放送室までお越しください。

「なんだよ」

 詩生が首を傾げる。

「何か分かったのかよ」

 俺は詩生に笑顔を見せると引き戸に近づく。

 それから、足元を示す。

「レールが二本」

 詩生もそれを見た。

「なのに戸は一枚」

「お?」

 詩生が首を傾げる。

「ほんとだ」

「一見すると、これは一枚の戸が戸を収納するスペースに入り込むような形の引き戸に見えるが……」

 俺はぐっと、その「戸が収納されるスペース」の壁を、押す。文字通り、両手で奥の方に、押す。

 ズズ、と壁が動いた。詩生が目を見張る。

「これは壁じゃねぇ」

 俺は押し続けながらつぶやいた。壁は思ったよりも軽くて、俺は「これなら片手で押せるかもな」なんて思った。

「棚の背かな。それが入り口を塞いでいたから壁みたいに見えたんだ」

 そう、俺がゆっくり棚を押し進めると。

 動かなくなった戸板と、動いた棚の間に、隙間ができた。俺はそこを押し広げるようにして出入口を作る。

「この入り口は元々、二枚の戸板が入れ違うような形で開かれる戸だったんだ。それがどこかで戸板が一枚行方不明になって、その空いた場所に棚の背が入った。一枚の戸とその戸を収納する場所、みたいな見た目になったが、その内ドア枠が歪んで残された一枚も開かなくなった。開かずの放送室の出来上がり、ってわけだが……」

 俺は作り上げた隙間に身を差し込むようにして入る。

「さぁて、かがっちゃんいるかー?」

「もう、何よ」

 暗がりから。

 どうも天井の照明はとっくに切れているらしい。西日が差し込む旧放送室の中は黄金こがね色だった。そんな中に伸びた黒い影が一つ。

 長い髪を背中に垂らした。

 幸の薄そうな、でも儚い美しさのある顔。

 唇を噛みしめている。何だか切なさそうだ。

「人が思い出に浸ってるっていうのに、邪魔するのは誰?」

「先崎くんでーす」

 俺はおちゃらけて見せる。

「『時宗院の怪談』にある『特定の時間に放送できなくなる問題』もこの放送室が原因っすよね」

 俺の視線の向こう。

 夕暮れに背を向けた加賀美ちゃんが微笑む。

「そうだよ」

 それから彼女は後ろ……窓の方を振り返った。

「全部高島くんのせい」

「高島?」

 俺の後ろにいた詩生が首を傾げる。

「誰それ?」

「片岡先生が言ってたろ」

 俺はあいつの方を振り返らずに告げる。

「十年くらい前、放課後の放送室をジャックして自作のラブソング歌ったって奴」

「あはは」

 加賀美先生が笑った。

「それだけ聞くとやばい奴だね」

「……ってことは?」

 詩生がかがっちゃんを指差してパクパク口を開く。

「あの時転校することになった女子生徒って、加賀美先生?」

 俺は低い声で笑った。

「計算しろよぉ。新卒三年目の十年前ってまさに十六歳、俺たちくらいだろ?」

 すると先生も笑って頷いた。

「うん。そうだよ。私この高校で二年生まで過ごしたの」

 それから彼女は窓辺に寄ると、そこにあった放送用のマイクに触れた。

「高島くんとはずっと仲良くて。毎日電話で長話してた。ほとんど恋人みたい。でもお互い自分の気持ちをハッキリとは口にしていなくて。そんな中私の転校が決まって、私ギリギリまでそのこと隠してたんだけど、転校する一週間前になって、バレちゃって」

 すごいびっくりされたし、悲しまれた。

 そう、後悔するようにつぶやく。

「このまま悲しいお別れかな、って思ってた。転校当日も彼、会いに来てくれなかったし。さようならだ、どうしよう、このままじゃ、って思ってた時に、いきなり放送が入って」

 だいすきだ。だいすきなんだ。もっと上手に伝えたいけど、これしか出てこないんだ。だいすきだ。だいすきなんだ。

 かがっちゃんがそんな無骨な歌を口ずさむ。

「嬉しかったなぁ。いやさ、今にして思えばなかなかイタイ告白だよ? だって全校放送で自作のラブソング告白。ホント、女子会で話そうものなら格好のネタ。でもあの時の私には、最高の告白っていうか。今でも大事な、思い出」

 詩生が何だか感じ入ったような顔でかがっちゃんのことを見つめていた。すると、先生は続けた。

「彼も色々計画を立てたみたいね。新校舎の放送室は職員室の目の前だから邪魔が入る。だったら旧校舎の放送室を、って。そのままここで電波ジャック。後で話を聴いたんだけど、この時の共犯の三谷みたにくんって子が『高島の失恋記念だ』ってこの電波ジャックの放送を年一の定時放送としてプログラムに組み込んだんだって。だから今でも、年に一回、私が転校した七月八日の午後四時四十分から二分間は、私と彼の独壇場なの」

 それから先生はまた、俺たちの方を振り返って告げた。

「二人にはさ、好きな人っている? いるなら近くにいられる内に告白した方がいいよ。離れ離れになってからじゃ、もう遅いから」

 さ、行くよ。

 先生がそう、旧放送室を立ち去ろうと歩き出す。先生が行くなら、と俺たちもこの場を後にしないといけない。俺と詩生も続いて出る。それから、入り口を塞いでいた棚の背を元通りにすると、先生が「秘密にしておいてね」と釘を刺してきた。俺は悪そうな顔を作ると「へぇへぇ」と頷いてみせた。



 帰り。

 詩生と俺は中学が一緒だ。だから電車の中も一緒。下りる駅も一緒。でも何でだろう。この時はどうにもおしゃべりする気分じゃなくて、俺も詩生も黙っていた。そうして駅に着いた。俺たちは下りた。

 駅を出ると二手に分かれる。俺は東の方へ、詩生は西の方へ。

「なぁ、秀平」

 別れ際。詩生が話しかけてくる。

「かがっちゃん、言ってたじゃん」

 真剣な口調。真剣な顔。

「あたしさ、しゅうへ……」

 と、俺は最後まで言わせず。

 人差し指を自分の口元に持っていくと、「しー」というジェスチャーをした。

「後悔したくねーんだ」

 俺はつぶやく。

「まだ『好き』とか、よく分からなくて」

 本心だった。

「そりゃ『かわいい』とか『綺麗』はあるんだけどさ。『好き』はまだなくて。だから、そういうことなんだ。俺は後悔したくねぇ。後悔もさせたくねぇ」

 詩生の奴が萎れた顔をする。

「あたしじゃ、後悔しそう?」

 俺は黙っている。しかし、黙ったままというのも申し訳ないので口を開く。

「分からねぇ」

「そっか」

 詩生が肩を落とす。

 そうだ。これで、終わりなんだ。

「でもさ、友達ではいようね!」

 しかし詩生が、気を取り直したように笑顔を向ける。悲しい笑顔だな。でも俺にはそれを受け止めることはできねぇ。

 だから俺も笑顔を返す。

「もちよ」

「じゃあ、明日からも普通に接してくれるよね」

「そりゃあもちろん」

 詩生は視線を落とした。

「じゃあ、行くね」

「ああ」

 俺は手を振る。

「気を付けて帰れよ」

 かがっちゃんは、「離れ離れになってからじゃ遅い」とかって言ってたな。

 詩生の奴、今どんな気持ちなんだろ。


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あの日のあこがれさん。放送室までお越しください。 飯田太朗 @taroIda

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