「珈琲と煙草と、時々奇妙な客」

俺の名前は佐藤健一。42歳、独身。この街の片隅で「喫茶マイルストーン」という小さな店を営んでいて見た目だけはダンディーだとよく言われる。白髪交じりの短髪に、いつも少し無精ひげを生やしてシャツの袖をまくってるのが俺のスタイルだ。常連からは「店長、渋いね」とか「映画の脇役みたい」とか言われるけど、正直どうでもいい。俺にとっては、この店が全てだ。


店は古いビルの1階にある。木製のカウンターと6つのテーブル席、壁には古い映画ポスターが貼ってあって、棚には埃をかぶった本が並ぶ。BGMはジャズかクラシック、たまに俺の気分でロックをかけることもある。朝8時に開店して、夜9時に閉める。メニューはシンプルだ。ブレンドコーヒー、紅茶、トースト、サンドイッチ。あとは季節ごとにケーキを少し変えるくらい。派手さはないが、常連が途切れないのが自慢だ。


突然だが、この店には面白いことが稀に起こる。毎日が単調なわけじゃないけど、大抵は静かなもんだ。常連の顔ぶれも決まってる。朝は近所の工務店の親父が新聞を読みに来て、昼はOLがランチを食べにくる。夕方には大学生がレポートを書いたり、恋人同士がデートがてら寄ったりする。そんな中、時々妙な客が紛れ込んで、俺の日常に小さな波を立てていく。


例えば、先週の火曜日のことだ。昼過ぎにスーツ姿の男が入ってきた。30代半ばくらいで、髪はきちんと整えてるのに、どこか疲れ切った顔をしてた。カウンターに座って、「ブレンド、濃いめで」と注文してきた。俺は黙って豆を挽いて、ドリップを始めた。男はコーヒーが出るのを待つ間、ずっと手の甲を見つめてた。よく見ると、指に小さなタトゥーが彫ってある。蛇か何かだろうか。珍しいな、と思いながらも、俺は聞かない。客のプライバシーは詮索しないのが俺のルールだ。


コーヒーを出し終わると、男は一口飲んでこう言った。「この味、懐かしいな。昔、親父が淹れてくれたコーヒーに似てるよ」。俺は「そうか」とだけ返して、グラスを磨き続けた。すると男は急に笑い出して、「あの親父、今は刑務所にいるんだぜ」とポツリ。俺は一瞬手を止めたが、「人生いろいろあるさ」とだけ言ってやった。男はそれ以上喋らず、コーヒーを飲み干して帰った。チップに500円玉を置いていったのが印象的だった。妙な奴だったが、悪い気はしなかった。


次に面白いことがあったのは木曜日の夜だ。閉店間際、8時50分くらいに若い女が飛び込んできた。20歳そこそこ、ショートカットで、派手な柄のワンピースを着てる。慌てた様子で「すみません、トイレ貸してください!」と叫ぶなり、店の奥に駆け込んでいった。俺は「どうぞ」と言う間もなかった。5分くらいして戻ってきた彼女は、顔を赤らめてこう言った。「実は、彼氏とケンカして、駅まで走ってきたら我慢できなくなっちゃって…」。俺は苦笑いして、「コーヒーでも飲むか?」と聞いた。彼女は「お願いします」と小さく頷いて、カウンターに座った。


その女、名前はミホだと後で教えてくれた。コーヒーを淹れながら話を聞くと、彼氏が浮気してるんじゃないかと疑って大喧嘩になり、勢いで家を飛び出したらしい。「でもさ、店長って落ち着いてるよね。私、もっと取り乱してもいいかなって思ってたのに、なんか安心しちゃった」。ミホはそう言って笑った。俺は「人生、慌てる必要はないよ。コーヒーだって急いで淹れたら味が落ちる」と答えた。ミホは目を丸くして、「かっこいい…」と呟いた。まあ、見た目がダンディーなら、こんなセリフも様になるらしい。彼女は結局、閉店までいて、帰りに「また来ます」と言って帰った。面白い子だった。


そして今日、土曜日。この日は朝から妙なことが続いた。まず、開店直後に常連の工務店親父が「店長、昨日宝くじ当たったんだよ!」と興奮気味に入ってきた。聞けば、10万円らしい。「これで何か奢ってやるよ」と言うから、「じゃあ、コーヒーでいい」と俺は笑った。親父は「ケチだなあ」と言いながらも、嬉しそうに新聞を広げてた。こういう小さな幸せが、喫茶店の空気に合う。


昼過ぎには、見たことないおばさんが入ってきた。60歳くらいで、派手な花柄のスカーフを巻いてる。注文は紅茶とチーズケーキ。食べながら、「この店、昔の恋人に似てるわ」と唐突に言ってきた。俺は「はあ」と曖昧に返したが、おばさんは構わず話し続けた。「彼ね、こういう喫茶店でいつも煙草吸ってたの。私、煙草の匂いが嫌いだったけど、彼が吸う姿は好きだったなあ」。見ると、俺の手元にはちょうど煙草があった。普段は客がいないときしか吸わないが、タイミングが悪い。俺は煙草を灰皿に押しつけて、「今は吸わないよ」と誤魔化した。おばさんはクスッと笑って、「いいのよ、懐かしいだけ」とケーキを食べ続けた。妙に詩的な人で、ちょっと面食らった。


夕方になると、店は少し賑やかになる。大学生のグループがレポート用の資料を広げて議論してたり、カップルが窓際で小さな声で話してたり。そんな中、カウンターに座ったのは背広姿の初老の男だ。眼鏡をかけて、髪は薄くなりかけてる。注文はブレンドとトースト。食べながら、男は突然「店長、人生って何だと思う?」と聞いてきた。哲学的な質問に俺は少し戸惑ったが、「珈琲を淹れて、客と少し話す。それが俺の人生だよ」と答えた。男は「ふうん」と唸って、「悪くないな」と笑った。後でわかったが、彼は近くの大学の教授で、時々こういう質問を投げてくるらしい。常連になりそうな予感がする。


夜が近づくと、店はまた静かになる。閉店前の8時半、ミホがまた現れた。今度は落ち着いた様子で、「店長、コーヒーお願い」と笑顔で言う。淹れてやりながら、「彼氏とはどうなった?」と聞くと、彼女は「別れたよ。でも、なんかスッキリした」と肩をすくめた。俺は「そうか、お疲れさん」とだけ言って、コーヒーを渡した。ミホは「店長って、ほんとダンディーだね。見た目だけじゃなくて、中身も」とからかうように言った。俺は「見た目だけだよ」と笑って返した。


閉店時間だ。看板の電気を消して、店内を片付ける。カウンターを拭きながら、これまでの客たちの顔を思い出す。タトゥーの男、トイレに駆け込んだミホ、宝くじの親父、昔の恋人を語るおばさん、哲学的な教授。それぞれがこの店に小さな波を立てて、去っていく。俺はそれを眺めて、珈琲を淹れるだけだ。


外はもう暗い。煙草に火をつけて、一服しながら思う。この喫茶店、見た目だけじゃなく、確かに面白いことが稀にある。明日も、どんな客が来るか楽しみだ。


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