雛人形の宵祭り
透々実生
雛人形の宵祭り
時は2025年3月3日、雛祭り。人間達は勝手に人形を飾ったり、ちらし寿司を食べたり――たとえそれらが無いにしても、自身の女の子の健やかな成長・健康・幸せを願うのだが、そんなことは人間でもない雛人形にはどうでも良かった。
雛祭りなど、押入れから解放されるたまのハレの日以外の何物でもないのだ。
実際、雛人形達は埃臭い押入れの中で、着々と祭りの準備を進めていた。美味しい料理に美味しいお酒。
あれやこれやと準備を進める中、どたどたと足音が響く。
「ほら、早く来なさい。雛人形飾るんだから」
「んー……わかった〜……」
恐らく母親と娘。母親は習慣的に慣習をこなそうとしているが、その慣習が未だ身についていない娘は、なんだか面倒臭そうにしている。
しかしそんな母娘の感情など、雛人形達にはどうでも良かった。母娘が近づいたと分かるやいなや、雛人形達は一斉に用意していたものを御輿入れ道具の重箱に隠し、それから動きを止める。
自分達が本当は動けるのだと、悟られてはいけない。
そうなってしまえば最後、気持ち悪いだの怖いだのと言われ、「呪いの人形」として寺に連れられ、2度と日の目を浴びることなく、火に
襖が開かれる。電灯の光が差し込む。眩しさで目を瞑るのを必死で我慢しながら、雛人形達は遂に外へと出された。そして体をむんずと掴まれ、てきぱきと整然と並べられ、あっという間に飾り付けが完了してしまった。
母親が娘に、雛人形の名称や役割を説明し、娘が上の空となっている傍ら、雛人形達は密かに外の綺麗な空気を吸い込んでいた。
やはり、外の空気は美味しい。
雛人形達は夜の祭りに向け、いっそう期待を高めてゆく。
🎎
日が落ち、電灯も落ち、母娘も眠りに落ちた頃、雛人形達は止めていた準備を再開する。とは言っても、母娘が丁寧に備品を配置してくれ、それ以外の準備の大半を押入れの中で終えていたため、20分ほどで準備が終わった。
祭りの時間は限られている。あまり時間をかける訳にはいかない。しかし万全にしなくては祭りを楽しめない――そんな思いから準備の段取りはかなり効率化され、今では押入れの中で全て終わるのが通例となっていた。しかし今年は、実は丁度60回目――いつもより準備に力が入り、20分も余計にかかったという訳だ。
雛人形達は早速、米粒ほどのサイズのお
全員にお酒が行き渡ったところで、
「本日で延べ60回目。持ち主の代も既に
――雛人形達は非力だ。巨人同然の人間には勝てるはずもないし、外で生きることも当然にして難しい。大体動くことがバレれば、漏れなく人形供養行き。だからこうして、慎ましく大人しくして毎年
それが、突然意思を持ち始めた雛人形達に残された唯一の安全策であり、娯楽であった。
「では、堅苦しい挨拶もこのくらいにして――この1年の皆の慎ましさと、今後の天運に」
その言葉に合わせ、皆お猪口を掲げ、それから一息に飲み干す。
人形達の、小さな宴の幕開けだ。
内裏雛は体を寄せ合う。下では三人官女が歌いながら和菓子を供し、五人囃子が
だが、その音量や声量は人間にはあまりに小さい。故に、よく耳を澄まさねば人間には聞こえない。そうやって雛人形達は、これまでバレずに宴を繰り広げてきたのだ。
「あははっ! これだよ、これ!」衛士の中で笑い上戸の者がお猪口を傾ける。「この時のために、埃臭い押入れで1年暮らしてると言っても過言ではない!」
「声が大きいぞ」怒り上戸の衛士が
「酒は底辺の私達が注ぐのですよ」と泣き上戸の衛士。「ああ。しかし、いつまで続くでしょうか。……きっといつかはバレて、私達は火焔に焼かれるんです」
「メソメソしないことよ、そこの泣き上戸」歌を止めて2段上の官女が言う。「折角の宴が台無しじゃない」
「まあまあ、お姉様」と別の官女。「怒ると折角のお化粧が台無しですよ」
「そうよ。折角のハレなのだもの。楽しまなくちゃ」3人目の官女は、居住いを崩して酒を呷る。「おーい、笑い上戸ちゃーん! 酒もういっぱーい!!」
「あいよー! いやー、毎年よく飲むなあ!」
「馬鹿。アレは飲み過ぎだ、健康に悪すぎる」
「人形に健康なんかないよ……所詮は人形。人間とは月とスッポン……」
そんなワイワイとした雰囲気を、2人の内裏雛は微笑みながら見下ろす。
「今年も平和に終わりそうだな」
「ええ」
「来年も、こうして宴を開けると良いな」
「気が早いわ……まだこの宴、始まったばかりなのに」
「そうだな……そうだった」男雛は笑う。「では、まだまだこの雰囲気を味わうとしよう――」
「……えっ」
その声に、談笑も演奏も全てが止まった。
雛人形達の視線の先――そこには、パジャマを着た娘が立ちすくんでいた。その視線の先は明らかに、自律して動いている雛人形達。
「……うっ……」
呻きにも似た声を、娘は上げる。
ここに来られた。
ここを見られた。
……終わった。
雛人形達は、自分達の行く末を悟り、酔いも興も醒めて項垂れる。
そんな雛人形達に、娘は口を開く。
何を言われるか、雛人形達には予想がついていた――
「……う、動いてる! かわいい!」
――だというのに、その予想を軽々吹っ飛ばした。娘は目を輝かせ、とたとたと雛人形達に近づく。
全員、何が何だか分からなかった。
気持ち悪いだの怖いだのと言われ、「呪いの人形」として寺に連れられ、2度と日の目を浴びることなく、火に
娘は雛壇の前でちょこんと座り、「ねえねえ」と語りかける。
「さっきの演奏とお歌、とってもすごかった! なんか、お正月に聞く感じのやつだよね?」
ほとんど全員たじろいでいたが、そこで「ふふっ」と内裏男雛が微笑んだ。
「そんなにすごかったかい?」
「うん!」
「嬉しいな。あれは、五人囃子の自作曲なんだ。歌は三人官女が曲に合わせ作詞したんだ」
「へー! すごかったよ!」
……60年のほとんどを押入れの中で過ごす雛人形達。五人囃子は作曲と演奏、三人官女は作詞と歌唱以外に一切することがなく、故にその行為に時間を注いできた。
だからこそ、娘のその言葉に、五人囃子と三人官女は俄然嬉しくなる。
「……ははっ」酒豪の官女が相好を崩す。「そんなに言ってもらっちゃあな! ここは一つ、仕切り直しといくか!」
その提案を拒絶する者は皆無。五人囃子は頷いて楽器を構え、三人官女は息を吸う。
演奏が再開される。
雛人形達による
「おい、俺たちも動くぞ」そう言うのは怒り上戸の衛士。「折角の客人なんだ、もてなさねばな」
「そうだな」
「……ええ」
他の2人も頷き、笑い上戸の衛士が娘に言う。
「申し訳ないが、指を出してくれないかい?」
「? うん」
言われるがまま指を差し出す。すると衛士はその上にちょこんと極小の菱餅を置いた。
「体の大きな貴方には、ほとんど物足りないかもしれないけど」泣き上戸の衛士が言う。「私達に用意できるのはこれしか――」
「ううん、ありがとう」
娘はお礼を言い、カラフルなマイクロチップの様にも見える菱餅を、舌で舐めとった。小さいながらも、餅としてのねっとりした食感と、優しい甘味がしっかり感じられる。
「美味しい!」
その言葉と笑顔に、衛士達も顔を綻ばせる。
このタイミングで、内裏男雛が口を開く。
「さあ、新たな客人もお迎えしたところで――今宵はいつもよりも楽しい宴になるだろう。思う存分楽しもう」
歓声。娘も微笑ましくその光景を眺める。
演奏も歌も盛り上がり、談笑がそこかしこで起き、その曲や談笑に娘も混ざる。こじんまりとした密やかな宴は今宵、ほんの少しだけ
「そうそう」男雛は娘に尋ねる。「貴女、お名前は」
「ひな」
その名前に、運命的なモノを感じ、男雛も女雛も驚き、それから微笑む。
「ひなさん」
「ひなでいいよ、お内裏様」
「そうか――なら、ひな。この宴があったことは、どうか皆には秘密にしてもらえないだろうか」
男雛のその言葉に、ひなは首を傾げる。
「お祭りなら、他の人を呼んだ方が楽しいのに」
「私達は普段人形だからね――ひなは怖がらなかったけれど、他の人はそうとは限らないんだ。だから、そうやって人を怖がらせたくない」
「確かに。お母さんが見たらひっくり返るかも」
その光景を想像したのかくすくす笑うひなに、男雛は重ねて言う。
「ひな。この宴は毎年3月3日にやるつもりだ。来年も、その次の年もやる。他の人に怖がられて、押入れの中に仕舞われっぱなしだと困ってしまうんだ」神社に預けられる、という切り札までは、今は切らない。「だから、この宴は、私達だけの秘密にしてくれないか?」
「……うん、分かった。ちょっと寂しいけど。約束ね」
男雛と女雛が手を伸ばす。その手を小指で取って、あまりに不揃いな握手を交わした。
宴は続く。夜はまだ、始まったばかりだ。
🎎
翌日。
雛祭りは終わり、雛人形達が片付けられる時が来た。その片付けには、ひなも参加していた。
「珍しいわね。飾るときはあんなに嫌がってたのに」
母親は不思議そうにしていたが、まあ子供なんてそんな風にころころ感情が変わるものだろう、と特に気にも留めなかった。
暗く、埃臭い押入れに仕舞われる時が来た。やはり仕舞われる時は憂鬱だ――そう思っていた時、ひなが顔を近づける。
それから、母親に聞こえない程度の囁き声で、言った。
「また、来年ね。演奏もお歌も楽しみにしてる。今度は私も何か用意するから」
――押入れから解放される、たまのハレの日でしかなかった雛人形の宵祭り。世の女の子達のことなどどうでも良いとさえ、雛人形達は思っていた。
しかし、この目の前のひなのことだけは、どうか幸せであって欲しい――そう願いながら、雛人形達は眠りに落ちる。
襖が閉まり、暗くなる。雛祭りは終わり、日常に戻ってゆく。
こうして、ひなは毎年の雛壇飾りを母親と共にしっかり行うようになる。そして、雛人形達と毎年、密やかな雛祭りを楽しむようになる。
それは、ひなが結婚した後も続く。
「お母さんは連れて来れなかったけど――」大人になったひなが、微笑みながら言った――隣に、ひなの娘を連れて。「これなら、賑やかになるでしょ?」
雛人形達は、それはそれはずいぶんと驚いたそうだが――それはまた、後の話。
おしまい。
雛人形の宵祭り 透々実生 @skt_crt
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