アイドルに全く興味なかった私がフィンランド民謡を空で歌うアイドルに魅せられ『推し』という感情を知るまで

蛇部 竜(ダブリュー)

アイドルに全く興味なかった私がフィンランド民謡を空で歌うアイドルに魅せられ『推し』という感情を知るまで

 ―――2017年、私は病むギリギリまで精神がすり減っていた。


 3年前、信頼していた先輩が経営する店に就職したが、仕事の忙しさの割に給料は異常に少なかった。

 訴えたら勝てるレベルだったと思う。

 それでも、労基に駆け込むことも辞めることも出来なかったのは、自分がいてくれるから店に来てくれると言ってくれたお客さんがいたというのもあった。

 今思えば、自分が辞めたからといって、大した影響力が無いというのはわかるが、ほんの少しの責任感と、自分を必要としてくれるという自己承認を満たしてくれるものが、そこにあったというのも大きかった。


 更にこの年、私は10年以上、付き合いのあった友人達と詳細は省くが全員と絶縁することになりプライベートでもイイコトが無かった。


 そんな私にとって、この当時のストレス解消は「お笑い」を見ることで笑うことだった。

 笑うことで心が壊れそうになるのを繋ぎとめていた。


 漫才も好きだがどちらかと言うとコントが好きだった私は当時、コント芸人のDVDをレンタルショップで借りたり、Youtubeで検索して見たりして少しでもプライベートや仕事のストレスを笑うことで病まないように、癒しを求めていたのだ。

 

 特にトリオ芸人である『東京03』が好きで、東京03のコントは何本も夢中になって見ていた。

 東京03のDVDを何本も見るうちに東京03が先輩コンビ芸人でもある『バナナマン』と2013年にユニットライブをした「handmade worksハンドメイドワークス」も視聴し、それがキッカケでバナナマンのコントにもハマるようになった。


 そしてある日、仕事が終わり家に帰ってきた時、私はまたストレス解消のために「笑い」が欲しくなった。


 気分的にバナナマンのコントが見たくなったが、その時は手元にレンタルDVDは無く、レンタルショップにも出かける気分にはならなかった私は、Youtubeでバナナマンの何か面白い動画がないか検索することにした。


 Youtubeの検索欄に「バナナマン」と入力すると様々な動画が検出された。

 その中に気になる動画のタイトルがあった。


 「バナナマン 乃木坂のぎさか46 まとめ動画」


 確かこんなタイトルだったと思う。正確には覚えてないが。


 ―――『乃木坂46』?


 当時、バナナマンをまだ好きになって日が浅い自分はバナナマンの二人(設楽さんと日村さん)がアイドルグループの番組のMCをやり、しかも『公式お兄ちゃん』と呼ばれるほど、仲が良い関係とはこの時は露とも知らなかった。


 ―――へ~、バナナマンってアイドル番組の司会とかしてたんだ。


 当時の、というか、今までの私は『モーニング娘。』や『AKB48 』などのアイドルグループ自体は知っていて、その中のテレビへの露出の多い人たちの名前くらいは知っていても、人生で『アイドル』というものに今までハマったことはなかった。


 乃木坂に関してもこの時までは『docomo』のCMで『ギガちゃん』という子犬の声をあてた『生駒里奈いこまりな』さんと滅茶苦茶、美人と言われる『白石麻衣しらいしまい』さんの二人くらいしか知らなかった。


 ―――バナナマンとアイドルってどんな絡み方してるんだろ?


 そういうまとめ動画は本来は良くないものなのだが、どうしても気になった私はその動画をクリックして見てみることにした。


 ―――まさかこの時の行動が自分の運命を大袈裟でもなく変えるとは知らずに。


 動画が開始されるとまず、アイドル達が記憶を頼りにお題の絵を描いて絵心をチェックするという企画をしている動画が再生された。

 

 ―――その動画内で、私の記憶におそらく一生忘れられないようになった行動をとったアイドルがいた。


 そのアイドルは一人早く自信満々に絵を描き終え、内容は忘れたがバナナマンの二人と会話した後、そらでフィンランド民謡『イエヴァン・ポルッカ』を他のメンバーがまだ俯いて必死で絵を描いてる中、歌い出したのだ。

 (設楽さんが歌ってほしいというフリは出した。)


 ―――すっごい美声で。滅茶苦茶、気持ち良さそうに。しかも超・歌が上手かった。


 あまりにもシュールでカオスな光景だった。バナナマンの二人も笑い、絵を必死で描いている他のメンバーの何人かも声を殺して笑っていた。


 しかし、その光景に誰よりも笑っている人物がいた。

 ―――その動画を見ている私自身だった。


 爆笑だった。その時期、見ていたどんな「お笑い」よりも笑っていた。

 あまりにも笑い過ぎて腹が痛くなったのを今でも覚えている。

 それいくらい私にとっては衝撃的な光景だった。


 ―――何だ!?このは!?


 しかも自信満々に出来上がったと言った絵は所謂いわゆる、『画伯』と呼ばれるような、とっっっっても『味わい深い絵(私の率直な感想)』だった。


 ―――いや、絵もあんなに自信満々に出来た感じだったのにコッチは『画伯』なんかい!!


 フリと落ちがしっかり効いていた。

 天才だと思った。


 私はそのフィンランド民謡を空で歌うアイドルに一気に魅せられた。


 そのアイドルこそ『レ・ミゼラブル』など多くのミュージカルに出演し、後にディズニー100周年記念映画『ウィッシュ』の日本語吹き替え版で主役『アーシャ』の声を務めることになる、当時、乃木坂の1期生だった『生田絵梨花いくたえりか』さんだった。


 その動画をきっかけに生田さんを知った私は、過去から現在に至るまでの生田さんの事を調べまくった。

 

 料理を作る企画で料理をやったことないからか、IHヒーターのことを知らず、直接IHヒーターの上に生卵を落として、だし巻き卵を作ろうとしたこと。

(通称、『生田IH事件』)


 番組でマカオに行き、現地の足つぼマッサージを受けながら乃木坂の曲『君の名は希望』を美声で歌いつつも、足つぼを押された瞬間に、急に演歌のこぶしのように叫んだこと。


 男装企画で普段とは間反対の何故かクズいチャラ男に変装し、

 (通称『いくお』。滅茶苦茶イケメン!!)

 次々と他のメンバーをメロメロにさせ、こましていったこと。

 (しかもなんかイチイチカッコいいポーズをとって、またシュールな笑いをおこす。)


 『今、話したい誰かがいる』という乃木坂の曲の途中のダンス部分が何故か壊れたロボットのような動きになっていると同期で仲が良い『秋元真夏あきもとまなつ』さんにモノマネされ、検証のため本人が実際にすると、もっと動きが変でおかしかったこと。


 番組の企画で同じく同期の『樋口日奈ひぐちひな』さんに自分が親知らずを抜いた時に付けていた前髪用ウィッグをプレゼントする際に、何故か『親知らず』という単語がツボにハマり、笑いが止まらくなったこと。


 他にも色々あるが、とにかく調べれば調べるほど、生田さんという『人』の魅力に私はドンドンハマっていった。


 生田さんは普段は天然で周囲を自然に笑わせ、他人を巻き込む破天荒な性格をしているのに、ピアノの演奏はアイドルとは思えないほどの素晴らしい腕前で、

(当時、乃木坂にはピアノを特技とプロフィールに書いたメンバーが他にもいたが、生田さんの演奏を聞いて他の人が誰もピアノが特技と言えなくなった程。)

歌えば、素晴らしい歌声で人を魅了させるというギャップがすさまじかった。

 

 また生田さんは、悲しいときはホントにわかりやすいくらいショボンとした顔になるし、怒ったときは何故かキリっとしたイケメンっぽくなるし、笑うときは口を大きく開け眼がちょっと引ん剝くくらい爆笑するなど、顔の表情が非常に豊かで、そこも私が魅了された一つの理由だった。


 (後に生田さんの後輩にあたる3期生の『向井葉月むかいはづき』さんや『日向坂ひなたざか46』の『丹生明里にぶあかり』さんも私の推しになるのだが、共通点として3人とも顔の表情が非常に豊かで、私はそういうタイプに魅かれる傾向にあるのだと思う。)


 生田さんにハマるうちに私は当時、3期生が加入する手前だった、乃木坂1・2期生のメンバーの顔と名前をわずか2週間足らずで覚えてしまい、『乃木坂46 』というグループ自体も好きになり、今まで聞いたことのなかった乃木坂の曲や、他のメンバーの魅力まで好きになり、更には当時、出来て1年ほどの同じ坂道グループである『欅坂けやきざか46』にもハマり、現在では『欅坂』から改名した『櫻坂さくらざか46』や『日向坂46』まで好きな曲や、それぞれのグループから『推し』が出来るようになった。


 それは昔の自分からしたら考えられない事だった。


 昔の私は『アイドルにハマる人』が正直、理解できなかった。

 思い返すと、ちょっと馬鹿にしていたとも思う。

 

 別に付き合えるわけでもないし、助けてくれる訳でもないのに何でそんなに応援するのか?

 アイドルを応援して自分の人生が変わるわけでもあるまいし・・・

 そもそも『推し』というものがわからない。『恋』と何が違うのか?

 特定のアイドルを『推し』と言っている人を私はそのアイドルに『恋している』状態だと思っていた。

 (勿論、推している人の中には、所謂、『ガチ恋勢』もいるだろうが。)


 しかし、生田さんを知ってから、今までの想いが180度変わった。


 生田さんの笑顔、バラエティー番組内にて天然で起こす、ぶっ飛んだ行動の数々、そして素晴らしい歌声・・・。

 

 それは当時、病むギリギリだった私を笑わせ、そして癒しになった。


 ――こんなアイドルいるんだ・・・。

 アイドルを知らなかった私は生田さんをきっかけにアイドルを見る目が変わった。


 そしてこんな魅力的な生田さんの事を『好き』になり心から応援したいと思った。

 だがこの『好き』は『恋』とは違うまた別の感情だった。


 ―――それは私にとって初めて『推し』という感情を知った瞬間だった。


 

 それから私はギリギリ精神の安定を保ちつつ働いていたのだが、結局、無理がたたり2017年半ばに倒れ、その働いていた店も辞めることになった。

 だが、あの時、生田さんがフィンランド民謡を空で歌っている動画を見ていなければもっと早く病んでいたことは間違いなかった。

 

 店も辞め、後に(少し休養を挟んで)新しい仕事も見つけた後も、生田さんを応援し続けていた。

 上記にも書いた新たなる推し、3期生の『向井葉月』さんにもハマり、『乃木坂46』というグループ自体も更にどんどん好きになっていた時期だった。


 が、である。

 そんなにハマりつつ、生田さんや向井さんを応援しつつも私はどーしても、Liveや握手会などに行く勇気は無かった。


 人が多いところが苦手というのもあるが、当時、乃木坂は結成6年くらい経った頃で人気や知名度も抜群に上がっていた。

 周りに同じ乃木坂好きがいれば、Liveのルールやお決まり、ファンの間で使われる用語なども知れたかもしれないが、残念ながら私の周りにはいなかった。

 そんな中に当時好きになったばかりのニワカである私が一人で行くのは、とても敷居が高く感じられてしまったのだ。


 そうこうしてるうちに2020年にはコロナによるパンデミックが起き、ライブへ行くどころではなくなり、その翌年、2021年に生田さんは乃木坂の卒業を発表した。

 卒業日は同年の大晦日、紅白の出演が最後の乃木坂としての活動日だった。


 ――― 一度くらい勇気を出して、Liveとか握手会とかに行けば良かった・・・。

 後悔しても遅かった。


 そして2021年12月31日の紅白で生田さんは、乃木坂の中でも人気のある曲『きっかけ』をピアノ伴奏・歌唱した。

 演奏終わり、眼に涙を浮かべた笑顔の生田さんの顔がテレビにアップで映された。

 生田さんの乃木坂としての、アイドルとしての活動が終わった瞬間だった。

 

 ―――その笑顔を見た時、私も涙腺が緩んだ。

 

 そして心の底から思った。


 ―――生田さん、ありがとう。と。

 

 生田さんが乃木坂46に加入してアイドルになっていなければ、そして生田さんがフィンランド民謡を歌っている姿を見なければ―――


 私は乃木坂を、いや、『アイドル』というものを好きになっていなかったし、その素晴らしさを知ることはなかっただろう。


 大袈裟でもなく、2017年のあの辛い時期、生田さんは私の心を救ってくれたのだ。

 

 アイドルという存在は辛い時に心の支えになり助けてくれる存在だと生田さんのおかげで知ったのだ。


 ―――生田さんを知ったことで私の人生は変わったのだ。

 

 生田さんが『推し』で良かった。

 心の底から思った。


 

 乃木坂を卒業した後も生田さんの芸能活動は破竹の勢いだった。

 舞台、ドラマ、アニメ声優、音楽番組のMCなど、多岐に渡って活躍していた。


 そして2024年、生田さんはミニアルバム『capricciosoカプリチョーソ』で歌手としてソロデビューを発表し、同年、コンサートツアーが開催された。


 このコンサートが発表された時、私は一つ決心をした。


 ―――このコンサートは絶対に行こうと。

 アイドル時代にLiveに行けなかった後悔をここで払拭しようと思った。


 コンサート当日、会場には老若男女問わずたくさんの人がいた。

 もちろん生田さんが人気なのはわかっていたが、現役アイドル時代にLiveや握手会に行かなかった私にとっては初めて彼女の凄さを肌で実感した瞬間だった。

 

 周りを見回すと、だいたいがグループやペアで来ている人達だった。

 私は一人でいることが心細くなった。

 そして、生田さんが『推し』とか言ってるくせに、今まで一回もイベントに参加しなかったニワカでヘタレな自分がいても良いのか・・・と、とても不安に駆られた。


 コンサートの本番が近づき、電子チケットをスタッフに見せ、エレベーターをあがり、指定された席に着く。

 ここから本番が始まるまで私の心臓は鳴りっぱなしだった。


 そして、本番の時間になり、生田さんが私を含むたくさんのお客さんの前に現れた。


 ―――私はこの瞬間、初めて生田さんを肉眼でとらえた。

 私の席は舞台から遠く、正直、生田さんの姿も小さくしか見えなかった。


 ―――だがそれでも、今まで画面の前でしか見ていなかった生田さんを直接見たことは私にとって筆舌にしがたい感動だった。

 周りの歓声もこの時は聞こえなかった。


 そして生田さんが歌い出すと、更に私の胸をうった。

 生田さんの歌声が素晴らしいのはもちろん知っていたが、生で聴く彼女の歌声は言葉では言い表せないくらい素晴らしかった。

 

 ―――このコンサートに来て良かった・・・。

 

 一人で来た不安は途中からどこかに消し飛び、純粋にコンサートを最後まで楽しんだ。


 最後の歌を歌い終わり、生田さんが観客に「ありがとう!」と言って舞台からハケる瞬間、改めてこう思った。


 ―――生田さん、貴女は私にとって、これからも最高の『推し』です。



 またLiveに行って、直接、生田さんの生歌を聴いてみたい。


 ―――だけど本当に一番、生で聴いてみたいのはあの歌かもしれない・・・。


 私が生田さんを『推す』キッカケになったあの歌―――。


 ―――フィンランド民謡『イエヴァン・ポルッカ』を。


<終>


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

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