彼女がフェミニンな女でいる秘密

高峠美那

第1話

 プロポーズした夜、キミは僕になんて言ったか覚えているかい?


『賭けをしましょう。どちらが長く、相手を好きでいられるか。二十年先も、三十年先も、その先も、あなたは私を好きでいられるのかしら?』


 驚いたよ。あれから…まだ二十年もたってはいない。それでも、この十八年間、キミを愛おしいと思わなかった日があっただろうか?


 ないんだ。一度も…ないんだよ。今日、初めてキミを恨んだ。

 

『結婚したら、絶対先に死なないって約束してね。あなたの方が年上だからっていう言い訳は、きかないから』


 キミが言った言葉の意味が、今、初めて分かった。先に逝かれる事が、こんなにも辛いだなんて…。僕が思っているよりも、キミは僕を愛してくれていたんだね。


 賭けは、僕の勝ちでいいかな? 

 今からキミのもとにいっても、約束を破った事にはならないだろうか…。


 キミへの第一印象は、なんて生意気な小娘…だった。日本人離れした長い手足と身長に、歯に衣着せぬ物言い。一見、相手に威圧感を与えるのに、目を引き寄せられて仕方がない。


 だから分かった。

 ああ、この娘は天性の才能がある。


 モデルから女優に転身すると、更に自分の価値を見いだしたキミ。


 芸能界という荒波の世界で、感じたことを包み隠さず、率直に表現する。それは、同世代の女性だけでなく、同じ世界で生きる僕達にも羨ましくて、憧れた。


 遠慮や建前を捨て、本音をストレートに伝える性格は、役柄にも表れていたね。


 キミが着こなすファッションは、常に注目を浴びていて、そんなキミが雑誌のインタビューで答えた言葉は、やっぱりたくさんの人が共感した。


『二十代は、元気が売り。フリルも流行りものも、なんでもOK。だけど、三十代は知識をためて、子供と家庭のために笑顔で過ごしたいわ。四十代からは、子育ても落ち着くから、キャリアをいかしてフェミニンな大人を目指すの。いくつになっても、胸を張って、生きていきたいわ』


 やりたいことを、明確に口にするキミは、僕の目には眩しかった。


 最後、キミはいったい何を思って逝ったのだろう…。


「うっ」


 あまりにも静かな部屋に、噛み締めた息子の嗚咽。


 ああ、息子は君にそっくりだ。

 キミは酷い。キミは僕がそこに逝くことを、赦してくれないんだね。


「うっ。ごめん。ごめん、父さんっ」


 なぜ謝るのかと、息子の顔を覗き込む。


「っ、僕の目の前で母さんがっ」


 すっかり背が伸び、もう子供とは言えない息子が肩をふるわせ泣いでいる。


 悔しくて仕方がないのか、白くなるまで 手のひらを握りこむ息子に、小さく息を吐き出した。


「…おまえのせいじゃないだろ?」


 それは、運転手の過失による事故だった。

 見ず知らずの子供を助け、身を挺して庇ったキミは、逝ってしまったのだ。もう、キミは動かない。


「キミらしいな…」


 ぽつりと呟いた僕の言葉が聞こえたのか、浅い息遣いがだんだん弱くなり、最後にゆっくりと動いた唇は、僕の名前だったね。


 満足そうに眠るよう逝ったキミに、僕はなんと言えば良いのだろう。


 これから、もっともっと輝くつもりだったのではなかったのかい?


 キミが言っていた四十代。君は確かにフェミニンな大人の女だった。


 音もなく涙が流れた。

 微かにふるえる手で、息を引き取ったばかりのキミの頬に触れる。


「お疲れ様。どうか…ゆっくり眠って」


 やっとのことでそれだけ言うと、息子の肩に手をのせる。


「おまえにそんなに泣かれては、彼女もゆっくり眠れないぞ」 


「じゃあ、どうすればいいんだよ!?」


 途端、強い力で手を弾かれ驚いた。下唇をギュッと噛み、反抗期らしいこともなくここまで育った息子が、初めて声を荒げる。


「悲しいんだよ! 辛いんだよ! 寂しくて…寂しくて…仕方がないんだ!」

 

 嗚咽を堪えて睨みつける息子の目は、僕に対する嫉妬が含まれていた。


 ああ、キミは自分の息子にまで憧れる母親だったんだね。


「そうだな…。おまえが成熟した男だと言うのなら、こんな時は、彼女が望むような男になると言えばいいのではないのか?」


「それは、父さんのような男になれということ?」 


 言われて、ハッとする。


「父さんみたいな男は、あまりにハードルが高すぎるんだよ…」


 さっきとは打って変わった弱々しい息子の声に初めて笑みがこぼれた。


 ああ、なんだかとても安心した。

 僕ばかりが、どんどんキミに惹かれていくのかと思っていたけど、どうやらそうじゃなかったみたいだ。


 僕は、キミを輝かせる事ができた男だったんだね。息子から、こんな憎たらしい目で見られていたなんて。 


 じつに、光栄だ。

 

 相変わらず僕を睨みつける息子に、キミが生きていたらなんて応えていただろう。


「いつか…なってやるから。俺も母さんみたいな女を幸せにできる…父さんみたいな男に。いつか、必ずなってみせるから!」


 静かに流れた涙が、床に小さなシミをつくっていく。それがとても温かなシミに感じた。


 キミに憧れたこの僕が、息子の理想になっていた。


 やっぱり、キミの存在は凄いんだな。

 

 これからも、キミは僕と息子の憧れ。僕もキミに恥じないよう、もう少し、こちら側で息子と一緒に生きていこう。



                おわり

 

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