後編:地球の光

 アーティファクトに近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。


「これは石像じゃないわ。レリーフよ」


 絶壁に彫り込まれた男雛と女雛が、地球の柔らかな青い光を受け、幽玄な輝きを放っている。


 男雛は右手にしゃくを持ち、地球を見据えている。女雛は十二単を身にまとい、衣装のひだまで表現されている。


 二体の雛人形は並んで立ち、月から遥か遠くの青い故郷を静かに見守るかのようだった。


「信じられない……」と私はつぶやいた。


 この荒涼とした月面に、日本の伝統文化が刻み込まれているという不思議な光景に、私たちは言葉を失った。


「こちらケイト。司令、聞こえる? アーティファクトを見つけたわ。L.L.O.E.からだとアングル的に見えなかったかも……」


 この場所だとセレーネⅣと直接通信できないため、孫衛星が中継する必要がある。だから、司令との会話は4秒のタイムラグがある。


『アーティファクトを秘密裏に処理せよ』


 司令の返答はたったそれだけだった。


「え? どういうことでしょうか、司令?」


 リコが問いただすと4秒後に司令がこたえた。


『そうだな、もしそのアーティファクトの正体がわかったら説明してやろう。これはクイズだ。以上』


「クイズって? 面倒くさい話ね……」


「処理ってどうすればいいのでしょうか?」


「セレーネⅣを出発する時にC4爆薬を預かってMZに積んでいるわ。この件に関しては本気みたいね」


 MZをレリーフの正面まで移動させ、ヘッドライトを照射する。リコはレリーフに近づいて観察を始めた。


 ヘッドライトで照らしてみると、このレリーフの精巧さがより一層際立つ。


 絶壁に縦横10メートルの正方形を荒く削り出し、その枠内に雛人形が丁寧に彫り込まれている。


 これを制作するには、相当な労力が必要だったはず。


「掘られた部分を見ると、削ったというより溶かしたような跡があります。アーク放電でも使ったのでしょうか? この規模の作業には、何らかの工作機械が必要だったはずです」


「でも、少なくともこれを作ったのは日本人のはずよ。リコ、なにか心当たりはないの?」


「まさか……月にいる日本人ですと、私以外ではセレーネツーの渡辺さんと梶田さんしか知りませんよ。セレーネⅡは月の真裏ですからここまで来るには無理があります」


「ともかく、誰かがここまで来たことは確実よ」


 やっぱり、セレーネⅣのクルーの誰かの仕業だろうか? でもセレーネⅣの資材でこんなことができるだろうか。


 しばらく、私たちは黙り込んだ。


「あっ!」


 そのとき、リコが何かを悟ったような声を上げた。


「……これが最近作られたものだと考えるのは早計ではないでしょうか?」


「そうね……でもセレーネ計画より古いとは考えにくいわ」


「いえ、年代測定器具がないため仮説ですけど、これは40年前のものかもしれません」


「その根拠は……?」


「あれが雛人形に見えるのは今日が3月3日であることによる、思い込みなのではないでしょうか?」


「え? 思い込みですって?!」


 確かに、これを見る少し前に雛人形のことを考えていたけれど……


「じゃぁ、これは何?」


地球外知的生命体ETIです!」


「どういうこと?!」


「40年ほど前、木星探査機パイオニア10号が消息を絶ちました。それには人間の男女が並んだ絵が描いてある金属板が取り付けられていました。つまり、パイオニア10号を拾ったETIが地球人の絵をまねて、自分たちの絵をここに描いたのです」


 リコは興奮を抑えきれない様子で、一息つくと続けた。


「この像が完璧な精度で地球を見つめているのが、何よりの証拠です。私たちをいつも見守っているというメッセージです。このような大胆かつ精密な技術は、今の人類には不可能なはずです!」


 これほど熱心なリコの姿を見るのは初めてだった。


「それを知っていた上で、司令がこれを爆破するように命じたというの?」


「司令は私たちが見ていないL.L.O.E.の映像を確認して危険物と判断したのかもしれません。でも、絶対に破壊してはいけません!」


 リコの予測は信念に代わってしまったようだ。ただ人類には不可能、ETIなら可能、という物言いが少し癪に障った。


 私は二つの像と同じように地球を見つめた。地球は地平線から昇ることも沈むこともなく、ただそこに静かに存在していた。


 あれが雛人形だったら、実行したのはきっと日本人。今、私の周りで日本人が関係すること……


 振り返ると雛人形が地球を眺めている。しかし、もしかしたら逆なのかもしれない。


 そのとき、閃いた私はリコに話しかけた。


「残念だけど、そんなロマンチックな話じゃないわ」


「どうしてですか?」


「そもそもここはARL受光ポイントよ。地球から高エネルギーのレーザーが照射される場所なの」


「まさか……」


「そのレーザーが、まるで雛人形をプリントアウトするかのように、この絶壁を削ったのよ」


「そんな! 自転する地球上から、38万キロも離れたここにレリーフを掘るなんて……」


「そのくらいの精度がないと、ARLシステムは実現できないのよ。きっと予定以上の精度が出せるようになって、試してみたくなったのよ。ねえ、司令!」


 そして4秒後、指令の声がヘルメットに響いた。


『ハッピーヒナマツリ! ご明察だよ、ケイト君。良いひな祭りを楽しめたかな?』


「もしかして、私たちのためにこの雛人形を用意してくれたの?」


『………………残念ながらそうではないんだ。ARLシステムの地球側の日本人スタッフが独断で起こした事件なんだよ。動機はケイト君の想像通りさ。そのスタッフは謹慎処分になった。それで今朝方、地球側から連絡があって、何とかしてくれと頼み込まれたというわけだ』


「それで爆破をするのですか?」


 リコは寂しそうに声をあげた。


『………………あれを放置すると、ARLシステムの性能が全て明らかになってしまう。ARL兵器転用説でも出たら収拾がつかなくなる』


「でもどうせ、ここまで見に来るのは関係者だけですよ」


「いいえ、やっぱり爆破するわよ」


 と私はリコを制した。


「どうしてですか?」


「ほら、お雛様を片付けないと縁起が悪いって言うじゃない」


「そ、それはそうですけど……」


  


 帰りの酸素残量を考えると、あと1時間も滞在できない。


 爆薬を2つずつ分担し、男雛と女雛の腰のあたりに慎重に設置していく。

 月の重力は地球の6分の1なので、5メートルほどの高さでも宇宙服を着たままボルダリングで登ることができる。


「ケイトさん、写真を撮っておきませんか?」


「そうね。たくさん撮っておくわ」


 月面でのひなまつりはもう少し楽しめそう。


  


(終)

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セレーネのひなまつり イータ・タウリ @EtaTauri

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