第87話

「な……んで……」


 『どうしてそんなに優しいの?』と、言いたかったがイトカは言葉に詰まってしまった。

 社長の言葉に、声や表情に……『離れたくない』って想いが強くなり、気持ちが揺れて覚悟がブレそうになったから。

 だから何も言う事が出来なかった。


 社長は、まるでイトカの質問に答えるかのように穏やかに続ける。


「お前と婚約を解消すれば”社長”としてこの場に残れるかもしれない。だがな……俺は往生際が悪いからな。お前を残すための他の方法を考えてしまう」

「どうして、そこまでして……」


 彼女の疑問に社長は沈痛な表情で答えた。


「俺がお前を……失いたくないからなんだろうな。だからどうしても守りたいんだ」


 と―――

 そんな言葉を言われてしまえば、今まで我慢し堪えてきたものが一気に溢れだす。


「……ッ」


 後先なんて考える前に体は自然と動き、イトカは社長を抱きしめていた。


「木瀬?」

「社長のバカ……なぜ今それを言うんですか。せっかく覚悟を決めたのに……これじゃ台無しですッ」


 強く抱きしめながら言葉も涙も止まらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る