第7話 霧の晴れた先で
翌朝、身支度が終わり兵士達が立ち並んでいる。当然エリックもその内の一人だ。そして昨日に引き続きレントの視点はエリック視点のままだ。
(エリックが寝て起きたら、この怪奇現象も終わってくれるんじゃないかって少しは期待したんだけどな……。駄目だったかー……)
レントが視線を巡らせると周りの兵士達が緊張している様子が見て取れる。
(マリンは俺みたいに厄介事に巻き込まれていないといいな)
レントがマリンに思い馳せていると、白馬に乗った騎士達が兵士達の前に出てきた。騎士の先頭は鎧を着た少女であった。彼女が姫騎士様と呼ばれていた人物だとレントは直感する。
姫騎士メイリーン。
長い金髪を括った少女はそれを風にたなびかせながら話し出した。
「今、この国は隣国ノイハースからの侵略を受けている。奴らはこの国の王位を簒奪し、民を奴隷にしようと画策する卑劣な野蛮人共だ!この国の王は代々治めているフォーサイト家以外に有り得ない。この国を富ませ愛してきた、あの方々以外には有り得ない!我々はノイハース軍をここで撃退する。今こそ奴らに正義の鉄槌をくだしてやるのだ。皆の者!我らが故郷、守るべき人々のため、未来のため、命をかけて戦いつくすぞ!」
魔法使いがその場の全員に魔法をかける。
「身体強化」
「士気向上」
「天使様の加護は我々にあり!」
兵士達が雄叫びを上げる。
「……いよいよだな」
「はい……」
フレッドとエリックがお互いに耳打ちする。
姫騎士メイリーンは剣を宝かに掲げ叫ぶ。
「進軍する!後に続け!」
「おかしい……どういうことだ?」
進軍したはいいもののノイハース軍は退いていた。しかし黒い甲冑で全身を覆っている者がただ一人、ルシナミン平原に立っていた。顔も隠されているが体格からして男性だろう。
「ノイハースの軍はつい先程退かせた。誰しも犠牲は少ない方がいいだろう?」
「……戦うつもりはないと?」
「そうは言っていない。降伏するつもりもないとも」
その男は名乗りを上げる。
「私は魔王ララミエール様の配下の一人、ガルグナールと申す。君達人間界の裏側の住人、魔族である」
それを聞いた者達は一斉にざわつく。
「魔族……!?」
「本物……なのか?」
「おとぎ話の存在じゃなかったのか!?」
メイリーンは警戒しながらガルグナールを睨む。
「魔族は人間界に魔を振り撒き獣を魔獣に変異させたり、魔物を送り込んだりしているというのが通説だった。だが今まで直接人間に接触してきた話は聞いたことがない。何故姿を現し、ノイハース側にいる?」
「ノイハースとは利害が一致したのでね。君達の王は敬虔な天使信仰者だ。ララミエール様は君達の王には見込みがないと判断された。それに対しノイハースの王族は野心家揃いで、自らの目的のためには手段も選ばない者達だ。ララミエール様のお告げを受け取れる者もおり、我々の配下になることにも承諾した」
「お告げだと……?それは天使様の御業のはず……」
「天使が出来ることは我々にも出来る」
「……ノイハースは我が祖国の王権を獲ようとしているが、それがお前達魔族にとってどんな利益がある?」
「君達の国を征服しノイハースを通して世界樹の管理権を獲たい。女神様の魂は転生時にあまりにも存在のスケールが大きかったがために、世界各地に点在することになった。その転生体が世界樹。君達の国が管理する世界樹は一番大きく価値がある」
「世界樹は大きさによって価値が左右されるものではない。どれも女神様の転生されたお姿なのだから」
「ほう、君達はそう思うのだな。だが君達は自分の頭と、切っても問題ない爪の先をどちらも同じ価値があると思えるか?少なくとも我々にはそうは思えない。そしてそれは女神様に対しても同じこと」
「なんて不遜な考えだ……」
「まあ世界樹の管理権を獲るのは、あくまでも手段の話ではあるがね……」
ガルグナールは一呼吸して話した。
「我々の最終目的。この世界の頂点、天使を堕とすことだ」
「何を大それたことを!」
「世界樹の管理権を獲ることで、この世界の後継者が彼らではなく我々だと知らしめてやる」
メイリーンとガルグナールの会話を兵士達は息を詰めながら聞いている。レントも当然そうだ。
(天使だの魔族だの、叔父さんはあまり話してくれなくて聞いたら口ごもってた。森での暮らしじゃあまり人々が共有してる知識や情報を得られなかったりするから答えられないんだと思ってたけど……魔族に関しては架空の存在だとみんなも思ってたんだな)
レントがそう考えている間も両者の会話は続いていた。
「領土、資源や王位継承をめぐる至って普通の戦争ならともかく、我々魔に属する者を信仰するのは君達人間世界にとって最大のタブーなのだろう?」
ガルグナールが剣を鞘から引き抜いた。
「ノイハースは我々の配下ではあるが、それと同時に同盟者でもある。対ノイハース連合など組まれてほしくないのだ。すまないが、秘密裏に行動したい。この戦場からは一人も生きて帰すつもりはない。斥候も魔法による情報伝達も全て防がせてもらう」
「なめたことを!聖なる光よ!」
メイリーンがガルグナールに斬りかかる。剣と剣が打ち合う金属音が鳴り響く。メイリーンが放つ白い剣閃をガルグナールはあっさりと躱し、メイリーンに斬りかかる。メイリーンはそれを受け止める。
「くっ……!重い!」
「まずは君を相手取ろう。君が差しの勝負に集中している間は他の兵士達には手を出さない」
逆に言えばメイリーンが逃げても死んでも兵士達に撤退を命じても、その途端に皆殺しが始まるのだとその場にいる人間達は理解した。
兵士達がゾッと息を飲む中、メイリーンの配下の騎士達が駆け出す。
「メイリーン様、援護します!」
ガルグナールが冷めた声色で呟く。
「一対多数が卑怯だなんて言うまい」
「弱者が生き残る大事な戦法だものな」
ガルグナールは剣を掲げ手首を回す。剣から放たれた黒い光は鞭のようにしなり騎士達の首を一瞬で刈り取った。
「よくも私の配下を……!」
「そう、怒ってくれるな。彼らもきっと覚悟の上だっただろう」
メイリーンは怒りに任せてガルグナールと壮絶に打ち合うも、その均衡は長くは続かなかった。
ガルグナールはメイリーンの剣を上に弾く。メイリーンのがら空きとなった腹に、ガルグナールが剣から放った黒い閃光が撃ち込まれた。
「うっ……ぐぁ」
ビチャビチャとメイリーンは血を吐いた。
肋骨が数本折れたどころではない。
メイリーンの内臓は元の形を留めてはいなかった。
「ああ……」
致命傷だ。
痛みで意識が薄れるなかメイリーンは冷静にそう思う。
メイリーンの体は地面に向かって崩れ落ちていく。
しかし──
まだだ!
ザッとメイリーンは大地を踏みしめ、目の前の魔族を強く睨んだ。
せめて死ぬ前に魔族を殺さなければ。
配下の仇を討ち、後の兵士達を守り、ノイハースの世界への背信を伝えなければ。姫騎士メイリーンは王家の、愛する祖国の盾なのだから。
メイリーンは最後の力を振り絞り叫ぶ。
「はああああああ!」
「聖なる光よ!」
「魔に属する者を滅し、我明日への礎とならん!」
「全てを白に塗り潰せ……!」
大きな爆発と爆風そして眩い白い光に兵士達は目を瞑る中、レントはその輝きを最後まで見ていた。
(なんてすごい剣技だ……!)
己の何もかもを、命を代替にした剣の最終奥義。
しかし、土煙の向こうに。
魔族は倒れることなくそこに居た。
「……人間の中では強い方なのだろうが……」
「くっ……うぅ」
もはや身動きの出来ないメイリーンにガルグナールは剣を振り上げる。
「口程にもない」
そしてガルグナールによりメイリーンの首は跳ね落とされた。
姫騎士メイリーンは敗北した。
「メイリーン様がやられた……」
「姫騎士様が……」
「我々も戦うのか……?あの魔族の奴と……?」
周囲の兵士達は青ざめて立ち尽くしている。
「ララミエール様のお力を持ってしても、私をこの場に召喚し留めておけるのは30分程度。すまないが時間がないのでそろそろ終わらせてもらおう」
レントはガルグナールが剣を構えるのを見て、本能的に背筋が凍った。
(これはまずい!せめて伏せろ、エリック!)
レントの声はエリックには届かない。レントはただの傍観者でしかないのだ。
黒い閃光が目の前を走った。
「危ない!」
「フレッドさん!?」
「フレッドさん……フレッドさん!フレッドさん!!」
フレッドは胴体を真っ二つに切断されて死んだ。他の兵士達も同様だ。無事な兵士達は我先にと逃げ出した。
しかしその兵士達の背中にガルグナールは無情にも魔力を撃ち込んだ。大きな爆発と共に兵士達の悲鳴と肉片か飛び散る。
「嫌だぁ!嫌だ!ああああああ!」
「あぁ……うわぁあああ!あ」
「がぁっ……!」
「ロイ!ちくしょう!うわああ!」
ホリーの頭が割れる。
ヘクターの首が飛ぶ。
ロイの背骨が折れる。
イサヤの胸に穴が空く。
兵士達が死んでいく。
エリックはガタガタと震えながら地面に伏せていた。
そして戦場から悲鳴は消え辺りは静まりかえった。
大した時間も経たないうちに大地には赤い血が染み込み死体が横たわる惨状が築かれた。
ガルグナールは周囲の様子を確認する。
「生存者はなし、これで終わりだ。ちょうど時間だな」
ガルグナールの足元が赤紫色に僅かに光る。召喚陣が表れたのだ。ガルグナールは召喚陣に吸い込まれるように姿を消した。
(……)
レントは静まり返った戦場を見渡した。
誰もいない戦場だ。暫くすると兵士達の死体から半透明の人影がぬっと出てきた。
人の魂だ。
大半の生物は死後、他の生物に生まれ変わる。死んだ兵士達は魂の輪廻に乗って、どこかへ行くのだ。
そんな中、静寂を破る男の悲鳴が響き渡る。
「うわあああ!みんな!みんなー!?」
ただ一人、エリックだけが大地に縛られていた。
「駄目だ!消えるな、逝くな!故郷に帰るんだろう!?」
「俺を置いていくなー!」
(エリック……)
兵士達は魂だけの存在となり空中へと消えていった。
エリックは空を見上げながら叫んでいたが一人になったことで呆然と俯く。そして信じられないものを見ることとなった。
「あっ……」
エリックが膝から崩れ落ちた。
「俺の体……」
「そんな……そんな!」
(エリック……駄目だったか……)
フレッドが庇った程度で逃れられる攻撃ではなかったのだ。エリックは戦死し既に魂だけの存在と化していた。レントは地面に転がる男性の死体を見ることでエリックの顔を初めて知った。焦げ茶色の短髪の青年は恐怖と驚愕に目を見開いたまま息絶えていた。
動く物がいなくなった戦場に魔獣達が死肉を漁りにやってくる。
「あ……食べるな!食わないでくれよぉ……」
エリック自身も既に死亡しており、そこにある肉体は今のエリックには無意味な物体だが、エリックは錯乱し魔獣を追い払おうとする。しかし魔獣を殴り付けようとする彼の手は魔獣の体をすり抜けていく。
「嫌だ!死にたくない!」
『ねえ、エリック!あんた私に何か言うことがあるんじゃないの?』
『何か……って何だよ?』
『だ、だから何かは何かよ』
『……』
『……』
エリックとリリィは沈黙した。そしてその沈黙を破ったのはリリィであった。
『もういい!じゃあ、私から言うわよ?私はあんたが──』
『待った!』
『なんでよ?』
『俺、これから戦いに行くんだぜ?』
『それくらい分かってるわよ』
『生きて帰ってきたら俺から言わせてくれ』
『……』
伝えたいことはお互い同じだったのかもしれない。今となっては確かめようがないが。
「リリィ……!」
大半の生物は死後、他の生物に生まれ変わる。しかし強い心残りを抱いて死んだ者は転生に失敗し、その魂はその場に残り続けるのだ。
エリックの叫びを最後にレントの目の前から兵士達の亡骸もそれを食べる魔獣も消え失せた。
レントともう一人を除いて。
レントと向き合う人物は既に魂だけの存在であり顔を始めとした姿形はぼやけているが、それが誰なのかレントには分かっている。
(エリック……)
兵士がレントの右手を引いて歩き出す。レントは大人しく後に続いた。
徐々に霧が立ち込め上手く前が見えなくなってくる。
ゆっくりと無言で歩く。
そうしているうちに手を握られる感覚が消え、少女の声がうっすらと聞こえた。
「──ト君、レント君!」
肩を揺すられる感覚。目の前にはマリンがいた。
「どうしたんですか?急に無言で立ち尽くして。体調悪いですか?歩けそう?」
いなくなったと思っていたマリンが心配そうにレントの顔を覗き込んでいる。どうやら消えていたのはレントの意識だけであり、二人共その場から動いていなければ大した時間も経っていないらしい。
「……」
レントは握りしめていた右手をほどき自身の手の平を見た。
レントの手の中に残る小さな物。
「ねぇ、マリン。ガラワ村ってどこだろう」
「もっと西、いくつかの町を経由してから立ち寄る予定です」
「そうなんだ。良かった」
「レント君、それは……?」
人の骨。
いつの間に拾ったのかと怪訝そうなマリンにレントは言葉を返した。
「きっと帰りたいだろうから」
霧は徐々に薄くなっていった。
残り約2190km
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