魔女と少年
夜凪 叶
第1話
鬱蒼と生い茂る森の中、魔女メイシアは今日も一人で侘しい生活を営んでいた。魔女、それは人類から忌避される存在。摩訶不思議な奇術を使用し、民衆を欺く邪悪な存在。人々からの迫害を逃れるため、メイシアは人里離れた森林の中で暮らしていた。
「さて、狩りにでも出ますか」
メイシアは扉を開いて木造の東屋を出ると、箒に乗ってふわりふわりと中空に浮いた。
「さて、今日の獲物は……」
高高度から周囲を見渡す。メイシアにとって、主な食糧は野獣のジビエだった。都合良く鹿の群れでもいればよいが……。
「わああぁぁぁ! ママー!」
すると、下界から幼なげな男児の喚き声が聞こえてきた。少年は大樹に背を預け、絞り出すように金切り声を上げている。それを聞きつけたか、涎を垂らした野犬が数匹、草むらから姿を現した。野犬は少年を囲むようにして、狩りの陣形を組む。今日の夕餉は奴らにするか。メイシアは箒の先端を地上に向け、目にも留まらぬ速さで空を切った。地上付近で速度を緩め、少年と野犬の間に割り込むようにして優雅に降り立つ。野犬の方に向き直ると、冷淡な口調で呪文を唱えた。
「サンダーボール」
突き出した片手から、バチバチと音を立てる金色の球体が生成された。球体は轟音を立てながら、野犬に向けて放たれる。
「ワオーーン!!」
野犬は思わず後退りするが間に合わず、全身を痙攣させながら息絶えた。
「ふう、今日の食糧は確保できたわね」
メイシアは、既に肉塊と化した野犬に向けて歩を進める。
「あっ、あの!」
背後から、少年がたどたどしく声をかけてきた。
「……ああ、まだいたの」
つい先ほどまで存在を忘却しかけていた存在に対して、ぶっきらぼうに言い放つ。すると、少年は居住いを正して、深々と頭を下げ出した。
「その、助けてくれてありがとうございました!」
「別にあなたを助けたわけではないのだけれど」
「それでも、お姉さんは命の恩人です!」
「命の恩人ね……」
「何か、お礼をさせてください!」
「お礼……」
メイシアはまじまじと少年を睥睨する。見るからにみすぼらしい格好。金銭の類いは期待できないか。
ぐううううー!
唐突に、少年から腹の音が鳴り響いた。
「あなた、お腹空いてるの?」
「こっ、これは」
少年は慌ててお腹を押さえる。
ぐうううううー!
再び、鳴り響く。
「あの、僕、もう何日も何も食べてなくて……」
少年は頬を紅潮させながら、視線をあちらこちらに彷徨わせている。
「……ちょうどいいわ。あなた、私の食事に付き合いなさい」
「え? それって」
当惑する少年をよそに、メイシアは野犬の死体を拾い上げる。
「これを持ちなさい」
「わわっ!」
少年めがけて骸を放ると、少年はてんやわんやで死体をかき抱いた。
「ここに乗りなさい」
私は箒の後方を指差すと、少年は有無を言わず箒に跨った。
「しっかりつかまってなさいよ」
「え? わわ!」
箒が重力を取り払って、宙に浮かび出す。そのまま空を切るようにして、自宅に向かった。
「わぁ……!」
ふと後ろを振り返ると、少年は目を白黒させていた。星々の煌めきが、ヴェールのように夜空を覆っている。そうして二人で空の旅を続けていると、とみに少年が尋ねてきた。
「あの、お姉さんの名前って何ですか?」
「そういうときは、自分から名乗るのが礼儀じゃないかしら」
「わわっ、すみません!」
少年はぺこりぺこりと何度も頭を下げる。
「僕はルイスです」
「私は……メイシアよ」
少年の目が煌々と輝き出す。
「メイシアさん、ですね!」
「……あまり、馴れ馴れしく呼ばないことね」
そんなやり取りをしながら、自宅に辿り着いた。
「その手に持った死体をよこしなさい」
「はい、メイシアさん!」
気軽に呼ぶなと言ったばかりなのに。
私は家屋に入り、台所に立つ。包丁を使い、野犬をするすると捌いていく。
「あの、僕に手伝えることって」
「……肉片を刺すのに適した枝を拾ってきなさい」
「わかりました!」
ルイスは背筋をピンと伸ばし、森に向けて走っていった。私は野犬を一口大のサイズに分割すると、ルイスの帰宅を待った。
「すいません! お待たせしました!」
すると、ルイスは両腕いっぱいに枯れ枝を抱えて戻ってきた。
「……こんなに要らない。このくらい考えればわかるでしょう?」
「ごっ、ごめんなさい!」
「……仕方ないわね」
私は嘆息を漏らしつつ、枝に肉塊を突き刺していく。一つの枝につき五、六個の肉塊。ふと横を見ると、少年も見よう見まねで私の真似をしていた。作業を終えると、庭に出る。煉瓦で囲まれた木片の中心に向けて、火炎魔法を発動した。
「フレイム」
メイシアが木片を睨みつけると、木片はボっと音を立てて燃えだした。
「わあ、凄いですね!」
振り返ると、ルイスが扉から頭だけを出して、こちらをまじまじと観察していた。
「フレイム」
「ごっ、ごめんなさい!」
ルイスの頭がすっと引っ込む。
「……冗談よ」
「なんだ、冗談でしたか、あはは」
ルイスはほっと胸を撫で下ろした。
「準備、できたわよ」
「はい、すぐ行きます!」
ルイスはてくてくとこちら側に歩を進める。煉瓦製のブロックに腰掛けて、肉片のついた枝を手に持ち、火に近づけて炙る。そして、頬張るように食す。うむ、悪くない。
「これ、美味しいです!」
「そう、あなたはこんなものよりいいものを沢山食べてきたのではなくて?」
ルイスの表情にふっと影が差す。
「僕、奴隷だったんです」
ルイスは掠れそうな声で話し出した。
「毎日過酷な労働をさせられて、まともに食事も与えられなくて、挙げ句の果てに捨てられて……」
メイシアは過去を懐古する。当時を思い出して、古傷が痛んだ。
「あなたの境遇は十分にわかったわ」
「あの!」
ルイスは声を張り上げて、哀願するように上目遣いでこちらを見つめてきた。
「僕、何でもしますので、メイシアさんのところにおいてくれませんか!」
「……それは無理な相談ね」
「そこを何とか、お願いします!」
少年は頭を地面に擦り付け、意地もプライドも捨てて懇願してくる。どうやらこちらが折れるまで、やめる気はなさそうだ。
「……はあ」
厄介なものを拾ってしまった。メイシアは自身の軽率な行動を恨んだ。
「頭を上げなさい」
「……そ、それじゃ」
「いいわよ。ただし……」
メイシアは人差し指をルイスに向けて、下郎に命じるように言い放った。
「馬車馬のように働いてもらうから、覚悟なさい!」
「よろしくお願いします!」
そうして、メイシアとルイスの二人三脚な生活は幕開けを迎えた。
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