応して、「あ、ああ?」と困惑をした声を出していた。





「もっと弓を引くんだ。そうだ。いいぞ。そのまま矢を離して」


 私の手に覆いかぶさるかのように、陛下の手があった。

 陛下に言われるがまま、矢から手を離すと、飛んで行った矢は獲物のすぐそばの地面に突き刺さった。驚いた兎が、文字通り脱兎のごとく逃げていく。


「惜しかったな」


 耳に吐息がかかるほどの距離で陛下の声が響いた。驚いて振り返ると、金色の瞳と目が合う。

 金色の瞳が大きくなり、すぐに逸らされた。心なしか陛下の耳が赤い。


 狩りが始まってから一時間が経っていた。

 私たちは馬から降りて獲物を捜していた。本当は馬に乗ったまま弓を射るつもりだったのだけれど、弓の初心者の私にはあまりにもハードルが高かったため、馬から降りて狩りをすることになったのだ。

 だけど、いまのところ私たちは、一匹も獲物を仕留められていない。


「あの、アルベリクス様。私は、お邪魔なのではありませんか?」

「そんなことない。そもそもこの狩りは遊戯的なものだ。楽しむのが一番なのだから、獲物を仕留められなかったところで批判されるいわれはない。それにもしそんなことをしてくる輩がいたら……」


 金色の瞳がすぅーと細くなる。剣呑な雰囲気とともに風が吹いて、周囲の木々が音を立てる。

 背筋が寒くなった。

 最近忘れていたけれど、陛下は暴君なのだ。私に優しくしてくれるところがあるけれど、その瞳は狙った獲物を逃すことはない。もしその怖ろしい瞳が私に向けられたら……そんなことを考えてしまい、私はつい震えた。


「もしかして寒いのか? 春になって温かくなったとはいえ、油断すると風邪をひくかもしれないぞ」


 勘違いをした陛下が、上着を抜いて私に被せてくれる。 

 それにドキッとするのは、あの時のフェリシアン様を思い出してしまうからかもしれない。


「……ありがとうございます」

「ここら辺にはもう獲物がいないようだな。移動しよう」


 陛下が指笛を吹くと、近くで草を食んでいた馬が近づいてくる。

 先に陛下が乗り、私に手を差し伸べてくれようとしたとき、突然、馬が悲鳴のようないななきを上げた。陛下を乗せたまま前足を振り上げて、ものすごいスピードで走り出す。


「っアルベリクス様!」


 陛下は黒馬にしがみついているが、あの調子だと振り落とされる危険性がある。


 どうして馬が突然走り出したのか。その理由はすぐに分かった。

 太ももの部分に、矢が刺さっている。その痛みで驚いたのだろう。


「アルベリクス様!」


 追いかけたいけれど、馬の足には勝てない。

 陛下の姿はもうすでに遠くなっていて、このままだと見失ってしまうかもしれない。


 その時、馬の蹄の音とともに一人の男がやってきた。


「レディ、どうされましたか?」

「……ボルテール公爵閣下」


 どうしてここに、ニュージュア王国の大使がいるのだろうか。

 そう思ったけれど、それよりも陛下のことが心配だった。


 馬から降りてきたボルテール公爵が近づいてくる。

 ボルテール公爵が乗ってきた馬はよくいる栗毛の馬だった。陛下の連れていた黒馬よりかは体躯が小さいが、むしろこっちのほうが私も乗りなれている大きさである。


「馬の大きないななきが聞こえたと思ったので来たのですが……。それよりもレディ、もしかしておひとりですか? 陛下はどちらに?」

「……っ、あの、すみません。すこし、馬をお借りします!」


 私はボルテール公爵が持っていた手綱を拝借すると、馬に飛び乗った。


「レディ、どうされたのですか!」

「陛下の馬が襲撃を受けたんです。それで陛下ともどもどこかに走り去ってしまって……。私は陛下を追いかけます! 閣下は、応援を呼んでください!」


 もうすでに陛下の姿は見えなくなっている。すぐに追いかけないと。

 手綱を握って、栗毛に「ごめんね、いま急いでいるの。少し、無茶をさせてしまうかもしれないわ」と話しかけると、足で馬のお腹に合図を送り走り出す。


「応援を呼ぼうにも馬がなくては……って、レディ!」


 背後からまだボルテール公爵の声が聞こえてくるが、私は気にせずに栗毛とともに走り出した。

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