春に巡り、君とまた

カエ

第1話 憧れの仕事

夢だった幼稚園での仕事が始まり、あっという間に1ヶ月。少しずつクラスの子どもたちも慣れてきてくれた様子。


「花依(かえ)せんせー! おはよー!」

朝の園庭には、元気いっぱいの声が響く。


「おはよう! 今日も元気いっぱいだね」


手を振ると、ニコニコ笑顔で走ってくる子どもたち。朝の時間は、挨拶を交わしたり、ちょっとしたおしゃべりをしたり、みんながリラックスできる大切な時間だ。


そして今日は、1年に何度かある避難訓練の日。

先生たちは事前に流れを確認しているけど、子どもたちにとっては少し特別なイベントみたいで、いつもと違う雰囲気にそわそわしている子もいる。


「せんせい、今日のくんれんって、こわい?」

ふと、小さな手が私の袖をつかんだ。


「大丈夫だよ、先生も一緒にいるからね」


しゃがんで目を合わせると、ちょっと不安そうな顔をしていた子も、安心したようにうなずく。


「おれね、はしるの、はやいよ!」

「ぼくも!」


さっきまで不安そうだった子も、友だちと一緒に元気よく話し始める。

こうやって、少しずつ「大丈夫」と思える瞬間を増やしていけたらいいな、なんて思いながら、私は子どもたちの輪の中に入っていった。


そして、時間が来て、いよいよ避難訓練が始まる。


「地震です! 先生のまわりに集まって!」


園内放送の合図で、子どもたちは事前に練習した通りに動こうとする。少し戸惑いながらも、小さな手がぎゅっとつながれていくのが見えた。


「大丈夫、大丈夫。落ち着いてね」


先生たちの声が響く中、子どもたちを守るようにしゃがみ込み、揺れがおさまるのを待つ想定。


そして——


「火災が発生しました! 園庭へ避難してください!」


第二の合図とともに、いよいよ園庭への避難が始まる。


子どもたちと手をつなぎながら、私はゆっくりと園庭へと向かった。


集合場所の砂場前へ向かい、クラスの点呼を済ませる。


(大丈夫。全員揃ってる)


園長先生へと報告に行くと、そこには、消防士の人たちがすでに待機していた。


(えっ……あれって…)


(……透真?)


思わず息をのんだ。


並んで立つ消防士の中に見覚えのある顔があった。

一瞬、違う人かもしれないと思ったけど、懐かしい横顔を見た瞬間、そんな考えは吹き飛ぶ。


(……本当に、透真……?)


ざわつく心を抑えながら、子どもたちのほうへ目を向ける。

私が何かを考えていることなんて知らない子どもたちは、整列しながら興味津々に消防士さんたちを見上げていた。


その視線の先にいる透真が、一歩前へ出る。


「みんな、おはようございます」


あの頃よりも、低くて落ち着いた声。

しっかりとした立ち姿。


「僕たちは消防士って言って、火事や地震が起きた時に、みんなを助ける仕事をしてるんだ」


そう言って、透真がヘルメットを軽く持ち上げる。

真剣な表情を浮かべながらも、子どもたちが怖がらないように優しく語りかける声。


「みんな、今日の避難訓練、上手にできたな。はなまるだ!」


「うん!!」「やったー!」


元気よく返事をする子どもたちに、透真が少し口元を緩めた。


(……変わってない)


懐かしさと、不思議な感覚。

数年間会っていなかったはずなのに、目の前にいるのは、私が知っている透真だった。


でも、ちゃんと大人になっている透真でもあって——


「じゃあ、ここからは先生たちにも消火器の練習をしてもらうぞ」


透真の声で、ふと現実に引き戻される。


「先生たち、お願いします!」


子どもたちの声に後押しされながら、私は他の先生たちと一緒に前に出ることになった。


(……え、ちょっと待って)


さっきまで遠くにいた透真が、今度はすぐ目の前にいる。

当たり前だけど、透真は私に気づいていない様子で、訓練用の消火器を用意しながら話し始めた。


「じゃあ、一人ずつやってみましょう。まずは——」


指示を出す透真の横顔を、私はどうしてもじっと見てしまう。


(……どうしよう)


私が花依だって、気づく——?


順番は2番目…。

先輩の先生に隠れるように様子を窺う。


「〇〇先生!」


子どもたちの目線は、消化器を受け取った先生に集中している。

みんな大はしゃぎだ。

私は内心それどころではない。


透真はどうやら名札を見て呼んでいるようだ。


(……なら、名札を見られなければ、バレない?)


そんなことを考えながら、私はできるだけ先輩の先生の背後に隠れるように立つ。


「はい、いいですね。じゃあ次——」


透真の視線が、私の順番に近づくにつれて、心臓の音が大きくなっていく。


「かえ先生!」


(っ——!)


思わず肩が跳ねた。

名札、見られてた?

それとも気付いてた?


子どもたちの視線が一斉に私に向かう。

少し緊張しながら前に出ると、透真が消火器を持ってこちらを見ていた。


「……え?」


不思議そうに眉を寄せる透真。

その表情が、「もしかして」と言っているみたいだった。


(やっぱり気づいた!?)


「えっと……お願いします!」


なんでもないふりをして、私はぎこちなく消火器を受け取る。


「……あぁ。じゃあ、レバーを握って——」


透真の説明を聞きながら、消火器を操作する。

訓練用の水が目標地点に向かって噴射されるのを確認して、子どもたちが「おぉー!」と盛り上がる。


(よし、終わった……!)


透真の視線が気になるけど、今は何も言わずにその場を離れる。

私が列に戻ると同時に、次の先生の指導が始まる。


(……よかった、なんとかやり過ごせた……?)


少しホッとしながら息をつく。


でも——


透真は確かに、私のことをじっと見ていた。


(えっ……)



気付いてしまった視線から目をそらし、子どもたちの方に目を向ける。


(さすがに気づいてる……よね?)


(私……絶対変だった…)


ぎこちなさを、職場の人たちにどう思われただろうか。

人前からの緊張だと思われてたらいいけど…。


このあとはクラス写真を撮って終わりの予定だ。

……消防士さんと一緒に。


(ど、どうしよう……)


子どもたちは嬉しそうに「しゃしん! しゃしん!」とはしゃいでいる。

先生たちも「いい経験だからね」と笑顔だ。

でも、私の心臓はさっきから落ち着いてくれない。


(この流れだと、透真と並んで写ることになる……よね?)


慌ただしく整列が始まる。

子どもたちは前に並び、先生たちと消防士さんが後ろ。


「あ、せんせー!」


「こっち来てー!」


小さな手に袖を引っ張られる。


「う、うん……」


子どもたちに促されるまま、私は定位置へ——


……透真のすぐ隣に。


(うそ……)


横に立つと、ほんの少しだけ、視線を感じる。

緊張しすぎて、どこを見たらいいのか分からない。


「はい、じゃあ撮りますよー!」


カメラマンの先生の声。


(落ち着け、普通に、普通に……!)


ぎこちなく笑顔を作る。


「いきますよー、せーの——」


「「はい、チーズ!」」


パシャッ。


その瞬間。


「久しぶり、花依。」


——すぐ隣で、透真が小さくつぶやいた。


(……っ!!)


シャッターの音と同時に聞こえたその声に、思わず肩が跳ねる。


(や、やっぱり気づいてた……!!)


慌てて横を向くと、気づかなかったフリをして話しかける。


「本日はお忙しい中、ありがとうございましたっ!みんなも一緒にお礼を言おうか!せーのっ」


『ありがとうございましたー!』


「それでは…」


そう言って足早に立ち去ろうとする私に向かって、透真は一瞬出しかけた手を下ろし、そのまま見送った。


(ふぅ……)


クラスへと戻り、日常が帰ってきた。


(なんで透真が……)


(ダメダメ。今は仕事中なんだから…)


ぷるぷると首を振り、ぎゅっと握りこぶしを作る。


(切り替えていかないと!)


「よーし、みんな!手洗いが終わったお友だちから工作の準備をしまーす。まずは・・・」



―――――就業後


「お疲れ様でしたー!お先に失礼します」


そそくさと支度をして、幼稚園をあとにする。


子どもたちがいる間は、どうにか切り替えていたが、降園後はそわそわしっぱなしだった。


(職場でこんな事…考えてる場合じゃないのは分かってるけど…)


頭にあるのは透真のことばかりで、何をするにも手が止まってしまっていた。


(こんな日は早く帰って寝た方が良い)

(お風呂にバスソルト入れちゃお…)


そんな事を考えながら帰路につく。


避難訓練の時は晴れていた空が、今では曇天になっている。


(なんだか私の気分みたい。透真、相変わらずかっこよかったな…)


空を見て、またさらに気分が落ち込む。


(ちゃんと消防士になってたんだなぁ。夢叶えたんだ。でもまさか、こんな形で再会するなんて…)


駅までの道をトボトボ歩きながら、こんな気分の元凶のことを考えていた。

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