第26話「欲に翻弄される雄飛」

「ママ、ただいま~!」

 家に帰った俺を見るなり、母さんが慌てて駆け寄って来て俺を抱きしめる。

「雄飛ちゃん! 遅かったから心配したんだよ!? 大丈夫? 何もなかった? 怪我はない?」

 母さんは取り乱した様子で俺の体を撫でまわす。そんな母さんをなだめるように俺は言う。

「大丈夫だよ、ママ。思ったよりスーパーが混んでただけだから。でも心配かけてごめんね」

 都心5区がテロリストに占拠されて、各地で暴動が起こっている今、予定より帰りが遅くなった俺を母さんが心配するのは無理もなかった。

「よかったぁ……、雄飛ちゃんに何かあったらママ……」

 母さんはそう言って俺を抱きしめる力を強める。その腕に抱かれながら、関西弁の男のことや麗衣さんのことは言わないでおこうと思った。これ以上、母さんを心配させたくない。


 その日の夜、俺は精神統一の鍛錬をするも、いつもと違ってなかなか集中することができない。理由は明白だ。麗衣さんのことが頭から離れないのだ……。彼女とぶつかった時の柔らかい衝撃と、倒れた時に覆いかぶさった柔らから、甘い香り、そして優しい笑顔と俺の頭を撫でる手の感触。それらが頭に浮かんでは消え、俺の心を惑わしていた。

 くっ……集中集中! 今日、入間さんと話してきたばかりじゃないか。1日でも早く能力をコントロールできるようになるって……。心を落ち着けるんだ……そして煩悩を振り払うんだ! 俺は必死に雑念と戦い続ける。



 どうして麗衣さんにだけ、こんなに心を乱されるのか……。答えは簡単だ。

 まず一番身近な異性であり、自分の能力のせいで身内なのに意識してしまう母さんについて。世間一般の子供に比べて俺は明らかに異常な程、母さんが好きだし、異性として意識してしまう時だってある。だけどそこはやはり血の繋がった母子。理性で抑え込むことは難しくない。

 次に華怜について。華怜とは転生者の先輩後輩としてだけでなく、数少ない学校の友人として日頃から一緒にいることが多い。本来なら異性として意識してもいいのだろうけど、転生者であり生前が大人であったためか、自分と年齢が近い女の子よりも年上の女性に魅力を感じてしまう。……まぁ、華怜の可愛さにはドキッとさせられる時もあるけど。

 じゃあ年上の女性である入間さんはどうなのかという点について。入間さんも美人だし、ミステリアスな中にも女性としての魅力が溢れているけど、やはり独特な感性に加え、いろいろと未知すぎる。


 そんななかで麗衣さんは、身内でもなければ変わった人でもない、純粋に素敵な年上の女性だ。容姿もそうだけど、1番はやっぱりあの包容力だろう。女性としての魅力に加え、優しさと母性を兼ね備えた彼女。俺を弟のように可愛がってくれるし、年の離れた姉のようにも思えてしまう。

 純粋に異性として意識してしまう存在が現れてしまったことで、これまで以上に精神統一をすることが難しくなっているのだろう。


 そして何より、生前からの俺の性癖にぶっ刺さっていることも大きい。

 俺は生前、子供の頃から少し年上のお姉さんが好きだった。そしてそれは大人になってからも変わらず、大人の女性と少年の関係……いわゆる「おねショタ」というジャンルが大好きだった。

 もちろん生前では甘い思いでなどなくすぐに大人になってしまったため、そういう物語を読んだり妄想したりしては心をときめかせ、また一方で叶わぬ夢と知り、空しく感じる日々を送っていたものだ。

 だが今は違う。転生者として生まれ、現在10歳。

 モデルの母さんのおかげで、ありがたいことにかなり整った容姿に恵まれた俺は、麗衣さんのような大人の女性に甘えることが許される年齢にある。

 

 そう……今の俺は「おねショタ」を全力で楽しめる年なのだ!

 頭ではダメだとわかっているし、そんなことをしている場合ではないこともわかっている。

 だけど、かつて年齢と共に絶対に叶わなくなった夢が叶うかもしれないとしたら? 一体どれだけの人が、その誘惑に抗えるというのだろう。加えて俺は、能力によって生まれつき人よりも異常に性欲が強い体質だ。こうやって支障が出るのも、ある意味必然だと言える。

 それでも欲求に飲まれてしまうわけにはいかない。俺は悪戦苦闘しながらなんとか、日課の鍛錬を終えるのだった。



 翌朝、悶々とした状態で目が覚める。体が熱い。頭の中に浮かぶのは麗衣さんのことだ。

 おかしい……。まるで病気にでもなったかのように、欲望が俺の頭を支配する。これまでに感じたことのない程の、抗いがたい欲求だ。年齢を重ねて。欲望がさらに膨れ上がっているのか……? それともこれまで抑圧してきた欲求が昇華しきれずに、今ここに来て爆発しているのだろうか……。


「ん……雄飛ちゃん……? もう起きたの……?」

 母さんが眠そうに目をこすりながらベッドから起き上がる。

「うん……」

 俺が小さくうなずくと、彼女は大きくあくびをして伸びをした。そして少し間を空けて尋ねる。

「……あれ? なんだか顔色悪いね? 大丈夫?」

 母さんは俺の額に自分の額をくっつけてきた。

「ん~……ちょっと熱いかも? 具合悪い?」

 母さんが心配そうに言う。


 確かに熱っぽい。俺は首を横に振ったが、母さんは納得していない様子だ。

「ママ心配だよ……。今日はゆっくり寝ててね」

 そう言って、俺の頭を撫でる。

「うん……」

 俺は力なく返事をした。原因が何かは分かっていたからだ。

 テロが起こった日から、念のために母さんと同じ部屋で寝ることにしていたけど、今の俺にとっては逆に毒かもしれない。

「お腹空いてるよね? お粥作ったげるから、ちょっと待っててね」

 そう言ってキッチンに向かう母さんの後ろ姿を見送りながら、俺は悶々とする。女性に対する欲求が、頭の中でぐるぐると渦を巻いている。



 しばらくすると、母さんがお盆に茶碗を持って戻ってきた。

「おまたせ~」

と言って俺を抱き起こし、膝の上に座らせる。そしてスプーンで掬ったお粥を冷まして、俺の口に運ぶ。

「はい、あ~ん♡」

「あ、あ~ん……」

 俺は素直に口を開けた。母さんは嬉しそうに微笑むと、再びお粥を冷まして俺の口に運ぶ。

「どう? おいしい?」

「う、うん……」

 上からのぞき込む母さんに、俺は恥ずかしさから目を逸らしながら答える。


「ふふっ、よかった! いっぱい食べて早く良くなってね!」

 ダメだ……この熱っぽさは欲求からくるものだ……。母さんの柔らかい膝の上に乗っていると、その柔らかさに理性が飛びそうになる。

「ごちそうさま……」

 俺はそう言って、母さんの膝から降りた。

「うん、よく食べられました! じゃあママは後片付けしてくるからね」

 そう言ってキッチンに向かう母さんを見て、俺は罪悪感に苛まれた。母に対してこんな欲望を抱くなんて……最低だ……。


 ……じゃあ麗衣さんならどうだろう? と思った。それは悪いことでは無いのでは? だって彼女は魅力的な年上の女性だ。身内でもないんだし、そういった感情を抱いたって……。

 俺はそう思いつつも、頭を振ってその邪な考えを振り払う。

「はぁ……俺って最低だな……」

 思わずそう呟いてしまう。そしてすぐに自己嫌悪に陥った。

 母さんはそんなこと思うわけが無いし、ましてや麗衣さんが俺のことをそんな風に思っているはずがない。自分で自分が嫌になる。

 それでもやっぱり欲求を理性で抑え込むのは無理だ。


 俺は、昨日の入間さんの言葉を思い出していた。

『時々は我慢せずに吐き出した方がいい。溜め込みすぎると、ふとした瞬間に本能に支配されてしまうかもしれないからね。ニュースなんかでも見るだろう? 痴漢した犯人の理由が、"魔が差した"ってね。君の場合、常人より遥かに異常な精力の持ち主だからねぇ。その衝動は、時に命取りになる』

 たしかにそうだ……。このままだと本当に一番身近な異性である母さんを襲ってしまうかもしれない……。それは嫌だ……。



 自分の能力との付き合い方について考えていると、母さんが寝室に戻って来た。

「雄飛ちゃん、さっき華怜ちゃんのお母さんから連絡があってね。華怜ちゃんの家の近くまでテロリストたちが来たみたいなの。かなり危険な状況だから、こっちに避難させて欲しいって。もうすぐ、こっちに来ると思うんだけど、今日からしばらく華怜ちゃんと華怜ちゃんのお母さんも、ウチに泊まってもらうことにしたから」

 そうだ……。俺の欲望のことだけ考えている場合じゃなかった。もうそんな近くまでテロリストたちが!?

 ……いや、危険なのはテロリストたちだけじゃない。この状況に全てがどうでもよくなって、暴徒と化す人たちだっているだろう。

 こんな事態だというのに、政府は未だにまともな会見を開こうともしないし、一体どう収拾をつけるつもりなんだ……?

 とにかく華怜と合流したら、彼女の意見も聞かないと……。



 華怜と華怜の母親である茉純さんが俺の家に到着したのは、それから2時間ほど後のことだった。

「茉純さん華怜ちゃん、大変だったでしょう? 早く入って休んで?」

 母さんは、2人を迎え入れるとすぐに玄関のカギを閉める。

 華怜は危険な状況に慣れているのか落ち着いているが、茉純さんの方は恐ろしいものを見たのか、顔が青ざめてしまっている。

「バットやナイフを持った男の人たちが、家の周りをうろついてて……。近所のおじいさんは果敢に抗議したけどバットで……うっ……。私は華怜と一緒に物置に隠れていたけど……本当に怖かったです」

 茉純さんは怯えた様子で言った。母さんは落ち着かせるように、茉純さんの背中を優しく擦る。

 華怜の父親は、華怜が生まれる少し前に亡くなっているため、母と娘2人だけで暴徒だらけになってしまった場所にいるのは危険だ。


「でも2人とも、本当に無事でよかった……。とにかく今はゆっくり休んで? もう少ししたら、お昼にするから!」

 母さんの言葉に俺は、手伝いを申し出た。茉純さんはお世話になるのだから、自分も手伝うと申し出たけど、今日はまだ気持ちも落ち着かないだろうからゆっくり休むようにと母さんが説得した。


「それにしても……本当に大変なことになっちゃったね……」

 野菜を炒めながら母さんが言う。俺もうなずいて答えた。

「うん……まさかこんな事態になるなんて思わなかった」

 母さんは、そんな俺の頭にポンと手を乗せる。

「今は華怜ちゃんも、茉純さんもいるから4人でなんとか頑張ろうね」

 母さんはそう言って微笑んだ。俺はその笑顔に、心が温かくなるのを感じながららもう一度うなずいた。……そうだ。今は何とかしてこの状況を乗り越えることだけ考えよう。


 昼食を終えた後、俺たちはリビングでくつろいでいた。茉純さんと華怜は疲れが出たのか、今は布団に2人並んで眠っている。

「あ~……なんだか2人の姿見て安心したら、私も眠くなってきちゃったなぁ……」

と、母さんは欠伸をしながら言った。

 俺もうなずいて同意する。

「ママも少しお昼寝したら? ……俺も少し寝ようかな」

 俺がそう呟くと、母さんは優しく微笑む。

「ふふっ、そうだね。……じゃあちょっとおやすみしよっか」

 そんな会話を交わした後、俺は自分の部屋に移動してベッドに横になる。

(これからどうなるんだろう……)

 そんなことをぼんやりと考えているうちに、俺は眠りについていた。



 目を覚ますと、窓の外には夕焼けが見える。かなり寝てしまったようだ。庭の方を見ると、華怜が空を見上げているのが目に入った。

「ママ、庭に行って来る」

「うん、華怜ちゃんもいるみたいだから行っておいで。 でも危ないから、庭の外に出たらダメだよ? 何かあったらすぐに家の中に入ること!」

「はーい」

 俺は母さんに返事をして、庭に出た。


 華怜は俺が近づくとすぐにこちらを向いて微笑む。

「雄飛、目が覚めた? もう夕方だけど……」

「うん……ついさっき起きたとこだよ」

 俺が答えると、華怜は「そっか」と言ってまた空を見上げた。俺も彼女の隣で同じように空を眺める。

 夕焼けに染まる空は、とても綺麗で心が落ち着く。そんな景色を眺めながら、俺は口を開いた。

「……日本はどうなっちゃうのかな……。これから……」

 俺が呟くと、華怜も静かに答えた。

「わからない……。だけど今の私たちにはどうすることもできないし……今はとにかく大人しくしておくしかないわ」

「……そうだね」

 俺はうなずいて、再び空を眺める。


「……さて、それじゃあ始めよっか? 格闘術の鍛錬」

と、華怜が突然切り出した。

「え?」

 俺は驚いて彼女の方を向く。すると彼女は悪戯っぽく笑った。

「サボってたわけじゃないんでしょ? せっかく一緒に暮らせるんだし、空いている時間は付き合ってあげる」

 華怜はそう言って微笑んだ。その笑顔を見ていると、俺もなんだか元気が出てくる。

 俺は「ありがとう」と言って頭を下げた。


「いいのよ。こんな状況だし、できるだけ早く基礎は叩きこんでおきたいの。雄飛、あなたが大切なものを守れるようにするためにもね」

 彼女はそう言って、俺の目を真っ直ぐ見据えた。その目は真剣だ。俺は力強く頷いた。

「うん……よろしく」

 それからは毎日があっという間だった。午前中に鍛錬をして、午後からは勉強したり、瞑想したり、みんなでリビングでゆっくりと過ごしたりする日々が続いた。

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