内裏雛争奪戦2025

紫吹明

焦げ茶のもふもふvs灰色のふわふわ

 吹き渡る風が花の香りを運んでくる三月某日。い草の香る六畳一間は異様な空気に包まれていた。

 

「さあ今年も始まってまいりました内裏雛争奪戦! 毎度お馴染み実況の咲良さくらと!」

「解説の館花たちばなでお送りしますわ」


 花びらの触れ合うような声が告げると同時に、部屋を満たす空気が一段と張りつめる。畳の真ん中で向かい合う二対の目はまっすぐに獲物を捉えていた。明るい色の虹彩が障子越しの光に照らされ、金屏風と同じ色に輝いている。


「では選手の紹介です! 東、焦げ茶のもふもふ、める選手!」

「初出場の選手さんですわね。今年で二歳、選手として一番よい時期ではないでしょうか」


「続いて西、灰色のふわふわ、もい選手!」

「こちらも初出場の方ですわ。もうすぐ一歳、初めて見る内裏雛に興味津々のご様子です」


 二つの声が春風のようにそよそよと言葉を紡ぐ中、選手たちは四肢に力を溜め大きく見開いた目で獲物までの距離を計算する。ぴんと立てられた尻尾が狩りへの期待に揺れた。


 開始の合図などはなかった。先に動いたのは焦げ茶。一跳びで獲物までの距離を詰め、赤い着物の女雛を前足でころりと転がす。


「おぉ! める選手、春一番のスタートダッシュ! 女雛を確保、鈴の音が鳴り響いています!」

「今年から内裏雛も競技に合わせてアップデートされているようです。首のないフォルム、中に入れられた鈴など両選手が扱いやすいものになっていますわね」

「これは楽しい! める選手、夢中になって女雛をつつき回します!」


 もふもふの前足が振るわれるたび、女雛は鈴の音を響かせながら畳の上を転がっていく。可憐な音色を背景に、赤い着物と焦げ茶のもふもふは上になり下になり戯れた。

 そこに、ふと差し込まれる灰色。


「おっと、もい選手が動いた! 果敢に前足を伸ばしてめる選手に挑みます!」

「鈴の音が気になるのでしょうね。なんとか女雛を手に入れようとしているようですわ」

「しかしめる選手は身体で女雛を覆うようにきっちりガード! もい選手、女雛に前足が届かない!」


 伸ばされた灰色の前足は空をかき、畳を打ち付ける鈍い音が響く。二発、三発と繰り出される軽やかなパンチはすべて焦げ茶のもふもふに阻まれた。灰色のふわふわはひらりと身を翻して飛び退き、隙を窺うように頭を低く伏せて身体を揺らす。

 膠着した場に解説の館花たちばながさらりと情報を添えた。


「める選手は内裏雛争奪戦こそ初めての出場ですが様々なバトルを経験なさっておいでです。対するもい選手はこれが初めてのバトルとなるそうですから経験値という点ではめる選手に軍配が上がりますわね」

「うーん……もい選手、厳しい戦いになりそうですね」


 実況の咲良さくらが唸る。その言葉通り、灰色のふわふわは突破口を探るようにあたりをぐるぐると歩き回っていた。対する焦げ茶のもふもふは我関せず、抱え込んだ女雛を小さくつついて遊んでいる。

 と、その時。


「あーっ! める選手、痛恨のミス! 女雛が転がっていきます!」


 勢いよくつつかれた女雛はもふもふの身体を離れ、涼やかな音を響かせながら転がっていってしまった。


「遊んでいるうちにテンションが上ってしまったのでしょう。過去の選手たちもこれで涙を飲みましたわ」

「もい選手はすかさず女雛に飛びつきます! 形勢逆転! しかしめる選手、負けじと女雛に前足を伸ばします!」

「いよいよ奪い合いが本格的になってきますわね。これこそが内裏雛争奪戦ですわ」


 いまや女雛は絶えず鈴の音を響かせながら灰色のふわふわと焦げ茶のもふもふの間を行ったり来たりしている。二組の前足は一歩も引かずに絡み合い、女雛を、そして相手の前足を押さえ、払い、押しのける。

 どたばたと鈍い足音が閉め切った部屋を揺らす。何度も畳を転がった女雛の着物は少しよれ、黒い目はどこか物憂げに宙を見つめていた。その顔を灰色の前足がとらえ、かと思うと焦げ茶の前足が身体を横薙ぎに払う。


 吹き飛んだ女雛は、見事な弧を描いて金屏風に激突した。その身体を追って灰色のふわふわが飛び込んでいく。


「あ、あぁ……っ!」


 実況の咲良さくらが短い悲鳴を漏らした。その隣で解説の館花たちばなも息を呑む。


「める選手、屏風アタックです……! そしてもい選手、女雛を追った勢いでぼんぼりを倒してしまった……!」

「これはどちらも減点対象ですわね……。両選手の女雛ポイントから20点が引かれますわ」

「これは痛い……! 雛ポイントは各雛人形のキープ時間やつついた回数などから独自の計算式で算出されています! 果たしてこの失点を取り返す手はあるのでしょうか!?」


 咲良さくらの問いかけに、館花たちばなは冷静さを取り戻しつつ応じた。

 

「鍵を握るのは男雛ですわ。両方の雛人形をキープできた場合、得点が大幅に加算されるルールです」

「なるほど……! 女雛だけでなく男雛にも注目ですね!」


「……っと、ここで女雛に動きがあります! 灰色のふわふわ、もい選手! 女雛を回収しました!」


 倒れたぼんぼりとズレた台座の向こう、尻尾を揺らしていた灰色のふわふわが赤い着物とともに姿を現す。見守っていた焦げ茶のもふもふは様子を窺うようにゆっくりと灰色に近づいた。


「うーん……両選手とも女雛に夢中ですね……」

「過去の争奪戦でも最初にキープされた方の人形が延々と奪い合われることが多いですわね。前回内裏雛ポイントが加算されたのは四年前のことですわ」

「となると今回も……」


 実況の咲良さくらが自身の予想を言葉にしかけたその時。


 不意に、選手たちの動きが止まった。焦げ茶と灰色の尻尾はピンと天を突き、二対の目はまっすぐ扉の方に向けられる。にゃぅ、にゃあ、と甘えた声を出しながら二匹は女雛を放りだして扉に駆け寄った。

 解錠の音、玄関扉が開いて閉まる重い衝撃音。「ただいまー」と告げる声に二匹の鳴き声が重なる。


「なんと! ここでまさかの、両選手試合放棄です!」

「鈴の鳴る雛人形といえども飼い主さんには敵わないようですわね……」


 部屋を満たしていた張り詰めた空気は消え失せ、甘い鳴き声が響き渡る中咲良さくら館花たちばなはどこか気が抜けたように言葉を交わす。

 すぐに足音が近づいてきて部屋の扉が開けられた。


「もい、める、ただいま! ……わぁ」


 姿を現した飼い主は灰色のふわふわと焦げ茶のもふもふを両手で器用に捕まえてわしゃわしゃ撫でる。それから視線はひっくり返った金屏風と倒れたぼんぼり、放り出された女雛に向けられた。


「いっぱい遊んだねぇ! よーしよしよし、楽しかったかー?」


 叱るでもなく、むしろ相好を崩してふわふわともふもふを撫でる飼い主に二匹もうにゃうにゃと何かを訴える。その目が女雛に向くことは当分の間なさそうだった。


「……では、結果発表です!」

「内裏雛争奪戦2025、める選手対もい選手は……」

「両者試合放棄、よって引き分け!」


 飼い主の手にじゃれつく焦げ茶と灰色を視界の隅に捉えながら、咲良さくら館花たちばなは息を合わせて宣言する。戦いを見守っていたモノたちが人の耳には届かない歓声をあげた。


 ふと二匹を撫でる手を止めて立ち上がった飼い主が倒れた金屏風やぼんぼりに手を伸ばす。乱れたそれらの配置を直した後、大きな手は最後に二つの造花に触れた。本来ならば七段飾りの五段目に位置するはずの花々は、今は畳の上で堂々とその姿を晒している。


「毎年飾ってるけど、この桜と橘だけは誰も倒さないよねぇ……。何か宿ってたりして」


 飼い主の独り言に、咲良さくら館花たちばなは密やかに笑いを漏らした。宿っているどころか、ふたりはもう何年も全力でこの催し物を楽しんでいる。


 灰色のふわふわと焦げ茶のもふもふがふたりを見た。ピンと立てられた耳に向かってふたりはそっと囁く。


「来年もよろしくね」

「いい戦いを見せてくださいね」


 言葉が伝わったのかどうかは定かでないが、二匹の尻尾は何かを期待するようにひくひくと揺れ動く。

 にゃん、と柔らかな鳴き声が部屋に溶けて消えた。

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内裏雛争奪戦2025 紫吹明 @akarus

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