第9話 要求
思い切り打たれたな。体幹で身を支えながら、ユーシェンは思った。ハオランは人の頬を打ったと思えぬ、泰然とした様子で、にこりと笑った。
「しばらく、ベイツィンが世話になったな。主として、その礼だ」
ハオランは音もなくひざまずいて、目線を合わせてきた。扇子でユーシェンの顔を上げさせ、静かな目が、じっと目を覗き込んでくる。
「しらばっくれてもむだだ。私の目はごまかせぬ」
縦に裂けた瞳孔に、すっと入り込むように自分が映っている。たしかにこの目を相手にごまかせるほど、自分は達者ではない。隠し立てはやめて、すっと身の力を抜いた。
さて、吉と出るか凶と出るか。
そもそも、あのような振る舞いを側近に許したそちらの手落ちではないか――そのような反発も微かにあった。それを見透かしてか――ハオランはふと笑んだ。
「そなたはひとつ、勘違いをしているぞ。ユーシェン」
つ、と扇子の先で、ユーシェンの首を真一文字になぞった。
「私がそなたを害さぬという前提は、私が地道に復権を望むときのみ。そなたの首を送りつけ、戦を起こしてもよいのだ」
それには、さすがにユーシェンも息をのんだ。予定が狂った。戦とは。呪われ、廃嫡された第一王子に、勝算があるとは思えぬが――
「それが、そなたの最も困るところであろう?」
そうだ。
この男が勝とうが負けようが、ユーシェンにとってはどうでもよい些末事だ。オウエンに勝って幸福になってほしいところだが、それも、天命が決めるところだ。
ユーシェンが気になるのはそこではない。
「そなたに仕えている者たちは、皆路頭に迷うであろうな」
ハオランは笑う。そして、扇子をぱちぱちと開いた。
「爆」
歌うようなささやき――その瞬間何やら爆ぜた――愛らしい声がつぶれる音がする。鳥だ。血と臓物が、ユーシェンに降りそそいだ。
「そなたの魔気は覚えた。今頃王宮では騒ぎになっているであろうな」
そこまで読まれていたか。
ユーシェンは、鳥に自らの音を教え込み、王宮に放っていた。何かあったときに、ハオランに叛意ありと示せると、一行を牽制するためだ。しかし、その鳥が彼方の王宮で殺されたのがわかった。
この男は、自分の一番の泣き所を押さえた。
死んだ後のことなど、誰もわからない。だが、男妻に仕えたものが、よそで使われることはない、それだけは動かぬ事実だ。
ベイツィンの動向にばかり気を払い、てっきりハオランの派閥は、慎重に事を進めたいのだとばかり思っていた。
下手を踏んだ。明朗で清廉と知られた、第一王子が、このような男だとは、知らなかった。ずっと室にこもりきりで――さぞ、気落ちしていると思っていたのに。自分もやはり、世間知らずだということだ。ユーシェンは内心、臍を噛んだ。
「……それで、殿下はどうなさりたいのです?」
ユーシェンは、静かに尋ねた。
「わざわざ話し、ほえ面を拝んでから殺す趣味がおありとは思えません」
嘆願も謝罪も選ばない。それはユーシェンの矜持と、本能的な勘だった。この男は、自分にそれを求めてはいまい。
ハオランは愉しげに笑う。
「簡単なことだ」
ハオランは、ユーシェンの顔を覗き込んだ。
「私はそなたが欲しい」
時が止まった。
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