5.刺客


 ボートを漕ぎ終わって元の岸に戻ると、陛下のエスコートでボートから降りる。

 その後、公園の中を見て回った。

 風に吹かれて落ちてきた桜の花弁が、私の頭の上に乗ったのを陛下がとってくれた。

 その時距離が近くになり、また心臓の音がバクバクと脳内まで響いてくるようで……。

 すぐ離れようとしたところを、突然陛下に腰を引き寄せられた。


「へ、陛下。……こんなところで、おやめくださ」

「静かに」


 陛下の声はまるで氷のように冷たかった。その時、近くで物音がした。それにより、私は周囲の異変に気付いた。

 剣同士がぶつかり合う金属音。呻き声がしたかと思うと、なにかが地面に倒れる音。私のすぐ背後でも同じような音がする。

 どさりと地面に何かが落ちるのが視界の端に映った。それは、人の形をしているように見えて、赤い湖のようなものができていて――。


「見るな。私のことだけ、見ていろ」


 私の腰を抱える陛下の手にさらに力がこもったような気がした。

 顔を上げると、金色の瞳と目が合う。


「陛下。周囲の刺客はあらかた片付けましたが、まだいるかもしれません。お早く、馬車にお戻りを」


 緊張感のある声で駆けつけてきたのは、漆黒の騎士服を着たフェリシアン様だ。彼だけではない、他の騎士の姿もある。

 どうやら姿が見えなかっただけで、護衛は近くにいたようだ。


 陛下とともに馬車に向かう。その時、近くの木の影から一人の武装をした男が飛び出してきたが、すぐに陛下が薙ぎ払った剣で、息絶えた。


 ぞわりと、背筋が冷たくなった。


「どうしたのだ? 早く乗るぞ。まだ敵は多そうだ」

「……はい」


 かろうじて出た声は微かに震えていた。目の前で人が死ぬ姿を見るのは初めてのことだった。

 足が震える。フェリシアン様は刺客だと言っていた。それは、誰の刺客なんだろう。もしかして、陛下を狙っていて、私はそれに巻き込まれてしまったのだろうか。


 陛下は何でもないというような顔をしている。それがさらに不安を掻き立てる。


 この国の皇帝の婚約者になるということは、こんなにも怖ろしいことと向き合わなければいけないのだろうか。

 帰りの馬車の中、窓の外の景色なんて見ていられなかった。陛下も、足を組んだまま、無言でどこか別のところを金色の瞳でにらんでいるようだった。


「――怖いか?」


 ふと、問いかけられる。

 私はそれにすぐ、返答することができなかった。



    ◇◆◇



 建国祭四日目の舞踏会。

 陛下と一緒に入場して一曲目のダンスを踊り終わると、他の貴族に呼ばれた陛下は護衛としてフェリシアン様を置いて行ってしまった。どうやら今日は他国の使節団も来ているようで、忙しそうにしている。


 昨日、公園から帰ってきた私たちは、短い会話を終えてそれぞれの部屋に戻った。本来ならあのあと舞踏会に参加する予定だったのだけれど、それどころではなかったのだ。

 おまけに昨夜はなかなか寝付けなくて、ぼんやりとしたまま朝を迎えてしまった。寝付けない理由は、たぶん、初めて目の前で人の死を見てしまったからだろう。


 陛下も昨日のことには触れないけれど、私の様子をしきりに心配していた。

 無理してないかとか。今日も舞踏会を休んでもいいぞ、とか。

 だけど、陛下の婚約者として、今日の舞踏会まで休んだら他の貴族から何を言われるかわからない。


 昨日の襲撃犯はほとんどがその場で亡くなってしまったらしい。自害した者もいたようで、首謀者が誰なのかわかっていない。

 もし舞踏会に参加している貴族の中に、昨日の襲撃者と繋がっている者がいたとしたら、よからぬ勘繰りをされかねないだろう。

 そう思って舞踏会に参加したのだけれど――。


 居心地が悪い。

 会場中からチラチラこちらを窺う視線を感じる。それだけならまだよかったのだけれど、息抜きのためにテラスに出たら、フェリシアン様までついてきてしまった。護衛なのだから当たり前ではあるのだけれど。


 なぜなのかわからないけれど、フェリシアン様から視線を感じるのだ。

 ひんやりとした青い瞳。それと目が合って、つい愛想笑いをしてしまう。

 胸が高鳴るドキッ、というよりも、不安の方が強かった。


「あの、どうかされましたか?」


 問いかけると、彼は笑みが浮かんだままの口を開いた。


「今日は元気がないように思えまして。……もしかして、昨日の襲撃を怖れているのではないかなと」


 確かにそれはある。これから陛下の婚約者として、未来の皇后として傍にいることになれば、あれもよくあることなのだろう。間違えて告白しなければ、命を脅かされることもないのにと、過去の自分を呪いそうになった。


「もし、陛下の婚約者としての立場が嫌になったら、いまならまだ引き返せますよ」

「……それは、どういう……」

「失礼しました。出過ぎたことを言ってしまいましたね。イヴェール嬢は、陛下のことを慕って傍にいるのに」


 ズキッと、胸が痛む。

 フェリシアン様は、そんな私をじっと見て、それから口を開いた。


「オレの兄は陛下の剣の師匠でした。そのため、オレと陛下――アルベリクス様は兄弟のように育ちました」


 青薔薇様ファンクラブに入っている人なら、誰もが知っている情報だ。


 エミリアン・ブルローズ。

 フェリシアン様の七つ年上の兄であり、先代のブルローズ公爵にして、当時の騎士団長だった人。

 陛下とフェリシアン様は一歳違いだと聞いたことがある。エミリアン様は陛下を弟のようにかわいがっていたとも。


 そしてエミリアン様は、五年前に終結した戦争で戦死している。


 フェイシアン様は、エミリアン様の意志を継いで陛下の傍で彼のことを護り続けているらしい。


「陛下は憐れな方でした。父である当時の皇帝は陛下のことをコマのひとつ――いや、物としか考えていない残酷な方でした。あの男の影響で、陛下は容易く人を信じられなくなったのです」


 フェリシアン様の瞳がすぅっと細くなる。いつも冷たく見える色をしているが、いまはすこし懐かしむような、遠くの景色を思い出しているかのようなそんな温かい眼差し。


「そんな陛下が選んだ恋人ですから。オレは、あなたのことを信用しています。……これからも陛下の傍にいてあげてくださいね」


 フェリシア様の言葉に、私は言葉を詰まらせてしまった。

 まるで私の心の内を見透かすような青い瞳。それに、目を奪われてしまったからだ。

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