序論:『霊力』と『霊者』

 動物・植物・あるいはある種の被造物ひぞうぶつ……、これらには全て魂=『霊力』が宿っている。その『霊力』の源泉は、地球の宿す魂である。

 全ての生命は誕生の際に地球から霊力をほんの少し分け与えられる。霊力は生命の活力の源泉として作用し、生命がその生涯を終えた時にまた地球の霊力に還る。地球に還った霊力は長い年月をかけて浄化され、それが終わればまた新しい生命に分け与えられる。霊力は循環していくのだ。

 原則として、生物が保持できる霊力はこの世に産まれ落ちた時に分け与えられた量だけだ。しかし稀に、地球の魂――霊力の流れに触れる事でその量を超えて霊力を保持する事の出来る人間が存在する。それが『霊者れいじゃ』なのだ。

 一口に霊者と言っても、その流派は多岐にわたる。修験道や陰陽道、鬼道や神道はもちろん、仏教やキリスト教の僧侶からシャーマンも広義の霊者である。

 ご存知の通り、前述した種別の人々は祭具を用意し、場を整えた後に加持や祈祷を行う。それはケガレ――すなわち疫病や天災を祓う。

 ところが、時代を遡ると加持祈祷とは異なるケガレの祓い方が出てくる。それが『調伏』だ。ケガレから生じ実体を持ったモノノケを、霊者が武力を以て制する手法だ。平安時代を最盛期として数々の調伏の様子が描かれてきたが、時代がくだるにつれて徐々に廃れていく。第二次世界大戦以降は地方の祭事や大衆エンタメの題材などにその姿を残すのみとなった。

 しかし、全盛期よりも数を減らしたものの、現在でもモノノケが実体化し生じることがある。時間と手間をかけて場を整える必要がある加持祈祷は、モノノケに対しなす術もない。

 では、我々はモノノケに一方的に鏖殺される他ないのだろうか?いや、そんな事はない。

 現在まで調伏の術を伝え、人知れずモノノケを狩る一族がいる。

 それが、神の直系たる『瑞獣家』を祖とする霊者集団、通称『言霊師』である。

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火村絵凛『霊力〜私たちの裡に眠る力〜』(岩沼印刷、2025) 鴻 黑挐(おおとり くろな) @O-torikurona

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