セレーネのひなまつり

イータ・タウリ

前編:月面車

 2043年3月3日


 砂の海と呼ばれる月面に、私たちの影が延びていく。


 ケイト理子リコは国際月面基地”セレーネフォー”から50キロ先にあるARL受光ポイントを目指して、最新月面車”MZ”を走らせている。


 ARLとは先進型エネルギー伝送レーザーの略称。これを地球から照射して月面基地へ電力を送るARLシステムが日米協力のもと完成した。

 今後、セレーネⅣはこのシステムと太陽光発電を併用していく予定。


 でも、セレーネⅣからは地球が見えない。だから、受光ポイントは地球が見える場所まで離れている。


 MZを走らせてそろそろ1時間。

 この荒涼とした景色の中では、時間の感覚が薄れていく気がする。


 私たちの任務は単純明快。MZの走行テストとまだ誰も訪れたことのない受光ポイントの調査だ。


 だけど、司令から追加の任務を依頼されている。

 それは、受光ポイントにあるという「アーティファクト」の調査。司令はそれ以上の説明をせず、ただいつも以上に眉をひそめていた。


「ケイトさん、受光ポイントまであと20キロです」


 リコの声がヘルメット内に響く。彼女は常に冷静で、その判断力は基地でも一目置かれている。


「了解、リコ。何か変わったものが見えたら教えて」


 私は応答しながら、運転に集中する。MZは思った以上に反応がよく、小さなクレーターも軽々と乗り越えていく。


「アーティファクトとは何でしょうか? 現地を観測した低軌道月面探査機L.L.O.E.の映像に人工衛星の残骸でも写っていたのかもしれませんね」


 リコの言う通りかもしれない。でも、そうだとしたら、あんな秘密めいた言い回しをする必要はなかったはず。


「もしかしたらL.L.O.E.そのものが墜落してて、司令がそれを隠したがっているのかも?」


  


 地平線の向こうから、ゆっくりと青い地球が顔を出す。同時に後方で太陽が沈み、その場は地球の光に満たされた。


 この光景は何度見ても心を打つ。


 宇宙服の遮光バイザーを外し、MZのヘッドライトをつけて、地球明かりの中を進んでいく。


 ふと、今日が3月3日、日本ではひなまつりの日だということを思い出した。子供の頃、日系の祖母が雛人形を飾ってくれた。あの日々が懐かしい。


「リコ、気を付けて」


 私が声をかけると同時に、MZは崖から飛び出した。


 といっても、この地点の落差20メートルは織り込み済み。MZのスラスターを吹かせて地表にゆっくりと着地した。


「着いたわ。ここが受光ポイントよ」


 そこは地平線に浮かぶ地球がよく見える、広大な平地だった。


 昨日、L.L.O.E.のフライバイ映像で何度も確認した場所だけど、実際に来てみると印象が全く異なる。


「なにもないですね。もしアーティファクトが小さな物でしたら、大変ですよ」


 リコは途方に暮れたような声を出した。


 この場所に塔を建て、ARL受光アンテナを設置する予定だが、先ほどの崖の上に設置できれば塔は不要になる。


 そう考えて背後の崖に振り返った瞬間……


 そこに巨大な"アーティファクト"が姿を現した。


「うわっ!」


 思わず声が漏れた。


 そこには高さ10メートルはある2つの人影が佇んでいた。


「なんですかこれ! 月にこんな大きな石像があるなんて……」


 リコも動揺を隠せないようだ。


 でも、地球明かりに照らされたその像は、既視感のあるものだ。


「これは……雛人形だ……」


「はい……雛人形です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る