第2話 静けさは嵐の前触れ

 ──時は少し遡り、期末テスト三日前


「お前なんで小柳に勝負挑んでんの?」

「え」


 小柳梓と出会って約一年。私たちは高校二年生になった。その間、私は学業に従事する中、友人と交流したり、イベントごとに参加したりなど、高校生活をそれなりに満喫していた。

 その過程で仲良くなったのが、目の前にいる友人───伊瀬いせ穂香ほのかである。席が隣だったことがきっかけで、よく話す仲となった。二年でも同じクラスで、この心地の良い友人関係は持続されている。

 耳たぶくらいに切り揃えた黒髪のショートカットに、紅いメッシュ。耳にはいくつかのピアスがあり、切れ長の目は、初対面の人を軽く威圧する。

 いかにも不良のような風貌の彼女であるが、粗雑な言葉と外面を除けば、かなりいいやつだ。

 落とし物は交番に届けるし、迷子は親を一緒に探してやるし、成績はテストで毎回十番以内をもぎ取る、優秀な人材。

 見た目で損してるんじゃ……と思いふと格好について質問すると、


『憧れの姉貴を真似てんだ』


 ……とのこと。私の質問はかなり失礼で野暮な発言だったと心から反省してる。その旨を謝りながら伝えると、


『気にしてねぇよ。それより、姉貴の名前を私の口から吐かせたんだ……。姉貴の武勇伝語らせろぉっ!!』


 ……だよ? すごい微笑ましくて和んじゃった。なんて良い妹なのでしょうか。その「姉貴」もさぞ鼻が高いだろうね。

 っと、話がかなり脱線してしまった。いま、穂香が質問してきたのは、私と小柳の関係性についてだったか。


「なんでって……負けてるから?」

「あー……そうじゃねえんだよ」

「……?」


 犬か猫どっちが好きかと問われて、「インコ」と私が答えたときのような顔をしている穂香。事実を述べたまでなんだけど。

 そう、私は未だに、定期テストの結果で小柳に勝てていなかった。この一年勝負を挑んでは負け、挑んでは負け……。

 諦念を抱きつつも、私は健気に勝負を挑み続けるんだ。いちおう勝ちたいとは思ってるし。


「そもそもお前、小柳にじゃねぇかよ」

「……むっ」


 確かにそうである。

 小柳梓という少女は、実に不完全な人間であった。私が何でもできるオールラウンダーだとしたら、小柳は勉学に特化……いや、尖りすぎてしまった女だ。

 運動はできないわ、家事はできないわ、コミュ力は低いわ……。挙げだしたらキリがない。

 正直、私も「勉強だけなら……」と妥協しかけたことがある。あれは三回連続で負けたときだったか。さすがに堪えたよね。

 まあ、結局はこの不思議な関係を続ける選択をしたわけなんだけど……。


「そう言われると……弱ったなぁ」

「わかんねぇ、なんてつまんねぇこと言うんじゃねーぞ」

「……えへ☆」


 ウィンクして、自分の魅力を最大限引き出す仕草をとる。若干屈んで前傾、決め手は必殺上目遣いだ。

 穂香の右手が私の頭に伸び、愛でるように優しくなで回す。……へっ、ちょろいもんだぜ。


「おう嬢ちゃん、可愛いじゃねえか」

「待って。それはやめよう」


 穂香は、ニカッと爽やかなスマイルを浮かべる裏腹、右手を万力のごとく締め上げる。当然、私の頭は巻き込まれるわけでして、ミシミシッて鳴ったのが幻聴だといいんだが。


「あっ、痛い痛い」

「そりゃどーも」


 褒めてないよ。


「……めぐちゃんっ!」


 私と穂香が仲良くじゃれあっていると、ひとつの可愛らしい声が響く。振り向くと、私の後方数メートル、教室の入り口に、こちらを見ている小柳を視認できた。


「あっ……今日は勉強会だったか」


 穂香の「なんで?」って疑問を無視しつつ、私は自分のスクールバッグを手に取る。あいにく、私たちの関係は少年漫画のようないがみ合うライバル同士ってわけではないのだ。

 入れすぎた教科書で重い鞄を、よっこらせと肩に担ぎ、急ぐように大股で小柳に近づく。


「お待たせ小柳。行こっか」

「うん……!」


 一人ぽかーんとしている穂香を残して、私たちは学校を後にした。まだちょっと頭痛い。


♯︎♯︎♯︎♯︎


「伊瀬……さんとは、何を話していたんですか?」

「うん? あー、小柳のことかな。なんで勝負挑んでるの、だってさ」


 私たちは、丸いローテブルに向かい合って、その小さなスペースを勉強道具で埋めていた。

 場所は高校からほどよく近い私の家の、私の部屋。女子としては殺風景な部屋だが、その分で確保された広さが、来客を丁重に出迎えている。

 おもてなしの定番だろう麦茶が、カランと音をたてて、中の氷を揺らした。


「私のっ……こと。そ、そうですか」

「うん。なんだかね、勉強以外で負けなしの私が、小柳に勝負挑んでるのが不思議でしょうがないみたい」


 問題集に取り組む私たちは、会話こそ挟めども、お互いに手を止めたりはしない。だから、言葉の端々に、シャーペンが紙面をスケートのごとく滑り踊る音が聞こえるわけだが、なにやら先方の音が止まったようだ。


「わ、私に勝ち逃げさせる……んですか……!?」

「……? どういうこと?」

「あっ……いや、なんでも……ない、です」


 不思議なことを言い出したと思えば、なんでもないと勉強を再開させる小柳。口下手な彼女のことだ。なにか言いたいことがあるのは確実なのだろうが、うまく言葉にできないのだろう。

 出会ったときからそうだ。私も慣れるまでは日常会話すらままならなくて、外国人と話している気分になったのはいい思い出である。


「言いたいことはハッキリ言わないと、私は心が読めるエスパーじゃないんだから」

「うぅ……えっと、その……」


 そうやって、彼女が何かしら言いかけたときは、ちゃんと最後まで言えるよう促している。細かなすれ違いは、後の関係性に大きなヒビを入れる可能性があるからね。

 だから、いつもみたいに恥ずかしそうにもじもじしている小柳を、なるべく温かい目で見守っていてやるのだ。普段は殻にとじこもってはいるが、待っていればちゃんと出てきてくれる。小柳はそんないじらしくて可愛らしい女の子なのだ。


「……めぐちゃん、が……離れちゃうの、や……だから、ずっと勝負してほしい……です」


 ね? 可愛いでしょ?


「別に、勝負も小柳の友達も、やめるつもりなんかないよ。絶対に」


 「負かしてやりたいしね」と付け加えたあと、不安そうな小柳の頭を撫でてやる。こうすると安心するのか、いつも熱のこもった視線をくれるんだよね。それが可愛くて可愛くて。


「約束……してください」

「ふふっ……そうだね。約束する」


 小柳の表情が和らいで、頭を撫でる私の手をちょんと掴む。しばらく続けて欲しいというサインだ。まったく……ほんとうに愛いなぁ。

 と、そこで私の頭に電流がはしる。私閃いちゃったよ。


「ね、小柳。今回の中間テスト、負けた方は勝った方の言うことをなんでも聞くってのはどう?」

「───!?」

「小柳が勝ったら、私にずっと一緒にいてって命令すればいいよ。ま、私も負けるつもりはないけどね」

「……いっ、いいんですよね……!?」

「……? うん」


 なんだか、先ほどよりも目がキラキラしてる。そんなに嬉しかったのかな?


「言質は……とったので、言うこと……聞いてもらいます……!」

「早いって。まだテストすら受けてないんだから」


 よほど待ちきれないのか、ふんすふんすとやる気が漲っているご様子。私と一緒にいられることが、小柳にとってそれだけ価値のあることのようだ。なんだか照れちゃう。

 だからって、私もわざと負けるなんてことはしないよ。ちゃんと勝ちにいく。命令は……まあおいおい考えていけばいいか。


「めぐちゃん……! やる気でてきました!」

「それはよかった」


 うふふ、あはは。

 なんて感じのやり取りをしたのを後悔することになるなんて、このときの私はまったく考えていなかった。


###


 終業式が終わった七月二十日の放課後。私は、小柳を待つついでに穂香と教室で駄弁っていた。


「いつも思うけどよー、期末テストが毎回長期休み直前なの変だよな」


 返されたテストの解答用紙を、ヒラヒラと手で弄ぶ穂香。いつも通り九十点を越えているそれには、もはや喜色も見せない。私もそうなんだけどね。


「まあ確かに? 終業式の日に全教科返すのはここくらいかもね」

「だからどうって話でもないけどよ」


 中学校の頃はもうちょっとスケジュールに余裕があった、って言いたいのだろう。事実、うちの学校は日程調整がちょっと特殊だ。別に困ってるわけでも、疑問に思ってるわけでもないが。


「そんなことよりよ! もっと生産性のある話でもしよーぜ」

「ふぉーえぐざんぽぅ」

「そりゃ決まってるだろ! 夏休みだよ、夏休み!」


 その単語を聞いてようやく思い出す。そうか、今日が終業式ってことは明日から夏休みなのか。さんさんと照りつける太陽を憎しみの目で見る時期が、今年も早々にやってきたというわけである。夏って嫌い。


「どこか遊び行こーぜ。海でも山でもどこへでも!」

「焼けたくないから海はなし。暑いし虫もいるから山もなし。そだ、私んちなんてどぉ?」

「青春のせの字もねえなお前。虚しいやつ」


 呆れ返った目で穂香が見つめてくるが、私にはノーダメージだ。というか、私は元来、外出というものに強い興味がない。その最たる原因は、うちの家にある。


「だってうちに全部あるんだもんなぁ」

「うっっわ……出たよお嬢様」


 そう、私はお嬢様。お家デカイ。物理的にも懐的にも社会的にも。そのせいで、外出なぞしなくても家だけで完結してしまうのだ。

 体育館も武道場もプールも映画館もある。さすがに山はないけど、それでもいっぱしのレジャー施設を名乗れるくらいには、充実したラインナップだろう。

 習い事も、基本的に家庭教師を雇ってやってたなぁ。そう考えると、私が学校以外で外出した時間って、私の人生の十パーセントにも満たないのかもしれない。まだ十六年とちょっとしか生きてないけど。


「しょうがなくない? これはもうそーいう性なんだよ」

「へいへい。わがままなこってい」

「私のぼでーはスリムだが?」

「肉つきの話じゃねぇ」


 私がくびれを強調するようにポーズをきめると、すかさずツッコミが飛んでくる。ついでにとんできたチョップは華麗に躱してやった。


「んじゃ、もうお前んちでいーからよ、空いてる日あったら教えてくれや」

「ん、りょーかい。スケジュール見てみるね」


 スマホを取り出し、カレンダーアプリを開く。

 高校に入ってからは、とくに習い事も部活もやってないし、スケジュールはまったく埋まっていないはず……。


「あれ……」

「うん? どしたー」

「空いてる日ないんだけど」

「そんなことある?」


 訝しげな顔で私のスマホを覗き込んでくる穂香。そこには、小柳との予定でビッシリ埋まったカレンダーが表示されていた。


「いやお前これ……えぇー……」

「いろいろ約束したのは覚えてるんだけど……こんなにたくさんだったかなぁ?」

「なんかお前、いろんなことがどんどん杜撰になってきてないか?」

「いやいや、そんなことないって」


 確かに、小柳に負けてから私は変わった。自分が完璧でないと突きつけられたのは、かなりショックが大きかったが、冷静に受け止めれば、なんてことはなかった。

 そうすると、世界の見え方がだいぶ違ってきて、いままでの自分の人生が、いかに空虚だったか気づかされたのだ。

 だからもう完璧であることにも固執しないし、わざわざ習い事や部活をしようとは思えなかった。

 こんな風に今を満喫できているのも、あの日小柳に負けたからだ。小柳が私を変えてくれた。今度ちゃんとお礼を言わなくっちゃね。


「いい話風にすんな。怠惰になってるだけだろーが」

「失敬な。最低限健康的な生活を心がけてるよ」

「だといいがな」


 生まれてから一度も病床にふしたことのないこの超絶健康優良児になにをおっしゃるのか。まったく失礼しちゃうわね(ふんすふんす)。


「おっ、迎えが来たぜ、生活能力三歳児」

「誰が三歳児じゃ……って、迎え?」


 振り向くと、教室の入り口に見知った姿を確認。言うまでもないが、小柳だ。


「おー、小柳ー、待ってたよーん。この失礼極まりないお馬鹿ちゃんをおいてさっさと帰ろ」

「どっこいどっこいじゃねえか」

「……」


 鞄をひょいと持ち上げ、入り口でかたまっている小柳に駆け寄る……が、未だに微動だにしない。いや、なにかプルプル震えてる? 寒いのだろうか?


「小柳? どーしたの。帰ろ?」

「……」

「無視ですか……」


 肩を叩いてみても、顔の前で手をふっても、小柳は一向に反応を示さない。そんな彼女に呆れていると、鞄をしょった穂香が教室を出ていくのが目についた。


「あー……なんだ、その……頑張れよ」

「?」


 なんて言葉だけ残して、やつは足早にこの場を去った。まるで嵐を避ける野生動物みたいな逃げ腰である。小柳の次は穂香も変になってしまった……。流行り病?


「邪魔者……いえ、穂香さんも帰ったことですし、私たちも帰りましょうか、めぐちゃん」

「え? あ、うん」


 穂香の足音が聞こえなくなると、電源の切れた家電製品みたいに動かなかった小柳が、叩いたひょうしに直る昭和の家電製品みたいに動き出した。

 よくわからない状況に戸惑いつつも、小柳にとられた私の手を追いかけるようにして、私も教室を後にするのだった。



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