第2話
一瞬、鼻血が出ていた気がしたけど、止める間もなく先は走り去ってしまった。取り残された私と奏は、呆気にとられた。
「……なにあれ。恋、何したの」
「ん?んんー、えへへ」
「………はぁ。じゅんじょーなさっちゃんで遊ぶんじゃないよ」
「さっちゃんはむっつりだよ、奏」
「………」
えへへと可愛く笑ってみるけど、奏は誤魔化されることはなくて。ただそれ以上の追及もなく、ため息をついて終わらせてくれた。
……昨晩は、我慢できずに佐紀の夢にお邪魔してしまった。まぁまさか、あんな風になるとは思ってなかったんだけど。
たぶん、佐紀は私のことが好き。
そして、私も佐紀のことが好き。
触れてみたり、佐紀の前では一段と可愛く努めて、結構アプローチしてる。自負できる。なのに佐紀は一向に告白してくれなくて。優しいさっちゃんはただただ包み込むように相手をしてくれる。
ある意味、佐紀の理性は強すぎると思ってるんですが。
「うーん。逃げられてしまった、」
「さっちゃんはヘタレだからねぇ」
あ、そっちですか。
私。悠城恋。淫魔であり、サキュバスとも呼ばれる悪魔。そのせいで自分に近寄ってくる人は多い。だから、狙ってでも寄ってこなくて困るなんてこと、有り得ないはずなのに。
元々、女性の方が美味しくて好きだったのだけど、偶然佐紀の夢に入り、めちゃくちゃ好みだったのが始まり。今は佐紀自身に好意を抱いていて、昨晩に至った。
あの様子だと、覚えてるんだろうな。嬉しいような、困るような…。
夢の中の佐紀は、強引で、優しくて。それでも欲を抑えなかった。佐紀本来の姿が見えた気がする。
思い出して、体が切なくなる。あんな風に、現実でも佐紀に触れてもらいたい。言葉を、囁いてもらいたい。
「ちょっと、恋」
「え?」
「そういうのは佐紀と2人の時にやって。人が寄ってくるでしょ」
「あ、」
ちらちらと熱い視線がくる。先との夢を思い出し、フェロモンが出てしまったみたい。佐紀だったらいいのに、今は気分が悪くなるばかりだった。
隣の奏に影響がないのは、すでに別のサキュバスに印を入れられているから。それが佐紀のルームメイトなんて、運命ってすごい。
「んー、私帰るね」
「…はぁ。しょうがないな。私も行くよ、危ないし」
「ごめん」
「朝ごはん奢って。恋のせいで佐紀が朝食作れなかったんだから」
「そんなに??」
――『……恋、』
低く、低く。太くない、心地よい低音が、私の名前を紡ぐ。
熱い、灼けるような視線が、捕らえて離さない。
『………好き、』
そう言って、触れる肌と肌が気持ち良すぎて、それだけで声が漏れる。色づいた声になってしまったのは仕方がないと思う。
『ん、…気持ちいい?』
気持ちいいよ。
このまま、この時間がずーっと続いて欲しいくらいに。
堪らず腕を伸ばして、もうこれ以上触れられないのにもっともっとと引き寄せる。佐紀の肩に爪を立てているって気づいていたのに、抑えることができなかった。声とも吐息ともとれるモノが自分の口から漏れだして、佐紀を追い詰めていってる気がした。
『れん、…っ!』
切羽詰まった声がして、佐紀の欲が溢れ出して心地いい。甘くて、美味しい。お互いが声にならない声を叫んだ。
体に、突き抜ける快感が走って、この時間の終わりが告げられる。脱力する体に精一杯力を込めて、別れるその瞬間まで佐紀を感じようとしがみついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ん、」
夢の世界だったはずなのに、何となく体に名残があるような感覚がする。
最後の瞬間、夢の終わりに佐紀は私のことを抱き締め返してくれてたかな。
自分の体を抱きしめるように腕をまわして、佐紀を想う。ぎゅうっと力を込めて、ふっと力を抜いた。
夢は覚めてしまったんだ。
「……顔洗お、」
生まれてからの運命とはいえ、サキュバスはあまりいいことがない。
『悪魔』という部類に入ってしまうの不快だし、好意のない相手からただただそういう扱いを受けやすいのも嫌だった。
しかも。
好意を持った相手には、相手にされんとか呪われすぎ…。
正確には、相手にされない訳じゃなくて、そういうのに理性が勝ってしまう人。なわけですが。
顔を水で洗って、現実を再認識する。鏡に映った自分は何となく呆けて見えた。
…あんまり、濃密な夢を見るべきじゃないし見させるべきじゃない。わかってる…。
――♪
「!」
思考に飲まれそうになっていたその時、スマホが着信を知らせてくる。こんな早くに?と思ったけれど、示し出された名前を見て直ぐに要件が分かった。
小さくため息をついて、通話を繋げる。
「おはよー、奏」
『おはよー、じゃないよ。呑気な声出しやがって』
「えー。どうしたの?」
『今度はどんな夢見せたの。部屋から出てこないんだけど』
「あははー、」
『はぁあ。どうすんだよ、お。』
「え?」
電話の向こうから、慌ただしい物音と奏の声が響く。少しして無音の世界になった。
『……今度はお風呂に行っちゃったよ。シャワーの音と一緒になんか唱えてる声が聞こえるわ』
「あちゃぁ。」
『あちゃあじゃないの!』
「だってさぁ、……」
言葉が小さくなって、ハッキリと伝えるのを躊躇ってしまう。良くないことなのはわかってはいる、んだよ?でも、こんな、力がコントロール出来なくて勝手に夢に行ってしまうのも初めてなんだもん。
『………、力、コントロール出来ないの?』
「!」
無言は、勘のいい奏には答えを紡いでしまったみたい。
まずかったかな、と思う。サキュバスとして力が制御出来ないことはいろんな意味で危険がある。相手にも、自分にも。
『………大学は休みなよ?』
「……うん。ねえ、奏」
『ん?』
「佐紀に会いに行ったらダメかなぁ」
『………。今は、止めといたら?危ないし、さすがに可哀そうかも』
「そっか。…さっちゃんのことよろしくね」
はいよ、と返事を受けて通話が切れる。悲しいけど、今は会いにいけない。心が落ち着いて、力のコントロールができるようになったら、会いに行こう。
…と思っていたのに。数日もせずに、奏から呼び出しがかかった。
――悪いんだけど、佐紀風邪ひいたから届け物して
え?奏は?
――課題が終わんないの。留年になるとか脅されたから、どうにかしてく。このまま泊まるかも
…そんなヤバいの
――元はと言えば、恋のせいでしょ。水浴びしたら風邪も引くわ。上の空で、全然なんも出来ないし。もうめんどくさいから、どうにかして。佐紀のことだから、傍にいなきゃ飲み食いしないから、ちゃんと傍にいてね。よろしく。
大学の講義中に始まったやりとりはそれで終わり、私のこれからの予定が決定した。
「佐紀…風邪ひいてたんだ」
夢のせいで来ないのだと思っていた。間接的には夢のせいではあるのだけど。
……っていうか、会いに行っていいのかな。
そんな不安はあったけれど、佐紀の家に向かう途中立ち寄ったドラッグストアでいつの間にかカゴいっぱいに飲み物やら食べやすいものやらを詰め込んでいることに気づいて、心はしっかり浮かれているのだと気づいた。
しかもそれに気づいたのはレジを通ってる最中で、結局両手に袋を抱えることになってしまった。
……だめだ。明らかに買いすぎた。ちょっと落ち着かないと。
でも、早く元気にもなってもらいたいし、少しでも佐紀の喜ぶ顔とか安心した顔とか見たいし…。必要なかったら持って帰ればいいし。
自分に自分で言い訳をしながら歩く。
―――この時はまだ、私の体に熱なんかなかったんだ。
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