第3話 千駄木くんと丸々くん
丸々くんが帰国する──それは千駄木くんにとって、狂喜乱舞すべき出来事だった。
丸々くんは幼馴染で無二の親友である。
陽キャで人生ハッピーの丸々くんと陰キャで人生終了の千駄木くん、まるで正反対の二人だが、幼稚園で出会ってから今に至るまで付き合いが続いている。
『せんちゃん久しぶり! またまた急だけど、ちょっとだけそっちに帰れることになった!』
千駄木くんは自分にまだ嬉し涙を流せる機会があったのか、と密かに喜んだ。彼はあまりにも悲しみの涙を流しすぎた。
「お前、私以外に友達いたんだな」
「僕ら友達じゃないでしょう」
疫病神さんはびっくりした顔になった。それからすぐ不機嫌になり、床に寝転がるとぶつぶつ独り言を言い出した。それらは全て千駄木くんへの不満なのだった。疫病神に憑いている疫病神が床に半分めり込んでゲームのバグみたいになっている。申し訳ないことを言ってしまったかと思ったが、友達というのは気を遣ってなるものでもないので、ここは堪えて無視をする。
「涼しい顔しちゃって、この人でなし」
嫌味はしばらく続いた。
千駄木くんは何の躊躇いもなく丸々くんを空港へ出迎えに行った。ド迫力のネックレスをしているので人々の注目を集めはしたものの、千駄木くんはそんな視線をものともしなかった。今まさに、襲いくる不幸から解放される、数少ない時間が訪れているからだ。千駄木くんの予想通り、道中は快適そのものだった。降るものも無ければ落ちる場所もない。世界はこんなにも輝きに満ちている。
「せんちゃん久しぶり! すげーネックレス」
「まるちゃんお帰り! 無事で何よりだよ」
丸々くんと会うのは二年ぶりくらいだろうか。
その煌びやかなオーラは変わらないが、大きく変わったのは髪をピンク色にしていることだろうか。
モデルのように顔が小さく等身が高い。地味な千駄木くんは丸々くんの隣にいるといっそう気配が霞む。だが、千駄木くんの見立てではどうやらそれが効いている。
というのも、丸々くんがあまりにも幸福なので、丸々くんとの接触が千駄木くんの不幸を丸呑みしてくれるらしいのだ。
ここまでの道中とは比較にならないほど熱い視線を感じるのは、丸々くんが容姿に優れているだけでなく、ありがたい気のようなものを発散しまくっているせいだろう。さながら歩くパワースポット。写真を待ち受けにしたら金運が上がるかも。
「せんちゃんめっちゃ痩せたね。ちゃんと食べてる?」
「それなりには」
「絶対栄養足りてないよ。ご飯行こ。ご飯」
丸々くんは有無を言わさず千駄木くんを高級焼肉店に連行し、たらふく肉を食わせたうえ、千駄木くんには財布を出すふりもさせなかった。
嗚呼、君はどうして海外なんぞに行ってしまったのか。
千駄木くんはそんなの絶対駄目だと言いたかった。付き合ってるのかってぐらいの勢いで止めたかった。しかし自分はただの友人。宝くじで儲け、投資で儲け、金が余ったので世界を見物したいという丸々くんの夢を、自分の我儘で止められるものではない。
丸々くんは一時帰国の度に千駄木くんに会いに来てはいろいろ世話をやいてくれる。ただ、丸々くんには他にもたくさん友達がいるので、千駄木くんにばかり構っていられない。今回一緒に過ごすのは丸一日。たった一日だけ、千駄木くんは人間でいられる。ご馳走してもらったのがあまりにも良い肉だったので、少しばかりお腹がびっくりしたらしく、本調子ではなくなってしまったのだが。
「どこの国に行ってたの?」
カフェ(千駄木くんがこれまで見たこともないくらいお洒落)でお茶を啜りながら訊ねると、丸々くんは「ピャンゎディット共和国だよ」と答えた。
「ごめん、もう一回言って」
「ミャンカリッコ共和国だよ」
何度言われても聞き取れないことを悟った千駄木くんは、これ以上手数をかけまいと「聞いたことないなぁ」とだけ言った。
「自然の豊かないいところでね。これはお土産。古い民話に出てくる電流を発する黄色いねずみをモチーフにしてるんだけど、自分の身長より高いところに置いておくと魔除けになるんだってよ」
「そのネズミってポケットに入るサイズのボールの中にいたりする?」
「いや、そんな話じゃなかったはずだなぁ」
「そっか〜」
たとえピカチュウの偽物だったとしても、丸々くんから貰ったというだけで千駄木くんは嬉しい。単にご利益がありそうというだけでなく、自分のことをこれほどまでに心配してくれる気持ちがありがたいのだ。丸々くんは人間が優れているのであえて指摘してこないが、長い付き合いの中でこいつは自分と比べて随分な不幸体質らしい、ということに気がついているはずだった。一時帰国のたびに一目散に千駄木くんに会いに来るのは、友人の中で助けが必要な状態に陥っている可能性が一番高いからであった。丸々くんはそれでもあまり助けになれていないことを申し訳ないと認識していおり、千駄木くんにとって自分が神に等しい存在であることを知らない。
丸々くんは聞いたこともない国の話を面白おかしく語り、千駄木くんもそれを面白く、そして羨ましく聞いた。
夜は千駄木くんの家に泊まる約束になっていた。
恐ろしい物件に引っ越したのだと伝えると、丸々くんは大層面白がり、「めっちゃ見たい」と言い、わざわざホテルをキャンセルしたのだ。
「ちょっと騒がしいかも知れないけど……」
隣人の存在を気にして千駄木くんが言うと、丸々くんはますます期待に目を輝かせた。
実際にアパートを見た丸々くんは呼吸困難になるほど爆笑した。
「そんなに?」
「待って。これ自分でも謎なんだけど、なんか笑い止まらん。せんちゃん、た、助けて。ヒッヒッヒ」
ずっと静かに丸々くんの様子を見ていた疫病神が、「友達の家を笑うなんて失礼なやつだな。絶交したまえ」とぷりぷり言った。
水を飲むなどしてようやく笑いが収まった丸々くんは、「死ぬところだった」と言った。
「良い部屋じゃん。味があって」
「味があるっていうか、味、濃すぎるんだけどね……」
千駄木くんはうなだれた。
「事故物件に泊まるのって初めてなんだよな。わくわくしてきた」
丸々くんが本当に楽しそうなので、千駄木くんは話を盛り過ぎたかも、と変に申し訳ないような、妙な気分になってきた。「まあでも雰囲気だけだよ」とほんのり言い訳がましいことを言う。
「はは。逆に雰囲気だけじゃなかったら本気でヤバいっしょ」
「はは。そうだね」
そっと疫病神を見ると、目を逸らされた。
そして夜。
一人シャワーを浴びていて丸々くんが、「うわー!」と言ったので千駄木くんが駆けつけた。
「どうしたの!?」
「せ、せんちゃんどうしよう。シャンプーのボトルから水出てきた。心霊現象かな」
「……」
貧困ゆえ極限まで薄めて使っていることを打ち明けるのはものすごく恥ずかしかった。「そうか! せんちゃんは賢いな!」と丸々くんが本当に感心して言うので、より深く心を抉られた。
千駄木くんと丸々くんはずいぶん長く語らった。
「これしかなくてごめんね」
千駄木くんがおずおずと差し出したのはいつ買ったのか覚えていないカップ麺だったが、丸々くんはありがたそうに食べた。そしてはじめから人間が食べることを想定されている食事のかけがえのなさについて、一口啜るごとに語った。
「せんちゃんさ。本当に大丈夫?」
不意に真面目なトーンになった丸々くんに、千駄木くんは驚く。
「まあ、家にカップ麺をストックしておける程度には大丈夫だよ」
冗談まじりに返したが、丸々くんは笑わなかった。
「何度も言うけど、おれ、せんちゃんに助けられたから今こうやって生きてるんだよ。だからおれにだけは絶対に遠慮しないでくれよ」
「何度も言うけど、その話、まったく覚えてないんだよね」
「覚えてる必要なんか無いよ。ともかく、そういうことだから」
その時。
丸々くんはごく自然に、疫病神と疫病神に憑いている疫病神に視線を向けた。
が、偶然だったのか、すぐに目を逸らした。
千駄木くんと丸々くんはぺったんこになった座布団を枕に床で眠った。千駄木くんは悪夢を見なかった。
翌日は映画に出かけた。
子供に椅子を蹴られることも途中で機材がトラブルを起こすこともジュースをぶち撒けることもなく二時間映画を楽しめるのは久しぶりで、涙が出るほど嬉しかった。
「あれ? 泣けるシーンとかあった?」と、丸々くんは困惑する。
映画は普通のアクション映画で、普通に爽快だった。だが、今の千駄木くんにとっては丸々くんといる全ての時間が、泣けるシーンと言っても過言ではない。
こんなに素敵な時間なのに、丸々くんは帰ってしまう。
ほかの友達に会うために新幹線に乗る、その待ち時間に映画一本見るのがちょうど良かったのだ。
さようなら丸々くん。
ありがとう丸々くん。
何も死ぬわけであるまいになんて言葉が千駄木くんの人生には通用しない。
自分には関係ないくだらない慣用句をかなぐり捨てるようにして、新幹線の窓に向かって思い切り手を振った。
どこか、尋常の友達同士の別れではないような空気が漂っていた。
帰り道。少し距離の近くなった疫病神が言った。
「あいつ、次はいつ来るんだ」
「未定です。あなたに関係ありますか」
「別に」
疫病神は丸々くんがいる間少しだけ千駄木くんの吸引力が薄れたため、束の間の自由を味わえたことを千駄木くんに言わなかった。
千駄木くんは家に着くまでに犬、猫、鳥のフンを一つずつ踏み、階段で転んで膝を擦りむいた。
千駄木くんと疫病神 @wakuwakuiwaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。千駄木くんと疫病神の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます