チョコレートコスモス(12)

 外の模擬店は思ったよりも混んでいなかったけど、それでも普段見かけない人たちで溢れている。時々立山の方を見て「大丈夫?」と声をかけると、そのたびに「なんとか」と返ってきた。言葉のとおり、その顔は少しつらそうだった。とりあえず昼ご飯として焼きそばと柔道部の焼き鳥を買って402教室に帰る。窓際の席に着くと、立山が安心したように一つ息を吐き出した。その後ろの席にあたしも座る。

「無理させたよね」

 あたしの言葉に立山が首を横に振る。

「こんな感じだけど意外と大丈夫。むしろそんな自分に少し驚いているくらいだよ」

 その言葉に思わず笑みがこぼれた。

 時刻はちょうどお昼を過ぎた頃で、先ほど買ったものを立山と分けた。机の端にプリンのぬいぐるみを飾って焼きそばと焼き鳥を広げる。いただきますと手を合わせて食べ始めた焼きそばが想像以上に美味しかった。

「こういうのってさ、大体は業スーで揃えた食材なはずなのに、どうして祭りの雰囲気の中で食べると特別美味しく感じるんだろ」

「食べ慣れたものを特別なときに食べるとそれ自体が特別になるんじゃない?」

「それはわかるかも。あとあれだ! 一緒に食べてる人が立山だからかな」

 好きな人と食べるご飯は美味しいという意味を込めた言葉に、立山が珍しく目を細めたように見えた。

 なんだか良い感じだ。このまま午後も二人きりで楽しく過ごして、後夜祭の時間になったら最後の告白をしようと思う。この雰囲気なら告白が成功するかもしれない。それほど今までにないくらい雰囲気が良いと感じる。焼きそばを食べる合間に立山と目が合う。それだけでとても幸せな気持ちになった。

 お昼を食べてから402教室でお互い少し休憩をした。午前中に回りたかったところをほとんど回ってしまったために、午後はどう過ごしたら良いかなかなか思い浮かばなかった。

「そういえば女バレのクレープが美味しいって美紗が言ってたんだった! そこに行こうよ。たしか外だったはず」

 そう言って地図の載ったプリントを確認する。

「あとは各々目のついたところに寄るようにしようよ。午後は少しゆっくり過ごしたいよね」

 あたしの言葉に立山が頷いた。それから五分ほどしてあたしたちは再び文化祭を回ることにした。廊下を歩いていると、午前中よりもさらにお客さんが増えている気がする。ようやく一階まで下りて、できるだけ早く外に出ようと立山に合図する。

 もう少しで外に出られるというところだった。急にトントンと誰かに左肩を叩かれて振り向くと、そこには思い出したくない人物が立っていた。

「よお、茜。久しぶり」

 一瞬にして嫌な記憶の波に襲われる。頭の中が真っ黒になって、全身が血の気を失ったように冷たくなった。

 目の前に慎也がいる。その隣には当たり前みたいにあのときできた彼女がいて、嬉しそうに腕を絡ませていた。

「お前、髪染めたんだな。似合ってねえ〜」

「ちょっと慎也くん失礼だよ! ごめんね、茜ちゃん。髪色可愛いよ、めっちゃ似合ってる」

 そんな二人の気持ち悪い会話が耳をズキズキと刺激する。

「誰?」

「あ、っと……」

 立山の言葉に返さなきゃいけないのに、喉が詰まって言葉がうまく出てこない。どうしたらいいかわからなくて、冷たくなった手が震えてくる。

「中学んときの友達っす。結構仲良かった。な、茜」

「へえ」

 あたしがなにも言わない代わりに立山が短くそう答えた。

 そのあとも慎也は聞いてもいないことをペラペラと話していた。今年になってふと急にあたしのことを思い出したとか、中学の友達にあたしがこの高校にいることを聞いたとか、そんな知りたくもないことがあたしと立山の前に並べられる。

「そういやオレ、ずっとお前に言えてなかったなと思って」

 そんな慎也の言葉を聞いて、すっかり重たくなった顔を上げる。

「あのときはありがとうな、茜。オレが今もこうしていられるのはお前のおかげだよ」

 瞬きもできない瞳の奥に、あのときとなにも変わらない慎也の笑顔が張り付いてぼんやりとにじむ。誰もいない空き教室で太陽を背負っていたあの日の姿にぴったりと重なった気がした。

「あのときってなにー?」

「なんでもねーよ」

 じゃーなと言って、慎也が真横を通り過ぎていく。お腹のあたりが気持ち悪くて、気づいたらあたしは振り向いて慎也の胸ぐらを掴んでいた。なんだよ、と言いかけた慎也の言葉を遮るように右手に力を込める。パシンと頬を叩く音が廊下に響くと、慎也の彼女がキャーと悲鳴を上げた。

「慎也くん大丈夫⁉︎ ちょっと茜ちゃん、急になにするのよ!」

 涙目になっている彼女に向かって、その男の方が悪いんだと大きな声で言ってやりたかった。こいつが三年前にあたしにした全てのことをここでぶちまけてやりたかった。でも盲目の海の住人である彼女にはなにを言っても聞き入れてもらえないだろう。それは過去のあたしへの侮辱になって、現在いまのあたしが耐えられない。

「……お前みたいなクズ、さっさと死ねばいい」

 廊下に倒れ込む慎也に向かってそれだけ吐き捨てて、逃げるようにその場を離れた。それまでずっと隣にいた立山に名前を呼ばれたけど、振り向かないで夢中になって走る。過呼吸みたいに息がどんどん苦しくなっていく。気持ちが悪い。口元を押さえながら、急いで階段を上って四階の奥まった場所にあるトイレに駆け込んだ。

「うえっ……」

 誰もいないことを確認してそのまま便器に向かって吐き出す。口から今日の幸せごと流れていく気がした。今日の幸せの全てが黒で塗りつぶされて、三年前の自分が今の自分に重なっていく。トイレに吐き出しながら、三年前は我慢した涙を流した。それがあのときからの成長だった。

 あたしの人生はどうしてこうもうまくいかないのだろう。今日だってあいつにさえ会わなければ幸せなまま終わっていたはずなのに。後夜祭で立山に最後の告白をしようと思っていたのに。さっきまで本当に良い雰囲気だったから、なにかの間違いで告白だって成功していたかもしれないのに。

「ほんと、あたしってなんもうまくいかないや……あたしなんて…………」

 そんなふうにつぶやいた声が震えていた。

 吐き出すものがなくなって個室を出る。トイレの鏡を見ると、メイクがすっかり落ちてひどい顔になっていた。涙はいつまで経っても止まる気配がなかった。鼻をすすりながら402教室の扉を開ける。誰もいないことを確認して、教卓の下へ隠れた。溜息をつくと、そのたびに涙が溢れてくる。

 悪夢を見なかったから現実がこうなってしまったのだろうか。思い出したくない記憶の黒いシミがどんどん頭の中に広がっていく。

 いっそのこと、このまま自分の存在ごと飲み込まれて跡形もなく消えてしまいたかった。

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