第36話 手助けの条件
師匠を除くその場にいた全員が、髙橋を見た。
嘘だろ。
確かに、
あらゆる攻撃から対象をガードすることが求められる訳だが、その内容は決して専守防衛ではない。命を狙われているからこそボディガードを頼まれるのであって、業務には自分を殺そうとしている者の完全なる排除も含まれている。
要するに、依頼を受けることは警護対象をつけ狙う
綿墨さんの言うように髙橋がまだ人を殺していないというのであれば、それはつまり――。
「お前、まだ実戦デビューしてねぇのか」
フー子と同じじゃねぇか。
そう続けようとしたら、橘が「それはちょっと違うんスよね」と訂正を入れてきた。
「何が違うんだよ」
「そもそも坊ちゃんは、凶犬病の正式メンバーじゃねぇんスよ」
「そうなの? 凶犬病ってぇ、私の中じゃ
ミミックの質問に橘が『それな』と指を差し出した。
犬という生き物が元来群れで行動し、仲間や縄張りを大事にするのと同様、凶犬病の組織の在り方も犬と似たような特徴がある。
「お姉さん、いい質問っス」
橘がパチパチと軽く手を打つ。
「俺らは坊ちゃんがこっちに来てくれたらそりゃもう万々歳だし、うちの未来も安泰じゃんって思うんスけど、当の本人にその気がないんスよね。ちっちゃい頃から色んな話を聞かされたり現場でグロいのいっぱい見てるから、他人を傷付けるのも嫌だし他人に傷付けられるのも御免って感じで。仕事してきたメンバーが怪我して帰ったら『依頼人なんかどうでもいいから自分を大事にしろ!』とかぶつぶつ説教しながら薬塗ってくれたりするんスよ。マジ、坊ちゃん天使っしょ」
その叱り方は組織の使命を全否定してるけどなと言いそうになったのは、恐らく俺だけじゃないだろう。
「だから坊ちゃんはメンバー入りの儀式もしてなけりゃ、依頼に駆り出されたこともないっス。だぁれも殺してないバブちゃんっス」
「そうは言っても、息子ってだけで敵対してる組織から狙われることもあっただろ」
組織のトップにとって身内はアキレス腱のようなものだ。人質としての価値も高い。
「そのための俺っスよ」
こちらの問いに、橘が口元だけで笑う。
「俺がそばにいて、坊ちゃんに手出しさせる訳ないじゃないスか。あんたと違ってね」
いちいち腹立つな、コイツ。
とはいえ、さっき受けた攻撃を思えば、こいつの猟犬としての能力がいかに高いのかは容易に想像がつく。
「確かにご主人様の目と比べたら、お前の目は大分キテんなぁ」
綿墨さんの鋭い眼光が、橘を捕らえる。が、ヤクザすら怯えさせるその目に橘は一切動じることなく、「イケオジに褒められるとか、光栄っス」と答えた。
「息子がそんな感じなこと、親はどう思ってるんだ。跡を継がせたいとか考えないのか」
どうやら綿墨さんは軽い仕事モードに入っているらしい。
いつか今回のことを本にしてやろうとか思ってるんだろうけど、そんな物を流通ルートに乗せる命知らずな出版社が果たしてこの世に存在するのだろうか。
「オヤジさんは坊ちゃんのこと、めちゃくちゃ愛してます。猫可愛がりっていうか、犬可愛がりっていうか。けど、いくら息子が可愛いからってやる気のない人間に跡継がせるなんて考え、あの人にはないっスよ。そこはシビアっス」
髙橋の親は、可愛い息子だからこそ継がせたくないんじゃないだろうか。
こんな世界に身を置いてツラい思いをする必要はないと考えるような、ごく真っ当な考えを持った人なのだろう。組織の頂点に立つ人間が身内に甘いと、普通は示しがつかないものだが。
「まぁ、うちはオヤジさんがそんな感じだし、俺を含めてそういう坊ちゃんのことが皆大好きなんス。だから、『坊ちゃんがうちの仕事じゃなくて、何か他にやりたいことが出来た時には皆で協力すんぞ!』ていう話で盛り上がってたんスけど、まさか姫のこと助けたいって言い出すなんて、マジで愛は凄いっス」
ね、坊ちゃん――と同意を求められた髙橋は、顔を真っ赤にしていた。橘に散々持ち上げられて居たたまれなくなっていたところに『愛』などという単語を持ち出されて恥ずかしくなったのだろう。
髙橋もフー子も、組織のやっていることに疑問を抱いて、誰かを傷付けたり、殺したりすることのない世界で生きたいと思っている。
――だからコイツは、同じ匂いがしたと言ったのか。
それにしても、愛って。
改めて、俺は髙橋を見た。
ゆるっとしたパーマ頭に、黒縁眼鏡。
頼りなさそうな雰囲気に不安がない訳ではない。
でも、自分の従者がペラペラと喋っても止めないし、何かやらかしたら悪いのは自分だとばかりに頭を下げるような優しい人間だから、フー子も惹かれたのだろう。
だからといって、ここであっさり認める訳にはいかない。
アイツはこれまでに何度も経験してきたんだ。
優しい人から先に死んでいく世界で、慕っていた人や仲間が自分を置いていなくなることを。
仮に髙橋が自分を助けるために命を落とそうものなら、フー子は二度と明るい場所へ行こうなどと思わなくなるだろう。
「坊ちゃん……いや、髙橋さん」
正直、俺にとっちゃ愛だの恋だの、そういう感情はどうでもいい。
フー子に対してどんな気持ちを抱いていようと構わなかった。
だけど、これだけは確約してもらわないと、俺はコイツと手を結べない。
「アンタ、フー子を置いて死んだりしないよな?」
そう訊ねた俺の顔を、髙橋は正面から見詰めて断言した。
「死なないです」
「この場にいる全員に対して、約束出来るか」
「約束します」
本当に死なないかどうかなんて、誰にも分からない。もしかしたら、今から五秒後に撃たれて消えているかもしれない。
それでもいい。
フー子のために自分は死なないのだと、言葉に出して言い切る覚悟を見せて欲しかった。
「……それだけ、頼むわ」
何だよ、俺。
保護者じゃあるまいし、何訊いてんだ。
この業界の人間にとってあるまじきことを頼んでいる自覚はあるし、漫画や小説だったらまさにフラグを立てていると言っていい場面なのだろう。そんな俺の考えを見透かしたように、橘が鼻で笑いながら言った。
「うちの坊ちゃん、虫も殺さねぇような顔してますけど、いざとなったらガチ
「嘘だろ。真っ先に死にそうじゃねぇか」
「いや、それアンタにそのまま返すわ」
コイツ、俺が坊ちゃんのこと悪く言ったの、すんげぇ根に持ってんじゃん。
「橘」
「はーい、さーせーんしたー」
マジで言葉遣いからちゃんと教育し直せと口から出そうになったが、師匠が一歩前に出たので言い損ねてしまった。
「髙橋さん、橘さん」
少しの表情の変化も見逃すまいと、それぞれの顔をしっかりと見ながら師匠が言う。
「綿墨くんからある程度話をお聞きいただいていると思いますが、我々の目的はトビのお嬢さんの奪還および、それに伴い発生するであろう野鳥の会の壊滅です。手を貸していただけますか」
髙橋が頷くのを見て、橘が口を開く。
「さっきも言った通り、こっちは坊ちゃんがやりたいことに全面協力することにしてるんで、別にいいっスよ」
楽な戦いにならないことは明らかなのに、橘は一切の迷いなく賛同した。
「正式メンバーじゃない坊ちゃんが、ごくごく私的な理由で勝手に兵隊動かしただけってことにすりゃ、後で鳥の連中に何か言われても『息子が勝手にした話』つってオヤジさんも言えるっしょ」
「ありがとうございます。このお礼は必ずお返しします」
師匠が二人に向かって頭を下げると、橘が「あ、じゃあ早速言っていいスか」と切り出した。
「何でしょう」
「奪還に成功したら、姫ってしばらくどこかに隠れるんでしょ。それ、坊ちゃんも一緒に連れてってやって欲しいんスよ」
愛の逃避行をプレゼントしてやって欲しいっス――と、今度は橘が腰から九十度の角度でキレイに身体を折りながら師匠にお願いした。
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