第7話
「ひどい顔」
「……うるさい」
留年云々の話を済ませた奏は自宅に帰る前に、私の元に来てくれていた。出る気もなかったのに、鬼のような着信とインターホンに開けざるを得なかった。顔を見て早々、掛けられた言葉に可愛くない返答をしてしまう。心が荒れていると自覚してるくせに、なんの繕いも出来ない。せっかく来てくれた数少ない理解者を失って困るのは、自分のくせに。
「…佐紀は?」
「彩夏に、任せてきた。熱下がってご飯も目の前に置いてきたって」
「そ。で、何があったか聞いていい感じ?」
「私が悪い…。」
私の言葉を奏は特に否定することなく、静かに聞いていた。弱っていた佐紀に、私がフェロモンを充ててしまった。そして、それに呑まれただけの佐紀を突き飛ばし、それに佐紀は泣いてしまった。私が、傷つけた。
「……恋も、でしょ」
「え?」
「確かに佐紀も今頃凹んでるだろうけど、恋だって傷ついてる。自分のこともちゃんと見てあげなよ。そもそも、恋は佐紀が好きなんだから、精気吸いたさに惑わせたわけじゃない。これは、決定的にサキュバスの行為とは違うよ」
「……、」
奏の言葉に、泣きそうになる。泣く権利なんてないのに、昨日も涙が止まらなくて顔を腫らす事態となってしまった。
――昨日、佐紀が気を失ってから、涙が溢れてきて止まらなかった。必死に佐紀をベッドに戻して体を整えたけれど、その間も嗚咽が止まらなかった。佐紀がもう一度目を覚まして、その目に自分を映してくれないかって、泣いている自分を見て優しく抱きしめてくれないか。さっきのことは夢だと思ってくれないかと、卑しい願いを込めた。
でも、佐紀は目を覚まさなかった。叶わなくて思い知らされる。下劣な自分に嫌気がさす。
どこまでも卑しい。なんて、醜いんだろう。
そんな、貴女を傷つけた自分なんて大事にできるはずがない。
どこかで線引きしていた『サキュバス』と『悠城恋』は、なんの違いもなかったんだ。脳裏に、泣きながら自分を見上げる佐紀が過ぎる。
「でも傷つけたのは変わらない。それは、私が、淫魔…だから」
「……別に、淫魔みたいな人間だって山ほどいるけどね」
それは、そういう人間なだけ。淫魔だからとか、生まれや種類の問題じゃない。私は、佐紀と、こんな関りがしたかったわけじゃない。私は、佐紀を惑わせて触れてほしいんじゃなくて、佐紀に触れたいって思ってほしい。それが、他人から見て大差のないことだとしても。
「恋?」
「ありがと、奏。ごめんね。佐紀も心配だし、早く帰ってあげて」
「…変なこと、考えないでよね」
「なにそれ。大丈夫だよ」
私、笑えてるかな。口角を上げる、目を細める。奏は何か言いたそうにしながら出て行った。
「…うん、大丈夫。」
私の世界は、ずっとどこかに鍵をかけていた。外せるのは夢の中だけ。それも、現実には混じらせないようにセーブしなきゃいけない。それは自分の身を守るためであり、生活をするため。サキュバスである本質を抑制し隠していた。夢での食事は必要だけど、自分は淫魔なんてものじゃないって、否定したかった部分もある。けど、今回の一件で私は紛れもなく淫魔で、惑わす存在なんだって自覚した。
心の中で、なにかが崩れる感じがした。それは、糸がぷつんと切れたような、でもズレて苦しかった歯車がきれいに動き出したような感覚。
私は、お風呂に入り身だしなみを整え、目を冷やしてメイクで腫れを誤魔化して、外に出た。
今の自分が外に出てどういうことになるか分かっていたし、そうなろうと思った。
当てもなく電車に乗る。過ぎていくビルと合間に映える緑。駅を五つほど過ぎて、ビルが減り家やアパート、緑が増える。電車を降りて改札を抜けた。
「ねえ、どこまでいくの?」
人気がまばらになって声がかけられる。驚いたのは女性だったこと。少しだけほっとしてしまう。でも、性だけに塗れた、声や視線が。こんなにもキモチワルイなんて忘れていた。それほどに佐紀との時間が心地よかったのかもしれない
相手からの想いも行為も同じはずなのに、自分の体の奥底から吹き出すような不快感。けどそれくらいがいいんだと自分の心を虐げる。
本当に探し求めているのは、目の前のものじゃない。でも、それが手に入らないことも分かっていたし、触れるべきじゃないと思った。
夢から覚めていたあの時に、望んでしまった温かさはない。細さも、肌感も、熱さも…
すべてで否定される。当たり前なのに、気づく度に苦しくなる。
だから。掛けていた鍵を外していった。性に塗れた先は、何も考えなくてよかった。
なのに、ゆっくりと時間をかけて、私のこころは踏み潰されていく。
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