月探査、友情、週末の過ごし方

@TFR_BIGMOSA

プロローグ ファイナル・プリパレーション

1970年11月9日(現地時間)、アメリカ、フロリダ州、ケープ・ケネディ(またはカナベナル岬)。


 39A発射点。

 組み立て棟からの長い道のりのゴールでもある。

 そこにアポロ・クローラートランスポーターの2号車通称「フランツ」がたどり着いた。

「フランツ」を30人がかりで運転してきたクルーは最後の緊張の一瞬を、39Aのスタッフと共に交互に点検と作業を進めつつ、待った。

 ここまで運んできた、アポロ計画の今後をその一身に背負う飛行体を発射点の台に載せ換える。


「ケネディ宇宙センターコントロール。こちら39A。アポロ14号のフルシステムと、それを載せた俺たちの最新最強ロケットが今、オンステージ」

 長い長いチェックリストを参照してはチェックマークを入れながらの載せ換え作業は、何の問題もなしに終わった。

「39A、こちらコントロール。サターンVロケットSA-509とアポロ14号フルシステムのオンステージ、チェック完了した。お疲れ様」


 39Aスタッフと「フランツ」クルーは顔を見合わせて笑った。

 あの、奇跡の生還を果たしたアポロ13号の事故調査と、再発防止対策を施したアポロ14号フルシステムはこれまでで最も重い「アポロ」になっている。

 人類史に不滅の栄誉を刻んだあのアポロ11号、それに続いたアポロ12号よりもこれだけで400kgほど重い。

 何か見落としがあったときのために。

 再びサービスモジュールSM(日本語記事では機械船)に爆発と火災が発生する悪夢に備え、出来得る、そして納得しうる限りの配線には金属カバーを設けてさらに。

「ケースF」再発時に炎が届きうる全てのアルミ合金パーツをステンレス合金に置き換えている。

 それを打ち上げるサターンVにも事故再発防止のために様々な改良を施して、重くなった。

 幸いにして、サターンVが持っている性能余裕はこの重量増を難なくこなす。


 ただし、飛行士たちに許される持ち込み私物への割り当て重量は増えていない。



 同日、テキサス州ヒューストン。

 有人宇宙探査計画総司令部の片隅、訓練場の小さな会議室。


「ハードウェアの準備は順調だ。しかしアポロ13号に続けて連続事故となればアポロ計画は終わりだ。さてキャプテン・シェパード」

 アポロ14号管制チームを率いるG.D.グリフィンは口を開いた。

「アラン。俺が君に掛けるプレッシャーは全て『安全方向』へのものだ。ほんの少しでも危険を感じたら躊躇なく『中止』へ捻ってくれ」

 アポロ14号のキャプテン、宇宙飛行士アラン・シェパードがそのクルー2人と共に頷く。


「即座に切り離し。アポロ司令機(日本語記事では司令船)は飛行経路下に並ぶ海軍の支援艦艇いずれかの近くにパラシュート降下。……ジェラルド、俺は月面探査訓練を全てルーサとミッチェルに任せ、このエマージェンシーフライト訓練に時間を費やしてきた。任せてくれ」

 シェパードは微かな不満と共に答える。


 アランは海軍のテストパイロットだった。

 今でも籍は海軍にある。

 アメリカ最初の宇宙飛行士7人「マーキュリー・セブン」に選ばれ、アメリカ人としては最初に宇宙に出る栄誉を得てからずいぶんと過ぎた。

 その3週間前にソビエトのガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功していたから栄誉ある2番手、ベストオブレスト。

 あの時、飛ばした狭苦しい1人乗りスペースクラフト「マーキュリー」はシートに縛り付けられて身動きできず、操縦に必要な最小限の手足と首の動きしか行えなかった。

 日本駐留経験者が買って来て敷地内輸送に便利に使っている、ジャパニーズ・ケイ・トラックのキャビンより狭い。

 テレビで見たことしかないが、インディーカーみたいなものだ。

 その次世代の宇宙機ジェミニでようやく「日本でなら」公道を走れるクルマの最小クラス。ジャパニーズ・ケイ・トラック相当。

 比してアポロ司令機、コマンドモジュールCMは一挙に、キャディラックさえ超える。

 3人乗り。

 飛行中にシートを離れてトイレを使える。ベッドで眠れる。大陸横断トレーラーを曳くプライムムーバーの「スペシャル」相当だ。

 飛行中に宇宙服から機内作業服に、その逆に着替えることさえ出来る。

 月探査飛行とは時間で見ればスペシャル・プライムムーバーでの特別輸送つまり「南北アメリカ大陸一周ノンストップドライブ」相当だから当然だろう。

 そのアポロCMが月周回軌道まで「頭に乗せて」ゆく月面着陸モジュールLM(着陸機。日本語では着陸船)は2人乗りだが、これも「椅子を無くす」と言うグラマン社の工夫のおかげで予定より広い。

「無重量環境と月面でしか使わないLMには椅子など要らない」とグラマンが言い出した時にはNASAの偉いさんばかりか飛行士たちも「理論的にはその通りだが……?」と首を傾げたものだ。

 事情があって、アポロの開発時にはアランは計画管理側に居たから良く知ってる。

 そのLM内部には、計画開始時にはどうするか誰もが悩んだ「いかにして月面用宇宙服に着替えるか」をこなすスペースがある。

 そのスペースは、これも誰もが悩んだ「アポロ計画H段階」すなわち「月面で地球時間一泊二日の探査」を行うスペースでもある。

 元は、ガッシリとした椅子を並べるはずだったスペースだ。


 ともあれ、当初案よりも軽く仕上がってなおかつ着替えも寝泊まりもできるのがLMだ。

 これで余力を得て、CMとSMをまとめて牽引してくるパワーとエネルギーを持っている。だからLMもプライムムーバーだ。

「この分を削って安くしよう」と言う意見はいつの間にか消えた。

 消えて良かった。


 アポロ13号クルーは13号LM「アクエリアス」と言う2人乗りプライムムーバーに3人乗りし(これには地上スタッフの創意工夫が大きな助けになった)、そして電源が死んだSMではなくLMの電源で13号CM「オデッセイ」を再起動して、生きて帰ってきた。


 そのサービスモジュールSMは(13号除き)プライムムーバー2機を運び支援するモジュール。

 正常ならばサターンVで打ち上げられ月へ向かう軌道に乗ってから、CMが大気圏再突入するまでのほぼ全ての航行に要するエネルギーと水と酸素を供給する。


 この3つをサターンVに固定し、打ち上げ時の振動から保護するマウント。


 この4つを組むとアポロ14号のフルシステムになる。

 1人乗りのマーキュリーが備えていたちっぽけなシステム。

 大気圏再突入機動しか出来ない逆噴射装置と、軌道を数周する数時間だけ飛行士1人を生かしておく小さな生命維持装置。

 アランは思い出す。

 取材に訪れたジャーナリストたちが「カプセル」と呼んではマーキュリー・セブンの面々が「スペースクラフト!」と訂正する繰り返しを。

 今にして思えば、マーキュリーは「カプセル」だったかもしれない。


 ずいぶんと進歩したものだ。


 だがアポロでさえ「宇宙船」スペースシップではない。

「宇宙機」スペースクラフトだ。


 その機長に過ぎないのにキャプテンと呼ばれる。呼ばれたら返事する。今のアランは空軍機や民間機の機長と同じく「その機のキャプテン」だから。


 これが気に入らない。

 海軍において「キャプテン」と呼ばれた時に返事をして良いのはどの一隻であろうと艦長ただ一人。

 仮に階級が空母艦長と同じ海軍大佐キャプテンであろうとも。

 空母打撃群の飛行隊長は「コマンダーオブエアグループ」の略称CAGで呼ばれる以外では返事をしない。

 空母打撃群参謀長も同じく。「キャプテン」と呼ばれても返事しない。

 海軍将校にとって「キャプテン」の名はそれほどに重い。



 その海軍軍人であるアランにとって、預かる宇宙機がNASAの作った最新最高のものではあっても。

 宇宙「船」や「艦」ではなく宇宙「機」を飛ばす身で「キャプテン」と呼ばれるのはかすかな不満だ。


 これでは空軍野郎か民間エアラインの機長ではないか!


 と、アランが不服を口に出したことがあるのは、それを聞いたことがあるのは隣に座っている宇宙飛行士室長。

 最年長の宇宙飛行士。

 一度も宇宙に出たことがない宇宙飛行士。

 しかしどの宇宙飛行経験者たちよりも--アランよりも--上の役職、宇宙飛行士のトップの座にある「空軍野郎」ディーク・スレイトン。

 日常生活を送るにはなんの支障もない、軽い不整脈が見つかってスレイトンは飛行機のライセンスまで取り上げられた。

 WW2では陸軍航空隊のパイロットだった男。

 オキナワ攻略作戦では軽爆撃機を操り、今はニホンの専守防衛空軍(航空自衛隊)のナンバー5に昇進している「ヒコウ・ハンチョウ」率いる戦闘機編隊を突破して爆撃に成功し生還した英雄。

 戦争が終わってからディークは軍を休職して大学に進み、航空工学の学位を取った。

 陸軍航空隊が空軍として独立したときにテストパイロットとして復帰して。

 昇進を断るばかりか大尉から少尉に自ら降格を願い出てまでパイロットであり続けた空軍野郎。


 コイツが地上勤務を強いられている。宇宙機ダメ、ジェット機ダメ、それどころか軽飛行機さえダメとNASAは言う。


 アランがあのベストオブレスト飛行の後に中耳炎に罹り、それがメニエール病(目眩が続く)にまで悪化して。

「今の医学では治らない」と宣告されて軽飛行機のライセンスまで取り上げられていたころと同じだ。


 だが、アランの病は医学の進歩が治した。

 ディークにもきっと、医学の進歩が不整脈を治してくれる日が来る。

 それを待つとお互いに誓ったのだ。

 その日は、アランに先に来た。


 小さな病院を経営している医師がその手術に成功したと聞いたアランは、即座に申し込んだ。

 耳の奥から鼻までシリコンチューブを埋め込むその手術は成功した。

 アランは軽飛行機から順にライセンスを取り直し、再びジェット機も、そして宇宙機も飛ばせる身体と飛行資格を取り戻した。


 一度、アランがアポロ13号の「キャプテン」に指名されたとき。


 若手宇宙飛行士たちは「アランの野郎、宇宙飛行の順番に割り込みやがった!」と騒いだと後から聞いた。

 アランは13号クルーとしてルーサとミッチェルを選びゴルフに付き合わせて親睦を深めていたある日のことだ。

 それはキャディ抜きで、クラブ1本を手にした「ランニング」(スピードゴルフ)の途中。

 あるパー5ホールのフェアウェイで、風下には誰も居ないところを見計らってからルーサとミッチェルは耳打ちしてくれた。

 それを誰がどう言って黙らせたかも。


 アランは長く続いた地上勤務の間にディークの仕事を手伝って、宇宙飛行士室長補佐官を兼ねている。

「楽しいぜ、ボス風吹かして若い連中をいびるのはよぉ。なぁアラン、海軍の半魚人。俺の仕事を手伝ってくれよ」とこの空軍野郎が言い出したときには殴りそうになったが今では最高の同僚で、最高の友だ。


 友としてのディークの欠点はただ一つ。

 アランがゴルフに誘っても「この週末は若いのと一緒に野球だ!」と言って断ること、これだけだ。


 組織人としては空軍野郎らしからぬグッドガイだ。

 アランが宇宙飛行資格を取り戻しアポロ13号のキャプテンに指名されたとき。

「割り込みだとブーイングするのは心得違いだぜ、若い諸君。アランはずっと、ベンチで打順を待ってたんだ。身体が治ったから『バッターボックスに入った』だけだ」そう言って若いのを黙らせてくれたのは、ディークだ。


 感謝してる、ディーク。

 俺に「その日」は来た。ディークにも必ず「その日」が来る。


 去年の春。

 アランが突如としてクシャミを連発し、涙が止まらなくなった時。

 診断書が出る前に「アラン、打順を下げる。アポロ13号はジム・ラベルとそのクルーに任せる」と決定したのもディークだ。

 アランと、アランのクルー。ルーサとミッチェルが茫然とするのを見てニヤリとディークは笑い、続けた。

「ってわけでキャプテン・アランとそのクルー。アポロ14号を任せる。頼んだぜ?」

 まったく、空軍の流儀ってやつはいけ好かない。


 そんな事を思う心とは別の部分がディークの読み上げるフライト準備に応答し、アランのクルー二人も担当箇所を応答してゆく。


 日本の「ハンチョウ」からディークが聞いた話では。

 専守防衛空軍や、専守防衛海軍航空隊(海上自衛隊航空集団)ではこの飛行前の知識共有を「勉強会」と言うらしい。

 けれども、決定的な違いがある。

 日本人は有人宇宙探査をやらない。

 日本人はもう二度とパールハーバーを爆撃しないと決めて、今度は自由陣営の一員でありながらその自由陣営のいろんな産業を市場での競争で叩き潰す合法な戦争を優先している。


 すでにイギリスの自動車メーカーはほとんど滅ぼされた。今、健在なのはロールスロイスとジャガーくらいだ。

 アメリカも危うい。

 製鉄の街ピッツバーグは、もう助からない。造船業も、殺される寸前。

 サンディエゴの、かつて正規空母を年に4隻も作って日本海軍を物理的に滅ぼした造船所までもが「海軍の軍艦を受注できないと死ぬ」ところまで追い詰められた。

 しかも。

 日本は公式には「侵略戦争の装備は保有しない。だから空母も持たない」と宣言してそれを守っているが、海軍軍人としてのアランは知っている。

 日本にはアメリカ海軍の空母を整備し、新型機を運用するための改造までこなす巨大な設備がある。

 公式には全て「アメリカ海軍が設備の使用権を買い取った日本の造船所で、海軍が雇った日本の民間造船技師たちがその仕事をしている」ことになっている。


 その造船所の経営陣には元日本帝国の海軍軍人が揃っていて、専守防衛海軍の幹部--かつて合衆国海軍を相手に戦った奴らがずらり!あの不死身の空母、イントレピッドをパールハーバーの修理施設に送り返した男までいる--と週末にゴルフに行く仲だ。


 それを日本人は隠しもしない。


 これはアランが海軍の伝手から聞いた話。

 海軍じゃ有名な話だ。

 日本の「造船所と専守防衛海軍の幹部たち」はしばしば、ヨコスカやサセボ駐留の提督や参謀をゴルフに誘う。


 第7艦隊の提督や参謀たちの多くはWW2での実戦経験者。

 元は帝国海軍の軍人だった人間たちとは、かつてはホンモノの殺し合い、戦争での敵軍だった間柄だ。

 それが一緒に昔話に盛り上がりながら楽しめる。


 これがゴルフ。


 ゴルフとはそれほどまでに偉大なスポーツだ。

 これをディークに教えてやったことがある。一度、ドライバーを振らせたことがある。

 が。

「こんな『地面に転がっている球を拾う』スイングを身に付けたら、ストライクゾーンの球を打てなくなる。ごめんだね」だった。

 あの危険なスポーツ、狙って当てれば人を殺せる硬い球を投げて人を殴り殺せる武器でそれを打ち返し、人を殺せる刃物を付けたシューズで走る「野球」は、プロがやるのを見て楽しむもんだ。

 仕事の疲れを癒し仲間との親睦を深めるべき休日に野球なんかやってると「その日」が来る前に死ぬぜディーク、空軍野郎。

 ゴルフやらないならせめて、今のうちに例えばソフトボールとか。

 日本で盛んと聞く「ゴムボール野球」(軟式野球)とかに切り替えろよ。


 アランの、そんな事を思う心とは別の部分が応答と確認を進めてゆく。

 ファイナル・プリパレーションは終わりつつある。


 飛行管制主任のグリフィンが秒読み最終段階でそれぞれが目玉をどこに向けるのかを読み上げ、アランもクルー二人も心とは別の、機械みたいに正確に動く脳のどこかで確認を終えた。


「うむ。これなら打ち上げ秒読みが残り数秒に迫った極限の緊張下でも突発事態に対処する余裕がある。結構なことだ」

 無言で俺たちの様子を見ていた管制チーム医官が大げさに頷いた。


 ディークはニヤリと笑った。


「飛行士室長、問題ないか?」

「ありません」

「ではファイナル・プリパレーション終了。キャプテン・シェパードとそのクルー諸君。打ち上げ日……来年1月31日を控えての隔離待機に、1月10日からだな。これに入るまでに個人スケジュール作業を消化すること。以上、解散」

 グリフィンが告げた。

 まるで出航準備を終えた艦のブリッジで「何時に出航するからそれまでに個人レベルの準備を済ませ、出航1時間前にブリッジに戻れ」と命じる「艦長」みたいに。

 そう、飛ばないがアポロ14号の事実上の「艦長」はグリフィンだ。一度も艦艇を動かしたことがないグリフィンだ。

 だがそのグリフィンがアポロ14号の「航海士長」に過ぎないアランをキャプテンと呼ぶ。


 不満だ。

 NASAのやり方だから従うが。


 アランは会議室を出ると電話を探した。

 まさに個人的なプリパレーション(準備)がどこまで進んでいるのか、アランはヒューストンのゴルフ用品店との電話を短く済ませた。


「月面で組み立てる」6番アイアンの開発は順調。持ち込み私物のケースに収まる。

 12月中には各種の事故防止テストを完了し、宇宙服と言うゴルフウェアでの地上練習を開始できる。


 月面におけるゴルフ。


「人類の偉大なる第一打」のプリパレーションも順調。

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