第38話「一夜明けて、脱出の方法」

 その日は、そこに泊ることになった。

 今すぐにでも移動したいところだったが、生物兵器の多くは人間よりも知覚能力に優れ、夜でも目が効く。

 暗い中で移動しようとすればこちらが先に発見されてしまう恐れがあるし、華怜はもちろんのこと、母さんも茉純さんも普段こんなに長い距離を歩くことはないからすっかり疲労している。

 全員で話し合った結果、俺たちはここで一夜を過ごすことにしたのだ。


「雄飛くん、舞歌さん。社員用のシャワー室があったから、先に華怜と浴びて来たわ。スッキリするから2人もどうぞ」

 茉純さんはタオルで髪を拭きながら、俺たちにそう言った。

「ありがとうございます。じゃあ行ってきますね」

 俺と母さんはそう答えるとシャワー室へと向かう。

「ママ、先に入って。俺が近くで見張りをしてるから」

 俺はそう伝えて、母さんに先を譲り、見張りをすることにした。少しでも危険があるかもしれない中、女性である母さんを1人にさせるのは嫌だったからだ。

「うん……。ありがとう雄飛ちゃん」

 母さんはそう言うと、シャワー室へと入って行った。


 俺は少し離れた場所の壁に寄りかかりながら、シャワー室の入り口を見る。

 母さんがシャワーを浴びている間も、周囲への警戒は怠らない。

「雄飛ちゃん、そこにいる?」

 そんな時、シャワー室の中から母さんの声が聞こえた。

 俺はシャワー室の壁に近づいて返事をする。

「うん、いるよ」

「ありがとうね、雄飛ちゃん。もう少ししたら出るから、次は雄飛ちゃんが浴びて」

「うん、わかった。でも俺は後でもいいから……ゆっくり入ってね」

 そんなやり取りをしていると、シャワー室の中から母さんの鼻歌が聞こえてくる。

 どうやらリラックスしているらしい。こんな状況にあっても、母さんが明るく振舞ってくれるから、俺も何だか嬉しい気持ちになる。

 シャワー室の扉越しに、母さんのシルエットが見える。俺はそんな光景を眺めながら、母さんがシャワーを浴びている間も周囲を警戒するのだった。


「ふぅ~気持ちよかったぁ~」

 母さんはバスタオルで髪を拭きながら出て来た。

「さ、次は雄飛ちゃんの番だよ? ちゃんと温まってね」

 母さんはそう言うと、俺に着替えとタオルを渡してくれた。

「うん、ありがとうママ。行ってくるね」

 俺は母さんからそれらを受け取ると、シャワー室へと入って行くのだった。


 シャワーを浴びながら、俺は先ほどの華怜の様子を思い出す。

 生物兵器に襲撃された時、彼女は明らかに様子がおかしかった。

 あの後すぐに回復したように見えたけど……能力を使いすぎるとやはり体に影響が出るのだろうか?

 俺はそんなことを考えながらシャワーを浴び続けた。


「ふぅー」

 シャワーを終えて着替えを済ませた俺は、母さんと共に華怜たちが待つ部屋へと戻る。

 華怜と茉純さんはすでに、小さく寝息をたてて眠っていた。

 母さんは2人の様子を見ながら、優しく微笑むと言った。

「やっぱり華怜ちゃんも茉純さんも疲れてるみたいね」

 俺はそんな母さんの隣に座りながら言った。

「うん……そうだね。俺たちもそろそろ休もうママ。明日も長い距離歩かないといけないし」

 俺の言葉に母さんはうなずきながら、俺を抱きしめてくれる。そして俺の頭を撫でながら言った。

「うん……ありがとう雄飛ちゃん。雄飛ちゃんがいるだけで、ママは幸せだよ」

 母さんの言葉に俺は微笑みながら彼女の胸に顔をうずめる。

「ママ……俺も、ママが側にいてくれるだけで幸せだよ。これからもずっと一緒にいてね」

「もちろんよ、雄飛ちゃん……」

 そんなやり取りをしていると、いつの間にか俺たちは眠りについていたのだった。



 朝になり目が覚めると、窓から明るい日差しが差し込んでいた。

 すでに母さんと茉純さんは起きて、朝食の準備を始めているようだった。

 ふと華怜の方を見ると、ちょうど彼女も目を覚ましたところだった。

「おはよう、雄飛」

 華怜はそう言いながら微笑む。その笑顔はとても穏やかで優しいものだった。

「おはよう華怜……調子はどう?」

 俺がそう尋ねると、彼女は小さく首を振る。

「ううん、まだ少し体が重いかな……でも、もう大丈夫よ」

 そんな会話をしていると母さんが部屋に入って来た。

「おはよう、2人とも。朝ごはん出来たよ」

 母さんと茉純さんの手には、この会社に残されていたもので作った朝食が乗せられていた。


 俺たちは朝食をいただいた後、すぐにこの会社を出発することにした。

 放置されていた会社のバッグに、できるだけの食料を詰めて俺たちは移動する。

 昨日よりも足取りは軽いが、やはり危険な生物兵器や暴徒と化した住民がいるかもしれない中での移動だ。

 慎重に隠れながら移動していると、どうしてもペースは遅くなってしまう。

 だが、そんな状況でも俺たちは一歩、また一歩と確実に歩みを進める。


 お互いに励まし合いながら進んでいると、小さな町が見えてきた。辺りの景色はすでに東京の中でもかなり田舎の雰囲気を醸し出していた。

 その町にもすでに人は1人もいなかった。まだ人の温もりが残っているお店なども、中を覗けば無人。

 まるでゴーストタウンのような光景だ。

 すでに多くの人が自分たちの家やそこでの暮らしを捨ててまで逃げなければいけなかったのか。

 その現実を突きつけられるようで、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えてしまった。



 町の中を歩いていると、華怜があっと声を上げた。

「ど、どうしたの、華怜?」

 その声にみんなが反応し、茉純さんが驚いたように彼女に尋ねる。

「な、なんでもないのお母さん。見間違いだったみたい、大きな声出してごめんなさい」

 華怜はそう言うと、慌てて頭を下げる。その様子は明らかに不自然だった。

 顔を上げた彼女は、俺を見てうなずく。何か話があるのだろう。

 俺は周囲を見回しながら歩くペースを落として、彼女の隣に移動する。


「何かあった?」

 俺が小声で尋ねると、華怜は周囲を警戒しながら小声で返事をする。

「ええ。たった今、入間から連絡があったわ」

「入間さんから? なんて?」

 俺はこの危険な状況の中で、頼りになる入間さんから連絡があったと聞かされ、思わず声が大きくなる。

 そんな俺の反応を見て、華怜は人差し指を自分の口に当てる仕草をした。

「しーっ……声が大きいわよ」

 俺は慌てて口を手で押さえて謝ると、華怜は小さい声で続けた。

「車はあいつが手配してくれるらしいわ。隣の町まで届けるって」

 俺はその言葉に希望を感じずにはいられなかった。車の手配も出来るとは……さすがは入間さんだ。


「そっか……それなら安心だね。このまま移動して行くよりも、車があるなら移動しやすいし」

 俺がそう言うと、華怜は小さく首を横に振った。

「ううん、違うの雄飛」

「え……?」

 華怜の言葉に俺は首をかしげる。何か問題があるのだろうか?

「入間が連絡してきたのはそれだけじゃないの……その……」

 彼女は言いづらそうに言葉を濁す。何か良くないことがあったに違いない。

「何があったの、教えて」

 俺がそう促すと、華怜はわかった、というようにうなずいてから話してくれた。


 彼女の話によると陸路による脱出は困難だろう、とのことだった。関東から出る高速道路も国道も、主要な道路は全てニュー東京の軍隊と思われる部隊が展開して、閉鎖しているらしいのだ。

 それ以外の陸路となると、車ではとても通れないような山道などを通るしかなくなる。

 しかも日本政府はそれを知りながら、見て見ぬふりをしているのだという。

 どうやら、暴徒やニュー東京の密売人が関東から出るのを好ましく思っておらず、関東にいる者は関東に閉じ込めるつもりなのではないか、とのことだった。


「そ……そんな……」

 俺は愕然とした。それでは俺たちはどうやって逃げればいいのか? そんな俺の様子を華怜は心配そうに見つめていたが、説明を続けた。

 入間さんが車を用意したのは陸路での脱出のためではないとのことだった。その車を使って神奈川県か静岡県の海岸沿いに出て、そこで国連機関である世界平和連合軍の船に保護してもらい、彼らの拠点がある大阪の港町まで護送してもらう、という方法のためらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る