第1話 CMPとLMPの苦闘、そしてキャプテンの決断

1971年2月5日。

月面、フラマウロ丘陵。


「人類初の月面ゴルフコース」の開設を宣言する準備が整いつつある。


 5時間前、ミッチェルはアラン・シェパードと共にこのフラマウロ丘陵に降り立ち、トラブルをひとつ解決してからLMの中で呼吸を整え、着替えた。

 機内の空気を抜く。

 月面用の宇宙服が真空に晒され、内圧で膨らむ。

 もちろんシェパードが先に降りて月面を歩いた5人目の人類になり、次にミッチェルが降りて6人目になる。

 13号の奇跡的な生還から得た教訓と改良のおかげでノートラブル……ではなかった。


 13号を打ち上げたとき、13号フルシステムを載せたサターンVのSA-508にはトラブルがあった。

 加速上昇中、2段目のセンターエンジンが止まったのだ。

 残り4基のエンジン噴射時間を延ばし、3段目の第1回噴射を修正して予定通りの軌道に乗った。

 データ解析では、このエンジン停止がなかったらSA-508は空中分解していた可能性が高い。

 センターエンジンをオンボードコンピュータが止めたのは、まさに分解寸前の激しい振動が生じていたからだ。

 が、これはSA-509に施された改良によって見事に再発防止された。


 アポロ計画の今後を担うこの飛行。

 管制官たちに示された飛行計画指示書には「事故無く生還させること。よって、別冊に記した全ての探査は、事故防止のためには捨てて良い。以上」としか書かれていない。


 アポロ計画の継続を祈る大観衆の筆頭はケープケネディを訪れた副大統領と、その招待客であるスペイン王子。

 その見守る前ではアクシデントは許されない。


 これまでのサターンVでもっとも滑らかで柔らかい加速でSA-509は14号を軌道に乗せた。

 これがマーキュリー以来10年ぶりの宇宙飛行となるアランも、初の宇宙飛行となるミッチェルもCM操縦士のルーサもあまりの乗り心地に驚いた。

「地上訓練施設で遠心機に掛けられてブン回されるより楽だ」

「月面観察の訓練飛行より楽だよ。凄いぜ」

「……身構えてたが、考えてみると10年前のフライトで使ったあのロケットは、ICBMの生産ラインから程度の良い品を抜き取ったものだったな」

 アランの「前回のフライト」ではそのミサイル転用ロケットが過剰推力を発生し、最大加速度は実に地球重力の13倍を超えた。

 管制室から見ていたマーキュリー・セブンの飛行士たちは「リモートで緊急脱出させる」スイッチに手を伸ばした。

 が、アランは意識を失うどころか計器読み上げを続けた。

 超人だ。


 有人宇宙探査専用に開発されたサターンVの、さらに改良型ともなればミサイル転用ロケットと比較して身構えるのはそれを組んだ技術者たちに失礼だったかもしれない。


 そんな事を無線を切ってからアランが呟いたが「これまでに起きたことのないトラブルが連続する」とは知る由もなかった。

 もちろん月着陸機操縦士(LMP)ミッチェルも、司令機操縦士(CMP)ルーサも想像さえしなかった。


 最初のトラブルは、アポロ14号システムの「位置入れ替え操作」だった。

「ソユーズ」のあの力業としか言いようがない設計と違って、アポロ宇宙機システムは打ち上げ時にLMをCMの上に載せない。

 ロシア人に設計させたなら、軌道上で暮らすためのモジュールをアポロのCMに相当するモジュールに地上で載せてがっしりと固定するあのソユーズと同じ設計をするだろう。

 そして全システムを丸ごと打ち上げ時の強烈な風圧から守る巨大なカバーで覆ってからロケットに載せることだろう。(実際には工場でロケットに固定して、鉄道に載せて横倒しで運ぶ)

 打ち上げ時トラブルがあれば?

 ソユーズの画像を見るに、なんと宇宙機システム全体をロケットから離脱飛行させる単純明快な力業の、馬鹿デカイ脱出装置が付いている。

 NASAの技術陣もこの設計に心惹かれたとは言う。

 しかし、より経済的な設計を選んだ。

 CMはカバーを被せずに脱出装置とセットで全システムの先端に載せる。

 その下にSM。

 さらにその下、サターンVにアポロ宇宙機システムを固定するマウントの内部にLMを収めた。

 これで、CMを脱出させるに足るだけの小さな脱出装置で済む。

 打ち上げ時にLMまたは軌道上生活モジュールの重量がCM(ソユーズなら地球大気再突入カプセル)に掛るなんてこともない。

 軽量、スマートな設計だ。


 だがCMPにはちょっとした負担が掛かりそのためのトレーニングが要る。


 実際に14号ではその負担はかなり大きくなった。


 サターンVの3段目を再点火させて月へ向かう軌道へと加速を済ませてからのことだ。

 加速終了して月に向かう軌道に乗ったこと、間違いなく3段目エンジンが止まっていることを確認してから、ルーサは操縦桿を握り微小推力系噴射をSMに行わせた。

 キツイことにCMPはLMPと異なり、クルマやバイクの運転と同じく「操縦」と「操作」の二役を一人で行う。

 クルマやバイクしか経験のない人に言ってもなかなか理解してもらえないが「操縦あるいは運転」と「その乗り物の操作」は別物だ。

 極端なのはアポロ11号キャプテンのニール・アームストロングで、はっきり言って操作は下手くそだ。

 しかしニールの操縦は誰よりも上手い。


 ともあれCMPは操縦と操作を一人で行う。

 キャプテンとLMPがCMPの耳目を務めるがそれでもキツイ。


 しかしルーサはCMPと言うキツイ仕事を余裕の表情でこなす。

 機内に衝撃を感じることもなく、CMとSMのセットは静かにサターンVの3段目から切り離された。


 規定の距離を取り、反転。


 ルーサは窓を通して肉眼でサターンVを確認し、さらにLMPのミッチェルとキャプテンにも確認させた。

「オーケー。ヒューストン、こちらアポロ14号『キティホーク』のCMPだ。サターンVの3段目先端部、マウントの中にLM『アンタレス』が正常に納まっていることを確認した」

「キティホークCMP、こちらヒューストン。レーダーと望遠鏡で確認した。操作開始してくれ」

 グリフィンではなく、交信担当の飛行士の声が無線を通してCM内部に響いた。


「オッケイ、ヒューストン。では、始める」

 ルーサは慎重にしかし滑らかに。

 微小推力噴射を繰り返してCMをサターンVの先端に寄せてゆく。

 窓の中で音もなくサターンVの姿が膨れ上がる。

 接触まで残り1メートルと言うところで停止。

 ここで互いの軸を合わせる操作があるが、ルーサの操縦は完璧でアランにもミッチェルにも、軸のズレなど見つけられなかった。

 確認を終えるとルーサは頷いて、CMの先端をLM先端のドッキングポートへと寄せてゆく。

 この操縦も完璧で、軸のズレなしにドッキングラッチが噛み合った。

 ルーサがキャプテンとミッチェルに宣言していた「この、一連の位置入れ替え操作でのエコ記録を更新する」

 それは達成されたはずだった。


 この操作が実施されるのはこれで6回目。

 地球周回軌道上で最初に実施し、LMの宇宙飛行テストを行った9号。

 月への移行軌道上で実施して月周回軌道まで到達し、月の重力圏内でのLMテスト飛行を行った10号。

 月面着陸を行った11号、12号。

 この操作に成功していたおかげで生きて帰ってこれた、そして実に多くの改良点を見つけてくれたあの13号。

 クルーは重複しておらず、この操作を行う6人目のCMPであるルーサはこれまでの5人の誰よりも滑らかにそれを成功させたのだから。


「逆推進」

 ルーサが最小推力での逆推進噴射を行うとCMとSMのセットがサターンVの先端からゆっくりと遠ざかる。

 この操作でLMを引っ張り出す。

 

「?!」

 ルーサが逆噴射のさらに逆操作を行い、相対位置を固定した。


 ラッチが噛み合い、CMの頭上に固定されたはずのLMが出てこない。


 ルーサが樹立したはずの新記録は、失われた。


 2時間にわたる苦闘の末。

「これがダメならこの飛行は中止」と言う最後の試みだった。

 アポロ13号に続く失敗は計画全ての終了を意味する。

 その、動きが渋いLMのラッチをかみ合わせる操作。

 ルーサの操縦とは思えないハード・ドッキングの衝撃に続いて、ドッキングラッチが実に騒々しく動く音が機内に響いた。

「よし、ようやく噛みついた。逆推進!」

 6人目のCMP、この一連操作でもっとも燃料を無駄遣いしたCMPになったルーサは安堵の吐息をついて操作を終えた。

 これまでの苦労が嘘のように、LM通算6号機「アンタレス」はCM「キティホーク」の頭に乗って、マウントの中から出て来た。


 そしてつい先ほど。


 月周回軌道上でLM「アンタレス」がCM「キティホーク」から分離し、月面へと降りる操作の準備中に「飛行中止」ランプが点灯した。

 降下操作を中止し、全ての飛行制御系を点検したが異常がなかった。

 制御パネルを慎重にペンで叩いたら、ランプが消えた。

 ヒューストンのスタッフはペンで叩いた衝撃から素早く計算して「異常は機内から手が届かない位置だ。はんだ付け不良」と結論した。

 これが月面への降下中に起きればどうなるか?

 降下用エンジンが止まりLMのコンピュータはミッチェルの操縦とアランの操作を無視して月周回軌道に戻る動作を開始する。

 しばしヒューストンとLMPは無線で相談し、キャプテン・シェパードが決断した。

「ヒューストン、こちらアンタレス。異常がある箇所を回路から切り離す。操作の許可をくれ」と。

 これはLMPの頭越しの決断だったがアランはキャプテンだ。

 操縦はLMPが行うがキャプテンの指揮下にある。

 ルーサとは異なりLMPのミッチェルは操縦するが操作は行わない。

 操縦。

 つまりは状況判断を行いどんな操作をするかを指示するのはLMP。

 そして艦艇や民間船なら「操舵手」の役目を務めるのはLM乗組員としての、キャプテン・シェパード。

 クルマやバイクみたいに「運転」と「クルマやバイクの操作」を一人二役で行う乗り物しか動かしたことが無い人間が聞けばさぞや戸惑うことだろう。

「それに、キャプテンは絶対権限者じゃないのか?」とも言うだろう。


 しかしこれは、少人数で動かす小型艇とか飛行機ではしょっちゅうあることだ。

 そしてキャプテンは部下の操縦指示に従っている間であっても、フライトへの絶対権限を失うことはない。


 ただ一瞬、キャプテン・シェパードが浮かべた笑みはミッチェルの緊張をほぐすための作り笑いだったのか?

 聞かないことにして、ヒューストンの許可を待った。

「アンタレス、こちらヒューストン。回路切り離しスイッチのナンバーを伝える」

 全ての回路、全てのスイッチの番号をミッチェルは暗記しているから、伝えられたナンバーは予想どおりだった。

 そして、キャプテン・シェパードもミッチェルと同時に、ヒューストンが読み上げる前に「そのスイッチ」を指さしていた。

 回路切り離し操作は数秒で終わった。

 これで降下中にコンピュータが勝手な中止操作を開始することはなくなった。

 

 だが、降下に掛った途端にまたも問題が起きた。

 レーダーが、月面にロックオンしない。

「操作手に指示してくれLMP。操作手はレーダーが動かなくても着陸操作が出来る」

 操作手を兼務するキャプテン・シェパードは実にあっさりと命じた。

 

 ミッチェルはレーダーを再起動するまで手動で操作するように、予定のコースを辿るようにと操作手に指示した。

 ミッチェルはCMPとして操縦を続ける。

 コースから逸れる傾向を探し修正指示を出し、残り燃料と推定高度を読み上げてゆく。

 コースから逸れることはほとんど無かった。

 確かにこの操作手は腕利きだ。

 レーダーが再起動し、月面をロックオンしたのは高度6700mでのことだった。

 再起動はしたものの、このレーダーを信用して自動操縦かつ自動操作に戻すことは避ける。

 このLMPの操縦判断にLM操作手を兼務するキャプテンは頷き、10号でのフライトテストに始まる通算4回目の月面へ向かう降下飛行は完全に人間の操縦と操作で行われた。


 それは先ほど、ルーサに何か申し訳ないほどの精度で完了した。

 降下は行ったが着陸までは行わなかった10号が辿った降下コースよりも「正確だ」とは降下中にヒューストンが伝えて来たことだ。


 11号のLM「イーグル」でも機載コンピュータは2人の乗組員を殺そうとした。

 状況を伝えるアームストロングとオルドリンの声に重なる「ピーッ!ピーッ!」はオーバーフローを起こし、リセットと再起動を繰り返すコンピュータの再起動音。

 11号は結局、着陸予定点から数kmも離れたところに降りた。燃料切れまで30秒を割り込んでいた。

 帰還してからLMの製造元であるグラマン社に「表敬訪問」したアームストロングとオルドリンがいかなる「感謝の言葉」を述べたのかは、NASAの機密である。


 12号ではグラマン社はこの問題を「かなり」解決していた。

 降下開始からのほぼ全てをコンピュータがこなした。

 より正確に言えば12号のLMPビーンは降下半ばのわずかな時間だけ手動操縦で修正し「コンピュータがオーバーフローに入らないコース」に乗せて自動操縦に戻し、そして。

 残り高度およそ400mから手動に切り替えた。

 狙った着陸点からのズレは177m。

 この12号LM「イントレピッド」の着陸はシミュレータでも達成者がいない誤差200m切りで、まさかその記録を手動操縦で降りて更新できるとは思っていなかった。

 手動操縦&手動操作で降りた14号LMが狙った着陸点からのズレはおよそ90mだった。

 操縦開始時の距離を基準にすると?


 カチリ。

 無線のマイクをオフにして、キャプテン・シェパードは言ったものである。

「お見事だLMP。ホールインワン、しかもカップにダイレクト・インだ。12号は実に惜しいところでホールインワンを逃した」

「12号はホールインワンだ」とはいつだったか一緒にランニングに出た時のキャプテンの言葉。

 ミッチェルも、今は月周回軌道を巡っているCM上で月面観察を行っているルーサも同意していた。

 14号LMが降りるまでは。

「操作手のスイングも良かった、キャプテン。道具がおかしくなって危うくハザードに飛び込みかけてバンカーを彷徨った11号、グリーン近くでのプレー終了を前もって命じられてた10号。そしてコースの途中でプレー中断、辛うじて生きて帰った13号。そのどれよりも今回のLMPは運と、操作手に恵まれた。ま、そんなところ」

 思わず、早口になった。


 そしてマイクをオンにしてヒューストンを呼び出す。ヒューストンからの、着陸成功を祝う最初の言葉はさて、なんだ?

「アンタレス、こちらヒューストン。音声無線は入るが、データリンクが入らない。そちらのデータリンク装置の点検、急いで頼む」

 なんだって?

「アンタレス、こちらヒューストン。追加メッセージだ。実に見事な着陸だった。点検急げ」

 

 なんてこった。

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