第18話 数十年後のさゆりと、十九歳のさゆり
数十年後のさゆり
これを記している現在、さゆりの年齢は五十歳代に達している。
先日、自分は仕事の用事があったため、彼女のオフィスに足を運んで対面した。
頬やまぶたに年齢を感じさせる印象はあるものの、女性らしさは大いに残っており、はた目には三十五歳ぐらいにも見える。
訪れるたび彼女の傍らには二十歳代の若い男が甲斐甲斐しく彼女に仕えているのが印象的である。
宝石の付いた指輪が彼女の華奢な左手の指に収まっていて、そこだけが昔風情である。
右の手を挙げ、指をある方向に向けて何かを指図すると、そばに仕える若い男は、まるで条件反射的な素早さで反応する。
この若者はさゆりの指先一つで動く道具と化しているかのようである。
また、これは別の場面の話ではあるが、かつて彼女の父親に仕えていたという六十歳恰好の男は、さゆりの下でイベントの運営をした。
会場でさゆりが座る椅子のすぐ脇に跪き、真剣な表情をしながら、内緒話をするかのような挙動を取っていた。
さゆりは、やはりふてぶてしく前方に指をさし、
「あの椅子の並び方、なんでああなの? 職員は前から順に座らせていかないと。なんであそこだけ空いてるの? おかしいんじゃないの」
と厳しく注意した。
六十男は恐縮して、
「はい、すぐに直させます。おかしいですものね、あの部分だけ開いていたら」
と言った。
「そこ一番目につくところなんだから、人が入ってきたら、『あれ?』って思うでしょ? おかしいわよね?」
とさゆりが苦言を繰り返すと、六十男は慌てて、
「はい、本当におっしゃる通りです。今すぐ直させますので」
と言い残して立ち上がり、目下の中堅職員に指示を出しに行った。
そんな直近の風景を思い出しながら、小時間、自分はさゆりと近況などを話し合い、
「しかし、さゆりも人生経験を積んで、いろいろ覚えたんだなぁ」
と心を込めて言うと、
「昔の私じゃないみたいだって?」
と、ユーモラスな口調で返してきた。
「高輪時代はあんなか弱い女の子だったのに、今では偉い人になって、病院その他の組織の頂点に君臨してるんだからなぁ」
「人間、生きていれば変わらざるをえないわよ」
とさゆりは言って、ほほ笑んだ。
「さゆりって高輪時代はストーカーみたいなのに、ほんと悩まされてたよな」
と自分は言った。「電車の中でスカート切られたりして、散々だったじゃん。何度も被害にあって、高輪寮に一人で来てたりしてさ。もう衰弱しまくって、ダイニング・キッチンのところでへばってたのが、今でも覚えてんだけど」
「そんなことあったわね。記憶にある」
「クリスマス前だったかな」
「そうだったかしらね」
とさゆりは言った。「中途半端に寒い日だったのは覚えている」
「あの日、みんな出かけてて寮には誰もいなかったんだよな。確か、夜にP太郎と外出先から戻ってきた時に、さゆりが一人で寮に来てて、ぐったりしながら俺たちを待ってたんだよ」
「そうだったわね」
とさゆりは言い、立ったまま窓のほうへ歩み寄り、外を眺めながら、
「思えば、みんな子供だったわよね」
と言った。
やはり動かぬ警察
あの十二月の中途半端に寒い日、自分はさゆりから被害状況を聞き出していた。
被害に遭ったのはやはり電車の中であった。
何者かにスカートを切り刻まれたといった内容である。
本人はその場で被害に遭ったことに気づかなかった。
電車を降りて改札口に歩いていた際、見知らぬ誰かに衣服の異常を知らされた。
その生身に傷がついたのではなかった。
しかし、大きな精神的負傷となったのである。
「たびたびこんなことになって、警察も役に立たないとなると、俺たちがとっ捕まえるしかないな」
と、少し後に帰宅した須賀は真剣な表情で言った。
P太郎も自分も同意した。
切り刻みの度合いが悪化しているのを自分は念のため言及した。
怨恨や憎悪というより、性欲的なものから来る攻撃性に見えて仕方がない、と自分は言い加えた。
しかし分類付けなどは、どうでもいいと思い直した。
当然警察に報告し、相談したものの、現行犯でないため何もできないのだと言われた。
高輪寮内では、今回の件も服部の息子の仕業だと睨んでいた。
「裏を取らないとなぁ」
と須賀は言った。「ただ、こないだみたく捕まえたとしても、なぜか逮捕に至らないからな。逆に俺たちが犯罪者扱いされる」
「服部正則が事実の打ち消しに関与している気がする。本当に忌々しい奴らだね」
とP太郎は言った。
こんな時、直弥は役に立たない。
自分は内心不思議にも持っていたのである。
さゆりが直弥を恋人に選ぶ理由は何なのか、と。
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